人生は計り知れない。ー3月のライオン16巻
待ちに待った3月のライオン最新刊。本日手に入れました!有給だったのでコメダでモーニングしつつゆっくり味わいましたよ。
例によって、力不足のため未読の方への配慮ができません。ネタバレOKよ!の方のみお読みくださいませ。
そしてこちらは、かなりわたくしごとエッセイな読書記録の記事になる予定ですのでご了承くださいな。
はじまりはじまり
さて、16巻は冬が本気を出してきた季節のおはなし。
クリスマスに年越し、桐山くんとひなちゃんたち一家のつながりも三年目を迎える今日この頃。桐山くんとひなちゃんの恋やら愛やらも着々と変化を遂げております。
感想はたくさんあるけれど、寒い日のぬくもりをとても感じるおはなしでした。すっごく寒い外から家に帰ってきて「おかえり」「ただいま」を交わして、あったかいスープを差し出されたような、そんなあたたかなおはなしです。
川本家、冬の恒例行事
ひなちゃんたち一家(川本家)は、毎年クリスマスに『年末年始にみんなで楽しめるもの』を贈りあうのが恒例なのだそうだ。
そして今回は、大量のおやつを食べながら、みんなでジグソーパズルをわいわい楽しんでいます。手練れのジグソー、楽しそう。
我が家ではあまり、みんなで囲んでする遊びをしたことがない気がします。誰もしたがらなかっただけだとは思うけれど、川本家と桐山くんが実に楽しそうであったので、素敵だなぁと感心してしまいました。
わたしの恋人くんは、実家で過ごしていた年末年始は、ボードゲームを囲んだりしたのだと教えてくれたことがあります。なんと仲の良い家族よ、と、やはりそのときも思いました。
川本家も、恋人くんのおうちも、すごくゲーム好きなひとが集まっていたからしていたわけではないのでしょう。もちろん純粋に楽しいからとか、なんだかんだ暇だから、とかいろいろ理由はつけられると思うのだけれど、きっと根底にあるのはちょっとぬくい理由なのだろうと思います。
家のひとところに集まって、そこだけが明るく、とても暖かくて、粛々とゲームやパズルやを進めつつも、なんやかんやと言い合っている。
それをはじめたきっかけも、それが毎年続いていく居心地のよさも、家族のみんなが心を寄せ合っているからだろうと思います。面倒臭いながらも付き合うときがあるのかもしれないし、また今年もこの季節がやってきましたね!と張り切るのかもしれません。毎年毎年、心持ちは違うのかもしれないけれど、家族みんなが、家族のかたちのひとつを共有して、それを続けていくというのはとても素晴らしいことだなぁ、と思います。
わたしも自分の家族ができたらば、こんな風に冬のあたたかさをつくりたいな。
「向いてる」って言うんじゃないかな
私思うんだ きっとこんな風にね しつこくてあきらめられない気持ちを「向いてる」って言うんじゃないかなって
ひなちゃんが、高校を卒業したら三日月堂で働きたいと語ったときの言葉です。
失敗したり焦ったり落ち込んだりしても、次こそは絶対!と奮起してしまうことを、向いていると言うのではないかと、そう言うのです。
また、こうも言いました。
「手伝う」のと「任されて自分で計画して最後まで自分で舵を取って成し遂げる」って全然違うんだと思った、と。
そしてわたしは思いました。16歳にそんなことを思われたら26歳読者(向いているものも成し遂げたことがあるものもない)の立場がない!と。実に耳が痛い。
わたしの高校受験のときには「美術教員になりたい」という目標がありました。
進学校に進み、教育学部に合格し、教員になるため、勉学に励みます。目標があるということと、それに向かって進めばいいだけの状態というのは、ある意味とても楽である。
「夢を持って行動する」というだけで、社会において市民権を得ているような気持ちになれるのです。
しかし4年の教育実習であんなに教員になりたかったこころを放り出してしまった。なんのこれしき、とは思わなかったので、ひなちゃんの定義からすると、向いていないのです。
今現在、やりがいとはほど遠い、福利厚生重視の仕事に就いて、なんの変哲もない毎日を繰り広げております。
「それの何が悪いんだ、やりたいことや好きなことを仕事にするのが偉いのではない」「どんな仕事にだって意味はある、誰かがやらなきゃいけないんだろう」
そんなことは分かっているのだけれど、自分の中の反抗勢力がいつもいて、そんな人生でいいのかい?と心配そうな顔でこちらをうかがってくる。
何をしたら生きたことになるのか
なぜかわからないが、人生においてそこそこ重要な問いであるように思っています。
いつだか『100万回生きたねこ』を取り上げた大学の授業で先生が解釈を述べました。「恋をしなければ生きたことにならないということですね」
これがあまりにも心に残ってしまった。
わたしは何をしたら生きたことになるのだろう。
「ものを生み出すことに価値がある」これはなんとなくわたしの中に根付いている価値観です。
そんなわたしは、絵を描いたり、文字を綴ったりすることがそこそこに好き。
常に趣味として続けているかと言われればまったくそんなことはないが「やめている」という意識はなく、いつだって思い立ったらやろうという心づもりでいます。
実際のところ、作品にならないまでも落書きをしたり、LINEスタンプを作ろうとしてみたり、詩を書いてみたり、手紙を送ったりすることがあります。
こころの落ち着くところや、夢中になるところ、考えが苦にならないところがそれらにはあって、離れている時期があっても、なんだかんだで帰りつく時期がくるのです。
しかし結局のところ、ものづくりとのスタンスも「その程度」の域を出ないので、生業にするほどの勇気もない。
しかしそれらに、わたしがわたしであることの意味を感じるのは確かです。大学の卒業制作は、自分なりにも納得でき、評価もよかった。紛うことなく、わたしがわたしである作品でした。
今の記事でも、3月のライオンから相当派生して、誰も興味のなさそうな自分語りをしている通り、わたしは自分が何を感じどう考えるのか、に目を向けたり、それを表出することが好きなのだと思います。好きと言うか、そうしてしまう。
表出の仕方として、絵になったり文章になったりするわけですが、ただの自分語りになるのか、人々に感銘を与える芸術作品になるかが運命の別れどころ。
自分のなかにあるものと、自分のそと(他者)が持つものの共通部分を「うまいことする」と作品として存在できる。もっと言えばお金をうむ作品になる。
お金を稼ぐには「その程度」から脱する必要があって、その展望が全く見えません。何を手繰り寄せいけばいいのか、さっぱり分からないのです。
そうしてくすぶり続けて、もう4年といったところであり、来年5年目を迎えることでしょう。
落とし所も不在だ…ひなちゃん、この物語の読者はこういう人間です。
かわりばんこにはげまし合いながら歩いていこう
いかんいかん、いくらなんでも自分語りが過ぎた気がするよ?ふたりの話をしましょう。桐山くんとひなちゃん、わたしと恋人くん。(結局、自分のこと話すんじゃないかって?ええ、ここの記事はそういうシリーズなのです)
桐山くんが独りで暗闇に立ち向かい、積み重ねてきた今までを台無しになんてしたくないと目の前の3っつ目の理由が言う。人生って なんて計り知れない!
これは桐山くんの心の内です。3っつ目の理由ってどこが出典だ?と思いつつ、人生の計り知れなさに共感の26歳独身。
わたしのこの夏は入院することになったり、子どもができないかもしれないと絶望感を持ったり、思わぬことからプロポーズするに至ったりと、実に計り知れなかった。きっとこれからも想像もしていなかったことが起こり続けるのでしょう。
そこに染み入るひなちゃんのおばあちゃんのことば。「かわりばんこにはげまし合っていけばいいんだ」
そうだなぁ、そうできたらいいなぁ。共倒れしないといいよなぁ。そんなことを思いつつ、ほんとうに素敵なことばだなぁと純粋に思いました。「困ったときはお互いさま」ということばよりも近くて、永続的な意味合いが感じられますよね。
確固たる親愛で結ばれたひなちゃんと桐山くんですが、会いたくて会えなくて、そんなこと今まで感じたことがなくて一大事!な、なんと初々しく可愛らしいふたりなのだ、という一面も見せてくれます。
そうなのだよね、こころが重なれば重なるほど、近くにいることがとても当然のことのようになっていって、離れがたくなってしまう。そうなのよね。と思いました。3月のライオンを読むために恋をしていたわけじゃないけれど、恋をしているからひなちゃんの思いを想像できて、恋をしていてよかったな、と思った次第です。
それにしても、実に可愛いふたりである。
ごはんって…すごいよね
最近「ごはんってすごい」というのがわたしの中でキテいる。
恋人くんと年に一度のお祝いフレンチに行ったときに、目の前の彼が実に幸せそうな顔をしていたのでそう思った、というのが発端なのだが、16巻でそれを再認識したな、という感じです。
3月のライオン読者ならご存知のとおり、たびたび川本家のごはん事情が登場します。レシピまでばっちり、なんてことも少なくありません。
あかりさんの料理上手さはもちろん、安くておいしくてあたたかく家計を守られていることがのぞき見えるし、祖母や母から受け継いだ歴史があったり、レシピと出来事が結びついていたりと盛りだくさん。
今回、対局に備える桐山くんに、ひなちゃんたちの提案でおにぎりとお味噌汁セットを持たせてあげていました。
先日たまたま、わたしも恋人くんにさつまいもごはんときのこ汁を持ち帰ってもらったので、あれは持たせる側も、とてもしあわせなことなのだと知っているのです。
一人暮らし成人男性は、自炊もできるし、今のご時世、外食も中食もばっちりな環境が整っていますよね。ごはんにありつけないことなどないのだから「お母さん」になる必要はないのです。
ではなぜごはんを持たせるのか。
持たせたごはんを食べるひとを想像するのです。きっと忙しい夜勤を終えて、あり合わせのものでごはんを済ますのだろうな。それだっておいしいさ、だけど「恋人や家族がつくったごはん」には、いろいろと付随するおいしさと安心感があるのだよ。
それもまた知っているからこそ、それを持って帰ってほっこりしてほしいと願う。そう願えることはとても幸せです。
そしていつとおいしいごはんを作るあかりさんにも、ぜひ幸せになってほしいですね。(今だって十分幸せよ?と言われてしまうかもしれないけれど)
冬がはじまる
将棋会館のみなさんのエピソードも楽しみつつ、やはり今回はひなちゃんと桐山くんに注目してしまう回でした。
いま、秋がはじまったばかりのような気がしますが、きっとすぐに冬が来ます。
寒い冬はあまり好きではないけれど、ひとの暖かさをたくさん感じられる季節なのかもしれません。
少しだけ、冬がたのしみになりました。
17巻もね。それではおしまい。
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