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『言の葉の庭』、やっぱり『糞の葉の庭』でした!

 ある人がクソ映画として勧めてくれたので、試しに視聴してみた。ただし、視聴する際に作業しながら視聴したことは念頭において欲しい。しかし、この映画をもしちゃんと見たなら、確実に発狂したと思うので、作業しながら見たことを許して欲しい。ちなみにこの映画を褒めてる奴らってスマホゲーでレベル上げでもしながら見てたのだろうか? まともな大人がこの映画を直視できるとは思えないのだが……

 以下は映画の内容に触れながらのレビューになるので、ネタバレが嫌だという新海誠ファンの人は読まないようにしようね!


 さて、まずはツッコミどころその1、主人公の男子高校生「俺、靴職人になるんだ!」
俺「靴なんて今頃東南アジアで作ってるだろ!」
 ということで、この話は早速終わってしまうのだが……
 しかしよく考えてみると、主人公は靴のデザイナーになりたいのではないだろうか? だったら靴のデザイナーになりたいって言えばいいだけの話だと思うが……
 さて、主人公がこんなことを言うから高校3年かと思ったら、普通に1年らしい。1年だったらまだ進路とかそこまで考えてないことも多いと思うが、えらいしっかりした高校生だなぁ、しかも家事もしてるし、て思ったら両親はダブル不倫して家出していた。

 はぁ〜……(クソデカため息)

 もうこれだけでおわかりいただけるだろう。
 この映画は恋愛至上主義の恋愛脳で作られています!
 なので両親は自分より若い相手と付き合うことを、子供を育てることより優先しています!
 冒頭で主人公と兄の回想で、母親が父親の不倫に対して「じゃあ私も不倫するもん!」というようなことを言っている。
 まあ、ふざけんなよって話だよね。子供からすれば親の勝手なエゴのせいで養育されずに放り出されるわけで。そんな状況で考えることって言えば「お前らぶっ殺してやる!」ではないだろうか。
 さらに主人公の兄は、女と同棲するから家を出ていく、という。こうなってしまうと、主人公一人でどうやって生計を立てているのか、非常に気になるところである。普通に考えれば15歳の男子に生活能力はなく、親の遺産(死んでないが)で食いつないでいくくらいしかないだろう。
 しかし、あの両親である。自分の子供や家庭よりも、恋愛が第一という頭にクソが詰まった両親が、子供のためにわざわざ資産を残しておいてやるだろうか?
 むしろ「そんな金あるなら遊びに使っちゃお!」となる可能性が高い。
 つまり、主人公はどうやって生活しているのだろうか? そんなことに新海誠は興味がなく、きっと恋愛さえすれば人生は幸せでうまく行くと思っているのだろう。
こういう恋愛脳的恋愛至上主義が、この映画のメインテーマになっている。

 さて、主人公は学校に家事にアルバイトに、と過労死寸前の日常を送っていた。そんな彼は雨の日が大好きで(どういう設定なんだよ、無理ありすぎだろ!)、雨の日は地下鉄に乗り換えないで、歩いて登校するのである。おかげで雨の日の一限目は必ず遅刻するそうだ(草)。
 そんな気取った高2病の主人公は、公園で酒を飲んで酔っ払った妙齢の女に出会う。果たして最初こそ「こんな時間に酒飲んでチョコ食ってるなんて……」なんて思っていたようだが(それ以前にお前も制服着てこんな時間に何してんだよって話なんだが、もうちょっと自分を客観的に見たほうがいいと思う)、消しゴムを拾ってもらうとなんとなく会話して打ち解けてしまう。
 これって恋ですか?
 いいえ、恋愛ごっこです。

 ということで、今度は女と若い男の密会が始まった。やがて主人公の夢がなぜ靴職人なのか、ということもここで明かされる。途中で女の足を計測して靴を作るシーンでちょっとエロく描きたかったんだろうなぁ……
 新海誠は足フェチなのかもしれない。乳好きなら下着職人という設定になっていたかもしれないが、それだとかっこよくないから、やっぱり靴職人という設定を考えたのはすごいと思う。普通なら金のない若い男がどうやって金を稼ぐか、と考えたらホストか半グレなどの違法行為くらいしか思いつかないが、僕たちの貧困な発想より遥かにぶっ飛んでしまった発想ができる、新海誠の真骨頂と言えるだろう。
 あとは指輪職人くらいしか思いつかないが、手では吉良吉影以外は勃起しないし、指輪職人ってサウロンっぽくなるのでやはり靴職人というオシャレ設定はある意味で秀逸としか言いようがない。
 そんな主人公は、やがてなんとなく酔っ払い女と恋仲になっていく。
 そして酔っぱらい女は、実は主人公の学校に務める教師であったことが判明。さらに教師を休職していたのだが、その理由が生徒の男子生徒から交際を迫られて、それが原因で校内で生徒からいじめにあって、というものだった。

 逆ハーかな?

 やがてなんでか知らないが、主人公と元女教師が一瞬だけ同棲する。

 はぁ〜、早くセックスしねえかなぁ。

 しかしそんなこと当然あるわけでもなく(だってオシャレ映画だからね)、突然のよくわからない告白をお互いにして、恋愛脳が加速したところできれいな晴れた空が描かれてほぼフィニッシュ!
 ということである。

 すまん、一つめのツッコミどころとか言っていたが、言い出したら止まらなかった。延々と長かったが、これでようやく一通りのツッコミどころを終えたので、新海誠の本質というのについて考えていきたい。

 この映画で思ったのは、とにかく映像はきれいであるということ。しかし、映像がきれいなだけで話やテーマなどは何もない。ここまできれいな空き箱はMacBookでも見たことがなく、あまりに割り切っていてある種の清々しさすら感じてしまうくらいだ。
 最後の晴れ上がった空にしても、都会のきれいな町並みにしても、美味しそうな料理にしても、ここだけ見ると美しい映像である。映像に関しては京アニを超えていると思う。映像というか、絵としての綺麗さ、とでも言おうか。
 このきれいな絵に恋愛脳が絶妙にブレンドされたのが新海誠作品の特徴だろう。
 そしてこんな作品を誰が見るかといえば、それは金と時間を持て余していて、年下の男の子にモテたいっち〜!と考えている専業主婦ではなかろうか。

 つまり、作品の主人公は男子高校生だが、マーケティング上の主人公は女教師ではないか、ということだ。

 そしてターゲットの主婦層は、主に女教師に感情移入しながら、きれいな絵を眺めてそういう気分に浸るのだ。

 新海誠作品は論理的に見るべきではないだろう。つまり設定や物語の整合性などを気にしてもしょうがないわけだ。
 新海誠は子宮を狙い撃っているわけで、子宮のない方はお帰りください、と心の中で思っているはずだ。絵もキャラも話も、全ては子宮へ捧げられているのであり、新海誠は頭で理解しようとしてもそれは不可能、子宮で感じるものだからだ。

 最後に、これだけは言わせてほしい。

 新海誠はクリエイターではない、マーケターである。

 彼は子宮を狙い撃ちにするためのアニメをこれからも生み出し続けるだろう。

 あと追加だが、最近では『天気の子』なるアニメを発表しているようだが、天気要素がこの頃から出てきているのは驚いた。初期のアニメでも空の描写にこだわっているのは明白だったし、そういうのが好きなんだろう。絵描きになればよかったのかもしれないが、さすがに今のイラスト業界では空の絵で生きていくのはかなり難しいと言わざるを得ないため、本人の生存戦略上も仕方ないことだろう。彼の類まれな才能は絵かきではなく、子宮を狙い撃つマーケターというのも判明した。
 これからも子宮を狙い撃つマーケターとして活躍していってほしい。

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