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猿まねはやめよ~マルクス・アウレリウス~

もうたくさんだ。こんなみじめな、不平ばかりの生き方は。まるで猿のようではないか?
なぜ悩んでいるのか。何か新しいことでもあるのか。何をそんなに戸惑うのか。
責任か?よく見てみよ。
それとも物事そのものか?それもよく見てみよ。
それに見るべきものなど存在しないのだ。
そして神々に関しては今からでも遅くない。
もっと正直に、優しくなろうと努力せよ。
こうしたものは百年眺めようと、ほんの三年眺めようと同じことなのだ。
マルクス・アウレリウス 『自省録』

想起

・エピクテトス
・アドラー心理学
・G戦場ヘブンズドア

エピクテトス

エピクテトス先生の言葉、
『自分次第であることと自分次第でないことを切り分ける』
結局人は自分次第でないことに対して不平不満をいう。愚痴をこぼす。
そうではなく自分次第であることにのみ注力するのだ。

アドラー心理学

マルクス・アウレリウスはよく生きるためには自分のものの見方を変えることが肝要という。
アドラーの言葉、
『世界はシンプルであり、人生もまたシンプルである。世界が複雑に見えるのは自分のレンズが世界を複雑にしているからに過ぎない』
ストア哲学における神々は神話に出てくるような神ではない。自分の内面に存在する理性を指している。人と獣の違いは理性の有無と定義している。では動物の内面に神は存在しないのか?
いいやある。それはゼノン先生の『自然にしたがって生きる』と『アレテー』の考えが適用される。馬の本質とは速く走ること、ナイフの本質とはよく切れること、では人間の本質は?
そう、人間の本質は理性に従って生きることだ。

G戦場ヘブンズドア

~中略~
やめられなかった。望んだというよりはそう生きるしかなかった。
それこそが「人格」だよ。』
G 戦場ヘヴンズドア3巻Air.18 郁先生のセリフ

この言葉は自分次第でないことも包括している。
つまり『人格』は自分次第のことと自分次第出ないことの上位概念であるということだ。

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