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終わりがあるから、始まりがある

今から10年ほど前、仲の良かったラクロス部の後輩が自分の夢を叶えるためにアメリカに旅立っていきました。

当時は7年来の付き合いで共有する時間も非常に多かったので、僕の交友関係の一角を占有する「そこにいることが当たり前の存在」でした。

そんな彼がおそらくもう元のコミュニティには戻ってこない前提で旅立っていったときに、不思議とそれほど寂しさを感じていない自分に違和感を感じました。

寂しさを感じなかったのは、おそらくFacebookをはじめとするSNSの影響です。実際には時間と場所を共有することは無くなっていても、FBでいつでも繋がれる、Twitterでコミュニケーションとれる。そのことが、「別れ」が持つ意味を軽減していたのだと思います。

そして、同時にそこに違和感もありました。

「実際にはもう離れているのに、離れていないかの様に感じてしまうこと」自体に対する違和感。

もちろん、FBもTWもLINEも、どんなに離れていても時間が離れていても「繋がり」を感じていられる、素晴らしいサービスだと思います。その便利さには疑いの余地はなく、僕らの人生の選択肢を大きく広げてくれています。

一方で「別れること」の意味は軽くなっています。
別れたのだ、という事実をもはや感じさせなくなるレベルで。
それ自体は問題ないと思うのです。さみしさも減るし。

問題は、別れが意味を持たなくなることで「出会う」ことの意味もなくなってしまうことです。

「終わりがあるからこそ美しい」というのは、万事につけて正しいと思いますが、人間関係においてもこれは真理であるように思います。
いつか別れることを知っているから、出会いが素晴らしいものになる。

これは、私たちの日常から、「死」という存在が追いやられていることとも通ずるものがあります。

「死」は怖くて忌むべきものなので、なるべく日常から遠ざけよう。
そうすることによって、「生」の持つ意味も同時にすり減って行っている様に感じます。

最後に、紹介したい記事があります。

この3人が登場する記事は幾つか読みましたが、どれも「生きることのエネルギー」を感じさせてくれるものでした。

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株式会社ORSO 取締役副社長 / do株式会社 取締役 / 一般社団法人 日本ラクロス協会 理事 / 千葉大学男子ラクロス部 General Manager / (元東京大学ラクロス部男子 Coach, General Manager)
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