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青い春。

・元バンドメンバーとリモートセッションした話

自粛期間もそこそこ長くなってきた5月の中頃。

あらゆることがオンライン上で完結されるようになって、以前のように友達みんなで集まってお酒飲んだり、ドライブしたり、たこぱしたり....は元々全然なかったけど、できないとなるとやりたくなる。

廊下の非常ボタンは非常時以外押すなと言われると押したくなるし、勉強しろと言われるとする気なくすし(そもそもやる気などないのだが)、見るなと言われた機織りを覗いてしまったりするのが人間の常である。

みんなで海辺にでも行って水かけあったりキャンプファイヤー囲みながら歌ったり、そんなベッタベタな青春みたいなことを今はやりたいなぁ、なんて思っていたら、急に思い立って昔組んでたバンドメンバーのLINEグループにメッセージを入れた。(LINEグループがあるほどには仲が良い)

「なんか1曲リモートでやらない?」

みんな二つ返事で同意してくれて、やるならあの曲しかないよねと。

僕がやっていたバンドは2003年に結成して、コンテストやらコンテストやらコンテストに出たりメンバーが変わったりしながらも活動を続け、2006年にバンド名を「FAZZY CLOVER」と命名しデビュー。そのデビューシングルの表題曲「グライダー」をリモートで演奏することになりました。ちなみに2010年に解散。

今はそれぞれの場所でそれぞれの役目を果たしているメンバーと、こうしてまた音楽を奏でることができて素直にとても嬉しく思います。(竹内はいつもPAだし、吉田は岐阜にいるし。たけしとはよく一緒に演奏してるけど。)

最後に動画貼り付けてありますので是非見てみてください。

・デビューシングル「グライダー」の裏話。

当時のYamaha Music Entertainmentはビルの下にスタジオジャックという大きなレコーディングスタジオがあり、そこに通いつめてはメンバーとディレクターとあーでもないこーでもないと話あったり、反省したり、たてついたり、ひねくれたり、遊んだりしながら、知識も技術もなにもない僕たちに匙を投げることなくとことん付き合ってくれていました。(この方が僕らに与えてくれた影響は計り知れない。当時の年齢を考えても恐ろしいほどオトナな方でした)

シングルリリースが決まったものの、リード曲の詞が全く書けずに、書いては直し書いては直しを繰り返し繰り返して、結局7ヶ月経ってようやく完成。コン詰めただけあってまぁまぁいい出来だと思える曲になった。

3曲入りにしようということで、2曲目は元々あったライブでも評判の良かったバラード。3曲目にまだ未発表の曲を。そんな感じで内容もほぼ決まりつつあり、7ヶ月に及ぶ苦行を終え、これで何も考えずに楽しく歌ったりギター弾いたりできるぜ!なんて思いながらポロポロ適当に歌ってたら、すらすらーっと30分くらいで新しい曲が出来た。

なんて思いつつバンドの恒例行事だった、バンド集会の時に"新曲を弾き語りで披露するの会"にていつものようにメンバーの前で出来たての曲を歌ってみる。

D「あ、いいね。え、これでいいじゃん」

メンバー「これだな」「これでいこう」

俺「お...?」

D「これをリード曲にして、3曲目は雰囲気変えて新たに作ろうよ」

メンバー「それだ」「それだな」

俺「え....(俺の7ヶ月の苦労はいずこへ...)


こうして30分は7ヶ月に勝利したのであった。

まぁこれは創作あるあるで、練れば良くなるものでもなかったり、そもそも作品が持って生まれたポテンシャルがあって、それはかけた苦労とは比例しないものだったりするのです。

その後3曲目も出来上がって朝から晩、いや朝から朝までレコーディングをして、実は途中で僕が大怪我をして数ヶ月レコーディングをストップさせてしまったりしつつ(あの時はもうホントすいません)(3曲目だけ歌を録った時期が違うんです)、こうして無事に(?)シングルが完成したのでした。

ヘトヘトになってスタジオを出た時、街はもうすっかり新しい今日を忙しく生きていて、僕らだけが昨日のまま取り残されているような、それでも前に進んでいる気がして嬉しいような、遅いまばたきをしながらみんなそれぞれバイトに向かった。

あの朝の目に刺さる陽の光と気だるさと充実感は今でも鮮明に覚えている。

まさに青春だった。

考え方も音楽も真っ青だった。

でもその青さが、今はとても眩しく感じる。

歌詞ひとつ見ても、"あの時"しか書けなかった。

これはあの日の僕らからの手紙です。

少しでも楽しんでいただけたら嬉しいです。

そしてまたいつか一緒にキャンプファイヤーを囲みましょう!


・FAZZY CLOVER「グライダー」REMOTE SESSION


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