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年収300万以下のオタクが提唱する「健全なオタ活のための6つの心得」

現代日本は、国民総オタク時代に突入した。
今や国民全員が誰か(何か)を推している。

…と言うのは過言かもしれないが、「推し」という言葉が蔓延る現代において「オタク」であることは、かつてのように迫害されるものではなくなりつつある。

「推し活」や「オタ活」と呼ばれるものを趣味として楽しむ人が当たり前のように存在する。

そういったオタ活は人生に潤いを与えてくれる素晴らしい営みだと思っているのだが、時としてそんな営みが苦しいものへと変化してしまうときがある。

オタ活したいのに、お金がない。

そんな事態に陥ったとき、「推しから得られる幸福」を「推しを追えない苦しみ」が上回ってしまうことがある。

本来人生を豊かなものにするための「オタ活」が途端に人生を辛く苦しいものに変えてしまう。

そんな本末転倒な事態を引き起こさないため、年収300万以下の僕が心がけている理想のオタ活スタンスを提唱していきたいと思う。

収入が低くてもオタ活は楽しめる!!


◯完璧主義を捨てよう


オタクと呼ばれる人間の多くは完璧主義だと思う。

オタクという言葉の定義は難しいが、何か一つのジャンルを極めようとする熱意を持っている人間を指すのは確かである。

一つのジャンルを極めようとすることは、言い換えれば一つのジャンルに関して完璧を目指すということである。

故にオタクは完璧主義と言えると思うのだが、そんな完璧主義が不幸をもたらすことがある。

完璧主義なオタクは、推しコンテンツの供給を全て網羅したいと思ってしまいがちである。

現代のコンテンツ供給のスピードは10年前のそれとは比にならない。
もちろんコンテンツによって供給量は違うので、ものによっては少ないコストで供給を網羅出来る場合もあるが、極めて稀なケースだと思う。

膨大な供給量のコンテンツを全て追いかけようとすれば、よほどの大金持ちでない限り簡単に資金は底をつく。時間的なコストだってそれなりにかかる。

そうなれば、「追えない苦しみ」が襲ってくる。

なので、そもそも供給全てを追うことは不可能だという前提を持つべきである。
そうすることが「オタ活」で苦しまないための第一歩目だと僕は考える。


◯義務感を覚えたら黄色信号


全てを追わないのであれば、問題になってくるのが「どこまで追うべきか」である。

この線引きの方法の一つとして、「義務感の有無」を提唱したい。
完璧主義の前提でオタ活をしていると、コンテンツを「追いかけたい」という気持ちが知らず知らずのうちに「追いかけなくてはいけない」という気持ちに変化していく。
このような義務感が生じてくると「追えない苦しみ」が襲ってくるだけでなく、場合によっては無理してお金や時間を使ってしまう可能性も出てくる。

本来趣味というものは個人の自由で好きにやるもの。
趣味が「自由」の枠からはみ出し、「義務」の領域に足を踏み入れていないかどうかをしっかりと見極める必要がある。

義務感を覚えたら一旦オタ活は休んだ方が良いかもしれない。


◯あるものに目を向けよう


義務感を覚えたらオタ活を休むべき。

それってつまり、我慢しなくてはいけないってこと?

そう感じた人もいるかもしれない。
だが、僕が言いたいのはそういうことではない。

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