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ああもう女なんてまっぴらごめん、か!?

すっごく暗い顔してディ◯ニーランドのベンチでお茶してやりたい。そんな気持ちである。

そもそもの発端は、先日、水族館に行ったときのことだ。セイウチがショーをする裏で、カワウソがまぐわっていた。

なんて動物らしい瞬間が見られたんだ。水族館に来た甲斐があるってもんだ、と感動した。ちなみに正常位だった。

受けのカワウソさんの表情がいかにも苦しげであり「ああその気持ちわかるよ」と感慨深くなった。恋人にそう言うと謝られた。君が悪いんじゃないさ。

まぁとにかく、どうしても女という体のつくりは何かと痛いのだ。

女、もちろん(わたしの場合)であるが、
最近は行為の際に、会陰だろうか、切れる癖がついてしまって痛い。

なるべく角度を調整したりして努力しているが、終わったあとトイレで傷口が沁みるとしばらくの不快さを覚悟する。

終わった後ならまだいい。最中が痛いと「早く終わってほしいな」なんて思ってしまう。「早く終わってほしい」なんて思っていることが知れたら彼は傷つくだろうなと思いながら、自分の冷酷さを静かに見つめている。

ところで『夫のちんぽが入らない』という作品をご存知だろうか。わたしは今日マンガ版を読んだ。タイトルはちょっとぎょっとするが、中身は実に豊かなものであった。

ぜひともお読みになるといいと思うが、とにかく作中の「私」は、夫のちんぽをその身体に入れることなく、紆余曲折ありながら、性のにおいのしないところにたどり着き、居場所を見つけたそうだ。

性のにおいのしないところか。わたしにはまだ当分先のことのように思えるし、できればまだそこに行きたくない気持ちでいる。

しかしながら、それはつまり、女のからだとまだまだ付き合っていくということか、と思うと、ディズ◯ーランドで暗雲たる表情を浮かべながらこの世の幸せそうなものを恨みたくもなるのだ。

ちなみに恋人との行為において、彼に対して不満があるわけでは一向にない。前述の切れやすいお股や、果てることのできない自分の体こそうらめしく思うが、快感のためにのみ触れ合ってるのではないのだから。(しかしこう言い聞かせている、という側面はある)

セックスに限らず、女性ホルモンに支配されてた体は何かとマイナートラブルを起こしがちである。

なんだかだるい、なんか頭いたい。

そう思ってるとだいたい赤いものがパンツについていたりするわけだ。

ああまた君か、女性ホルモンくん。

わたしは女性ホルモンくんとの付き合いにおいて、ヤーズフレックスさんというのを通している。ヤーズさんはいわゆるピルってやつだ。

何故そんな仕組みを築いているかといえば、わたしの体には子宮内膜症さんやチョコレート嚢胞さんが巣食っているからである。

まぁまぁかなりポピュラーな婦人系の病気だ。耳にしたことがあるひとも多いだろう。

生理痛が重かったり、不妊の傾向があったりするらしい。

今はヤーズさんのおかげで生理痛とは疎遠になっている。ありがたいことだ。不妊という文字には震えている。だって子どもがほしいのだ。

生理痛ばっかり辛くて子どもも取り上げられるな
んて、あんまりだ。それとも産めないことのしるしをわざわざ示してくれているのかしら。

子どもがほしい、そこには何か高尚な理由づけがないと許されないような、そんな雰囲気を感じている今日このごろだが「どうせ生まれてくるならば、わたしたちのもとに来ませんか」という気持ちがあるから、というのでは不十分だろうか。

それなりに分別があり、そこそこに真面目でほどよく面白おかしく、たくさんの愛情を注げる両親になれる気がするのだ。わたしたちは。

産みたい気持ちがあっても応えてくれるか分からない体に、とっても翻弄されている。

「いつできるだろう。早く産まなければどんどん可能性はなくなりそうだ。だけどわたしたちカップルの人生は、真っ直ぐそこを目指す事を諦めないといけないみたいだ。転職はできるだろうか。不妊治療をするのだろうか。産休や育休は取れるのだろうか。菓子折りは何を持って行こうか。」

こんなことばかり考えている。いや、菓子折りはさすがに考えない。盛った。けれど大げさではない。職場であれこれ頭を下げるのは、夫ではなく妻自身なのだから。

別にそれくらいいいじゃないか。女性の多くが通る道さ。夫だって頑張ってるだろう。

その通り。その通りなのだが、最近、頭をよぎる。

「男はいいよね、出すもの出すだけでさ。」

そんな訳はないのだ。そんな訳はない。この世の半分を敵に回してしまった。恋人からは婚約を解消されるかもしれない。あんなにもわたしの不調に向き合ってくれているのに。

それでも、どうしても、思ってしまうことがある。「自分のからだなんて、女のからだなんて、もうごめんだ」そんな気持ちを「男はいいよね」と言い換えることで自分を守っているのだ。

行為に痛みの伴わない性に、「2人目が生まれるんだよ」なんて言う産まない性に、架空の無責任さみたいなものをなすりつけて、どうしようもない性の不平等さを片付けようとしている。

こんなことを書いていて、恋人はこれからもわたしを抱いてくれるだろうか。

わたしはこんな風にとても器の小さい人間だ。この汚さを知っていてほしいと思う。

男性に不平等さを埋めてほしいという願望はない。わたしが八つ当たりをしようものなら、諭してほしい。あんたそれは違うぜって。お願いします。

あーあ。女なんてまっぴらごめんだ。だけど母になるために何がなんでも女でいたい。少しくらいなら痛みも我慢します。産みの苦しみは背負います。だから赤ちゃんに出会えますように。女でよかったと、思えますように。

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