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2020年9月 奥東京旅2

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 檜原街道を原付でゆったりと駆けていきます。

 っと、道の右手に石垣が、階段が。階段の先には鳥居が建っています。山中の神社か。ちょっと気になります。さっと対向車、後続車がないことを確認し、ぐっと右に体重を傾け、階段の下に原付を寄せます。道端に気になるものを見掛けたとき、こうやってすぐに立ち寄れるのは、原付の持つ超のつく利点です(バイクだと速すぎるし、車体もそれなりにあるので、こうも気軽にはできません)。

「五社神社」石柱と、鳥居の扁額には、そう記されています。ついでに階段の下には「マムシ注意」とも。階段の先は林間へと入り込んでいて見通せないが、こういった神社って割合近くにあるものだよな。何だか気になるし、ぱっと行ってこようかと、ヘルメットを外し、身軽に石段を上って行きます。鳥居で一礼し、そうして待ち受けるは蜘蛛の巣。帽子は被っていたが、左頬のあたりに何やら細かく貼りついてる感触。ぶんぶんと腕を身体を振り振り、そうやってまた知らずに別の巣へと突っ込んで行きます。ぎゃー!

 近くに落ちてた手頃な長さの枝を手に取り、ゼンマイ仕掛けのおもちゃのごとく常に一定のリズムで腕を振るいつつ、蜘蛛の巣を警戒して階段を進んでいきます。途中、「聖徳太子」と刻まれた石碑が。聖徳太子って、信仰の対象でもあったのか。しかしどうしてここに、と考えつつも、階段は山中へと続き、その先は未だ見通せない。

 あれ、予想していたよりも、先は長そうだぞ? でも、きっと、あのカーブを抜ければ──まだまだ頭上には、苔生した階段がうねりながら伸びています。仕方なしに、人っ子一人いない静かな木立の中、歩を重ねます。いやいや、多分もう少し行けば、あとちょっと、そろそろ、さぁどうだ、次こそは、もうヤケだ、とギャンブル依存症みたいな思考を展開して、ようやく道は平坦になり、木々の合間に、神社らしき屋根が見えてきました。十分以上、山中の細く簡素な階段を上ってきたでしょうか。息もやや上がり、リュックを負った背も汗で湿っています。しかし、ここまでやって来たんだという達成感。ならびに誰もいない林間の森閑な神社に参拝しに来たという稀有な体験をしているということもあって、胸ん中はすがすがしく。

 社殿は素朴な趣です。荘厳さも、華美な装飾もなく、山の中の神社としては個人的には好きな造りです。まずはお参りを。賽銭は十円玉。コロナ縛りでは、会計時に消毒済のお札だけを使おうと考えていたが、銅が素材の十円玉なら大丈夫だろうと財布を開けて気づく。素朴な音色の鈴を鳴らし、二礼二拍一礼で手を合わせてご挨拶。摂社である小さな稲荷社にもご挨拶。境内には他に駄菓子屋っぽいベンチがあるくらいで、しばし腰を預けて、山中を抜ける風で熱を冷ますことにする。

 五社神社。安直な想像だけれど、この地域にあった五つの神社を合祀して、まとめたものだろうか。でもそういう場合は、大抵地域の名をつけるものだし、そもそも山中に新たに建立する、というのも解せない。特に案内板もないけれど、どういう謂われの神社なのだろう。
(家に帰ってから調べたら、正式名称は「人里五社神社」というらしく、人里は「へんぼり」と読むとのこと。五社の由来は、五大明王を祀っていることから。あれ、でも、五大明王って神道じゃなく仏教だよな。おぉう、調べたら楽しそうだ)

 戻りはゆったりと道を下っていきます。すでにお昼時なのに、旅に出てから口にしたのは水とアイスのみ。空腹を抱えたまま、檜原街道をさらに奥へ。やがて奥多摩周遊道路に入り込み、蛇行しつつも標高を重ねていき、坂道からガードレールの向こうを眺めれば、濃緑の稜線が幾重にも結ばれていて、深山の感。っと、ぽつぽつと水滴が、グリップを握る手や腕に触れます。木々よりさらに上を見やれば鈍色の雲。雨だ。しかし強くは降りそうもない。そのままのんびり山道を走って行きます。

 そうして着いた、都民の森。ちょっとした休憩所です。羽織り物を忘れたこともあって、少し肌寒かったので、ピリ辛玉こんにゃくを、外の席でいただく。うまし。他にも軽食はあったようだけれど(パックの焼きそばとか)、もう少し旅しに来た感じのものを食べたいので、ここでは小腹を満たすだけとする。

 さぁ、奥多摩のワインディングロードを原付で駆けていきます。他の車やバイクとは一人だけ時間の流れが違うので、ミラーに後続車が映るやいなや、左へとウィンカーを出しつつ路肩に寄り、先に行ってもらいます。というか後続車よりも対向車のほうが多く、奥東京を定番の奥多摩から巡るのではなく、檜原村から入って正解だったと知る。GoToから東京が除外されて、やたらテレビで都民のオアシスとしての奥多摩が取り上げられていると聞いていたので、どれほどの混雑かと構えていたが、定番とは逆コースとなる檜原村からの旅程だったので(神戸岩にまず行きたかったのです)、丁度混雑を避けた感じになりました。

 っと。深山の向こうに、東京のビル群がぼんやりと霞んでいます。よもやここからも目にすることができるとは。さぁ、風張峠を越え、道は下りに入り、いつしか奥多磨町へとその車輪を転がしていました。雨雲もどっかに行き、高度が下がるごとに気温も温かくなり、苔っぽい色味の奥多摩湖が見えてきました。

 そうして真っ先に向かったのは、山梨県小菅村、の県境表示。えぇ、この表示を写真に撮り「都民禁制の地」とか馬鹿なコメントをつけて、Twitterに上げたかったのです。というわけでわざわざ県境まで赴き、パシャリとやりました。かねてからの願望を達成し、お次に向かったのは「小留浦(ことずら)の姫の石」。
(この名前だけで、どんな観光スポットか分かったかたは、相当に日本を旅してきたのだろうとお見受けします。というか人里といい、地名の読み方が北海道みたいに難解なことで)

 奥多摩湖のほとり。「姫の石→」といった感じに記された小さな看板を発見し(こういうときスマホの地図は本当に便利だ)、その手前に原付を停め、またもや山中へと入り込みます。先程の五社神社の道とは違い、階段があるわけでもなし。ただぼんやりと「道っぽいなぁ」といった感じの、落ち葉に埋もれた坂道をじわじわ登って行きます。そうして再度まみれたるは蜘蛛の巣。再び枝を手にし、上下に振るいつつ歩くが、ここの山中、連日の雨の影響かやたらと湿っていて、すぐにぼきりと折れます。足下も何だかふわふわとした感触。お昼過ぎ、という時間のせいか、陽もあまり入り込んできません。

 ただ一人、山中を行きます。が、眼前にはいくつもの倒木が斜面に横たわっている。これを見た瞬間、引き返そうかと思った。肝心の姫の石らしき地点もまだ見えてこないし、ていうか腹減った。しかし冷静に道っぽい斜面を眺めてみる。何本もの倒木が行く手を塞いでいる。が、一つは潜れば通れそうだ。次の二本は跨いで越せそうだ。そんなこんなで、潜って、跨いで跨いで、また潜ってまた跨いで、てな感じで難所をクリア。つづら折って、倒木の根の上へと回り込みます。

 蜘蛛の巣を払うための枝が次々と折れていく中、ようやく丁度良い感じの棒きれを手に入れ、見上げれば10mほどの頭上には階段。そして古めかしいお堂。あの中に姫の石が祀られているのか。しかし道なのか斜面なのかわからない傾斜のキツい直線ルートには、倒木がすっぽりとそのラインに沿って寝転んでいる。これは無理だ。登れない。では迂回していくかと、斜面につづら折りを描き、地面を這い這い(何だか針みたいに足の細くて長い蜘蛛が逃げてったよ)、ようやく姫の石のお堂に辿り着く。五社神社ほどじゃないですが、それでも十分はかかりました。ていうかこんな無茶なこと、一人旅じゃなきゃできないなぁ。

 さて、姫の石。そのお堂。閉ざされた木の戸の上には、木彫りの像が飾られています。やたらとふくよかで滑らかな脚をした赤い肌の女性の裸体像。大きなキノコを抱えて、体の前は隠されています。もうこれで中に何があるのか、大体のことは判じられただろうと思います。というわけで、いざ。木戸に手を掛け、ぐぐぐっと引きます。

 中は暗いです。外の明かりがぼんやりとしか届きません。ていうか、お堂の中で何かが飛び回ってるんですけれど……。燕か。いや、鳴き声もしないし、蝙蝠か。よく見れば、外にも中にもアルコール類の空き缶が転がっている(こんなところで酒を飲む酔狂な人がいるのか……)。正直、あまり手入れはされていません(まぁ、道中倒木盛りだくさんだし)。ていうか、何だかお堂の中はちょっと崩れた感じで。ほんの少し、身を屈めながら足を踏み入れてみます。

 岩があります。その岩に大きな裂け目があります。えぇ、それだけです。古い日本語で言えば、ほとです。その裂けた岩が祀られているわけです。そんなもんを拝みに、山中で蜘蛛の巣に突っ込んでは倒木を乗り越えては孤独な行軍を続けたわけです。猛烈に馬鹿馬鹿しさが込み上げてきます。何だか不気味な感じもするし、撤収だ撤収。

(まぁ、日本各地にはこういう場所、結構ありますよね。女性のも男性のも。子宝に恵まれますようにとか、安産祈願の拠り所だったとは思うのだけれど、現在の価値観から照らしてみれば、やっぱり、ちょっと、馬鹿馬鹿しさが漂います。でもこの馬鹿馬鹿しさを、苦労をかけてわざわざ見に行くのがこれまた馬鹿馬鹿しく、こういう馬鹿馬鹿しさに身を投じている自分は、結構好きだったりします。いやまぁ、馬鹿だけど。
 そもそもどうしてここに寄ろうと決めていたかと言えば、ネット地図のレビューに「馬鹿しか行かない」みたいなことが書かれていたので、「行ってやらぁ!」と勇んだのでした)

 さて、再び倒木を越えて、原付のもとに戻る。腹減ったよ。もう二時過ぎだよ。本当はラストオーダーが二時半までのテラス席のレストランにでも行こうかと予定していたが、距離があるためにこれはもう間に合わない。一体、どこで飯を食べようかと考えつつ、奥多摩湖を東へと走ります。
続→

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