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楽しくいきーる!~死にかけてから見えてきたもの~

こんばんは。
読んでいただいてありがとうございます。

鬱になってから、回復して日々がそこそこ楽しくなった話。

鬱になっていたときは、とにかく毎日が憂鬱でした。

朝も昼も夜も、
何も希望を見いだせず、
自分という存在が終わってしまったかのように思えて。

暗く長いトンネルをずっとさまよっているような感覚。

仕事から離れることで症状が少し良くなったころ、自分の中で変化が起きました。

残酷な話をすると、鬱が快方に向かってきたからといって気持ちの陰鬱さは変わりませんでした。

相変わらず朝は気は重いし、
将来に不安はあるし、
自分なんて・・・
と思うこともしょっちゅうあります。

少し「マシ」になった程度です。

でも自分の中で、

あらゆる事についていい意味で「どうでもよく」考えられる

ようになっていました。

今日はそんな話。

〜ほんじつのもくじ〜
1、鬱になって考え方を変えてみた
2、もうひとつの変化
3、まとめ

1、鬱になって考え方を変えてみた

鬱になった時、あらゆることができなくなってしまいました。

 食事をとることも、
睡眠をとることも、
お風呂に入ることも
全て。

ひどいときは何もせず一日が過ぎることもありました。

ただ寝るだけの日々。

 このままじゃいけないのは分かるけど、気持ちだけが焦って体は動かない。

でも、ある日逆の考え方をしてみたんです。

何もできないなら、何もしなくていいんじゃないか・・・?

ご飯が食べられないなら食べなくてもいい、
寝ることができないなら寝なくてもいい、
お風呂なんて入らなくてもいい。

 そしたら、案外平気だったんです。
(限度はありますが)

その時から、

「何もできなくても、案外人は生きていけるんじゃないか」

という考え方になっていました。

だって

「何もしなくても生きていけた」

から(最低限はしなきゃいけないけどね)。

 

そう考えると、

日々悩んでいた仕事も、
人間関係も、
地位も、
名誉も、
お金も、

すべてがどうでもよくなってしまいました。

生きることに比べたらこんなことはど~でもいい。

最低限のことさえできれば、あとのことはど~でもいい。

周りの目を気にせず好きなことをやればいい(それで危ない行為に走る人もいますが)。

2、もうひとつの変化

それと、人に優しくもなりました。

なぜなら自分がそれで救われたから。

人は間違いなく人とのつながりの中で生きているって事を感じました。

「人は忘れられたときに死ぬ」
某漫画のセリフにあるように、仕事以外の繋がりがなければ僕は死んでいました。
自分がどうしようもなく辛いとき、本当にいろんな人に支えていただきました。
この恩は一生かけて返さなきゃいけないと感じています。
ほんとにありがとうございます…!

 どうしたら返せるんでしょうか・・?

今はまだわからないけど、そんな人たちに恩返しができる存在になれたらいいな~!って感じです!

そのためには自分が好きなことをしている姿を見せるのが1番なんでしょう(多分)。

そして、周りの人にはもっと優しくならなくちゃいけないと思いました。

3、まとめ


長くなりましたが、
「毎日楽しくね~な~」
って人は、一度

「あぁ死ぬ!」

って思いをすればいいんじゃんかろうか・・・!

極論ですまんが・・・!

例えば。

海外の未開の地へ旅行に行ってみるとか、
死ぬほど飲んでみるとか、
私のように鬱になって仕事を休んでみるとか(これはあまりおすすめしないけど・・・)。

 つまり、「楽しくない!」と悩む前に、

何かしら動いてみては!

ってことです!!!

自分の場合は動く元気さえ無かったですが・・・。

でも、その場合は全て投げ捨ててしまえばいいんです(簡単に言ってごめんね)。

動くことには痛みが伴います。

それは覚悟しておいてください。

痛みも伴わずに自分の理想を手に入れることなんてできないと思うので。

たとえできたとしても、それはすぐ崩れ去ってしまうような気がすします(案外そんなことも無いのかもしれないけれど・・・)。

 でも、動いて苦しんだ先に見えてくるものがあるんじゃないかと思うんです。

振り出しに戻るかもしれないけど、その振り出しからの一歩は案外違った景色かもしれないよ。

読んでいただいてありがとうございました。
また書きます。
 

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