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人の繋がりのエントロピー

僕は、人と人の関係には「放っておくと離散していく」性質があると考えています。
これは繋がりを作り持続させるのに必要なエネルギー量が、関係性を離してしまうのに必要なエネルギー量よりも多いから。
平たく言うと、作って維持することの方が、壊すことよりも大変ってことです。

このことは、近年SNSを始め、僕らのコミュニケーションの方法が変わってきたこととも大きな関係があります。
一番変化したのは「宛先が定まっていない発話」が圧倒的に増えたことです。
例えば、Twitter、Instagram、Facebookに代表されるSNSやLINEグループは、1対1のDM機能を除くと全て「場に投げる」コミュニケーションの形です。メールで言うと、メーリングリストも同じ。

ITの進歩によって「個人が不特定多数の人に情報を投げる」ことのコストが極限まで下がったため、実務的な「情報の伝達」においては、上記のようなコミュニケーション方法は非常に利便性が高く、一瞬で広がりました。

このコミュニケーションの大きな特徴は「宛先が定められていないので、リアクションする義務が明確に定められていない(ように見える)」ということです。

1対1のコミュニケーションにおいては、一方が発話をすればボールはもう一方に渡り、リアクションを促されます。なんのリアクションもなければ「聞いてますか?」「なんか言って欲しいんですが。」と、リアクションを催促されます。

しかし、これが不特定多数への発言になると、話が変わります。
場に投げられたコミュニケーションは、割とすぐにボールがどこに行ったのか分からなくなります。

例えば。
ある人は「これは俺が最初に反応するのはベストではない」と考え、リアクションしません。
ある人は「この人が何も言わないなら、俺は発言を控えよう」と考え、リアクションしません。
またある人は、「俺が応えるのが正しいと思うが、いつも自分が応えているから、いろんな人が発言する機会を作るためにも、しばらく黙っていよう」と考え、リアクションしません。
俺がしなくても誰か別の人がするだろ、それで問題なさそうなら良いや、と考えてリアクションしない人もいます。

そうして誰も答えないまま時間が流れると、どんどん「誰も発言しないのなら、自分も発言するべきではない」という忖度が加速し、ますます発言しにくくなります。

結果として、「場に投げられた発言」は長い間誰も受け取らずに、宙に浮かんだままになります。

全ての「場に投げる」コミュニケーションが必ずこの結果になるわけではありませんが、注意しないとそうなってしまう確率が非常に高いと思っています。

一回のコミュニケーションだけであれば「今回はうまく伝わらなかったね。」で片づけられてしまうのですが、問題の本質は、この種のコミュニケーションを繰り返すことで、僕たちの「関係性そのもの」が変わっていくことにあります。

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このことが組織の関係性を変えてしまうポイントは3つあります。

(1)発言者の価値が下がり、発言することの意味が失われ、発言する人がいなくなる
「誰かが発言を投げかけたのに、それに誰も答えない」ということはつまり、「その発言には、応えるだけの価値は無かった」ということを意味します。少なくとも、そのような印象を与えます。
そんなことを考えている人は誰一人いなくても、「結果として」そうなります。

さらに問題は「その発言をした個人」にも及びます。
僕らは「何を言っているか」だけではなく「誰が言っているのか」に強く影響を受けます。正確な言葉の意味を吟味することなく、雰囲気で判断することがあります。
その結果、発言内容そのものだけではなく、「発言者」の価値も棄損します。「あの人が言っていることは無視しても良いのだ。少なくとも問題は無い」、と。

そういう体験が増えてくると、僕らはやがてそのコミュニティ内で「発言すること自体」を避けるようになります。発言内容ではなく、発言すること自体に、自分の評価を下げるリスクがあるからです。


(2)リアクションすることのハードルが高くなる
僕らは、自らの経験と周囲の環境に合わせて行動します。
ある発言に対してリアクションをしなかったという経験を通じて、
 ・自分は「あのレベルの話」であれば発言をしないでも問題が無かった
 ・周りのみんなもどうやら同じ感覚らしい
 ・たがら、次もそうしよう
という認識が強まります。
そうやって、リアクションするのに必要なハードルはどんどん高くなっていきます。なぜならば、過去にやらなくて問題がなかったことをあえてやるには、多くのエネルギーがいるからです。


(3)リアクションが無いことが、個人の関係性に影響を与える
上記のようなプロセスを通じて、僕らの個人個人の関係性も影響を受けます。個人と個人のつながりは、インタラクティブで感情的なものです。
自分がアクションした結果相手に何かが伝わって、それに応じて相手がリアクションをしてくれる。そういう経験を通じて、人と人の繋がりは構築されていきます。

一方で、反応を期待しない「場に投げるコミュニケーション」はインタラクティブではありません。「一方通行の情報伝達」です。情報の送り手と受け手が明確に分かれていて、受け手が情報を受け取ったかどうかは、送り手に明確には伝わりません。

そういうコミュニケーションは、人と人の関係性を希薄にします。なぜならば、「話しかけたけど反応がなかった」という経験がひたすらに積み上がるからです。

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繰り返しますが、この不特定多数に投げかけるコミュニケーション方法は、「情報の伝達」という意味では圧倒的に優れています。
日々生活するだけでも莫大な情報量を処理する必要がある僕らのような都市型の人間は、このコミュニケーション手法を取らないことはほぼ不可能です。

だから、僕らはこれらの新しいコミュニケーション手法とうまく付き合っていく方法を探らなければなりません。

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では、僕らには何ができるのでしょうか。

僕が一番大切だと考えるのは、
「”関心を持っている”ことを示すこと」です。
「必要なときに必要なリアクションをする」のではなく。ここ、大事な違いです。

不特定多数に向けたコミュニケーションにおいて、一番やっかいな空気は「無関心」です。関心はあるのにリアクションをしないことによって、結果として無関心が場を支配します。

具体的には、発言者に対する「フォロワー」としてふるまうことが効果的だと思っています。

例えば誰かが「暇な人、今日の夜一緒に飯食いませんか?」と誘ったときに、たとえ自分は行けなくとも、「いいね、僕もバイトが無ければ行くんだけど!」と応えること。あるいは「近くでおススメの店があるんですよ、よかったらぜひ行ってみてください!」と応えること。

例えば誰かが長文で複雑な問題提起をしたときに、「ちゃんとよく読んでから回答します、ありがとう」と応えること。あるいは「今は時間が無いので、夜に読んで返事します」と応えること。

別に全ての人が「フォロワー」になる必要はありません。ってか、そうなったら大分ダルいですよねww

ただ、1つのコミュニティに数人でもこういう人がいてくれるだけで場の空気がぐっと傾いて、そのコミュニティの活性度が全然変わります。

ここまで明確に意識していなくとも、直感的にこういう行動をとっている人もいます。

そういう人たちを、「目立ちたがり屋の痛い人」として扱うのか、それとも「場を活性化させる大事な役割を担っている人」として捉えるのか。
そこに、そのコミュニティの民度が表れると思います。

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この問題を抽象化すると、以下のようになります。

・現代社会において、コミュニケーションの「便利さ」や「効率」は抗えない魅力を持っている。
・ただ、その「便利さ」や「効率」に隠れて、気づかない間に失われている価値がある。
・その価値は、それまでは当たり前のように存在していたので、「それが失われたときにどうすれば元に戻るか?」という問いに対する回答はなく、自ら探さなくてはならない。

似たような事象に「人と話しているときにスマホ見たらダメ問題」ってのがあります。

スマホは圧倒的に便利で、世の中にある機能やツールの大半を網羅しています。
この文脈で僕が考えるスマホが持つ一番の特徴は「なんでもできるけど、何をしているのか他人からはわからない」というものです。

会話しているとき、何かわからない単語があったときに辞書で調べる。
会話の途中で天気の話が出たので、テレビをつけてみる。
会話の中で、細かい計算の話になったので、電卓を取り出して叩く。
授業中に教科書を読む。

どれも違和感のない、自然な行動です。人から見ても、「あ、この人は今こういう理由があってこれをしてるんだな」ということが明らかです。

また、このどれもがスマホで代替可能です。
スマホで行った場合、他人からは「その人が何をやっているのか」は見えません。
この「何をやっているのかわからない感じ」が、「人と話しているときにスマホ見たらダメ問題」の本質と考えています。

話している人から見ると、話相手の「スマホを取り出してみる」というリアクションは、自分の発言へのリアクションなのか、それともそれとはまったく関係のないアクションで自分の話は聞いていないのか、区別がつきません。つまり、自分の話にちゃんと反応しているかどうかが分からなくなるのです。

僕が考えるソリューションは、例えば「自分の行動を声に出すこと」です。

例えば。
「ちょっとその言葉の意味調べるから待ってて」
「明日の天気は、、、、晴れみたい」
「2,100円×128人は、、、、約27万だね」

これらの行動は、表面的には「やる必要も意味もないこと」です。少なくとも、そこの個別のコミュニケーションにおいてはとくに影響がありません。
でも、もっと深い「その人との関係性」の部分で大事になってきます。

繰り返しになりますが、スマホは圧倒的に便利です。でも、その便利さの陰に、気づかない内に失われているものがあります。

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ここで話を冒頭に戻します。
最初に、こんなことを言いました。

僕は、人と人の関係には「放っておくと離散していく」性質があると考えています。

この性質は、この10年ほどで一気に加速しています。

僕らが便利さに盲目的に従い、行動パターンを変えてしまったことによって、普通に行動しているだけでは人と人との関係性はより離れやすくなってきています。

具体的な意思を持って行動しなければ、この変化は止まらないでしょう。

繋がりを作り出し維持するためには、今まで書いてきた方法とは別のやり方もあると思います。

例えば、「繋がりが発生するようなコミュニケーションが生まれるような場を提供すること」もその一つでしょう。
この場合、「合理性」に基づく場ではなく、「無駄」をベースにした場の方が、より機能する傾向にあります。

僕がずっとラクロスのツアーチームの「TOKYO TOWER」やら忘年会やらに大きなエネルギーを割いているのは、直感的にこういうことを知っていたからなのかも知れません。
それは、人が集まり、コミュニケーションをとる「場所」をデザインし創り出すことです。


I'm always caring about you.

そういうことをさらっと言える人が増えるといいなぁと思います。

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