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ヒカキンの重課金について

まず最初に言っておくが、ヒカキンが100万募金したのは紛れもなく善である。100万のお金で、被災者支援が少しでもよくなるのだから、誰も文句のつけようがない。

だが、今回の重課金で「ヒカキンはやっぱり神!」とか言ってる人たちは目を覚ましたほうがいい。ヒカキンはようつべに一本数億円の収入がある有料チャンネルを4本持っており、年収は軽く10億を超える。総資産も桁違いだ。

そんなヒカキンにとっての100万円というのは、一般労働者の千円くらいのもんである。

逆に言えば、ヒカキンから見ればたったの(相対的な)千円でこういった評判や底辺層からの嫉視やっかみをそらすことができるのだ。むしろリーズナブル・・・っ! この100万は良心的・・・っ!!

もう一度繰り返すが、俺はヒカキンを「だからこいつは売名したいだけの偽善者」などというつもりは一切ない。100万は100万であり、寄付したということは紛れもない善だからだ。

むしろ、ヒカキンはこういう「金を使うべき場所」をわきまえているあたり、本当に賢いのではないか、とすら思えてしまう。

昔、「炎のチャレンジャー」という番組があったのを覚えているだろうか。「これができたら100万円!」というやつである。イライラ棒なんかが有名で、ゲーセンでも設置されるなど、社会現象になった番組だ。

この番組はけっこう好きだったのだが、一つだけ嫌なところがあった。それは、チャレンジを二人以上達成した場合、サドンデスに突入、一人になるまで戦わせる、というのだ。

これを見たときに、子供ながらに失望したのを覚えている。「なんだよ、これができたのに100万くれねーのかよ!」

不眠対決の時だったか、最終的にサドンデスでも決着がつかなくて、結局は賞金100万を山分けして50万ずつ渡したこともあった。この時も大きく失望したのを覚えている。

その後、番組も流行り廃りの波の中で消えていったが、このように金をけちる番組なら仕方ない末路だろうか。ギャラリーにしょうもない芸能人を呼んで高いギャラ払うなら、こういうちゃんと体張ってチャレンジする人に金を惜しみなく出すべきなのである。

その点、ヒカキンは出すべきところに出しているうえ、ようつべでそれを宣伝する、という全く無駄のない作戦を行っている。しかも「いっしょに募金しよう!」と呼びかけることで、「善の輪」に視聴者を参加させることで、視聴者も満足させようとしている。

第一印象としては、「頭いいなぁ~」である。ワタミもこういう目立ち方すれば叩かれなくて済んだんだろうけど、労働者への給料けちって過労死させるからダメなんだよ。

まあ、募金なんてもんはヒカキンのような金持ちや、それに先導された人たちに任せておけばいい。

俺たち小市民はどうせ税金でたんまり取られてるんだから、特に何もする必要はない。たいてい何かやったところで無駄な努力に過ぎない。といっても、人間何かをしたい、というおせっかい精神もあるので、そういう意味でも「動画で100万寄付して、視聴者にも少額寄付を呼びかける」というのは人間の行動原理にもかなっていると言えよう。

結局は、ヒカキンに重課金してもらうのが、社会にとっても、ヒカキンにとっても一番いいのではないのだろうか。今度は「万札で千羽鶴」なんてどうっすかね?

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