読書を記す『すべて真夜中の恋人たち』
記しますか。読書。今日は文化の日ですからね。文化的なことをしておきましょう。
ネタバレに配慮するとかいう思いやりの深いことができないので、今後読むつもりの方はお引き取りいただいた方が良さそうです。
よろしいですか?
(ちなみにとても主観的な感想文になります)
あらすじ
こちらをお借りして…
内容紹介
<真夜中は、なぜこんなにもきれいなんだろうと思う。それは、きっと、真夜中には世界が半分になるからですよと、いつか三束さんが言ったことを、わたしはこの真夜中を歩きながら思い出している。>
入江冬子(フユコ)、34歳のフリー校閲者。人づきあいが苦手な彼女の唯一の趣味は、誕生日に真夜中の街を散歩すること。友人といえるのは、仕事で付き合いのある出版社の校閲社員、石川聖(ヒジリ)のみ。ひっそりと静かに生きていた彼女は、ある日カルチャーセンターで58歳の男性、三束(ミツツカ)さんと出会う・・・。あまりにも純粋な言葉が、光とともに降り注ぐ。
ちょっと心惹かれるあらすじですよね。わたしはこのあらすじの中の引用文や、真夜中や、散歩や、校閲という仕事に関心が湧きます。
文章としては、とてもさらさらと読めました。わたしの持つ言葉と、浸透圧が同じというか、すっとからだに馴染む言葉たちだと思っています。
わたしより9つ歳上の主人公
わたし25歳。主人公、34歳。9年後、どうしているんだろうな、と思いました。でも、ここに描かれている主人公の生活は、わたしが今繰り返している生活と何が違うのかと言われると、そう大きくは違わないように思えます。寝て起きて仕事をして、たまに数少ない友人と言葉を交わす。たぶん、9年後もそんな感じでしょう。
この主人公、なんとも人との交流に明るくないんですね。わたしも「内向的」に◎がつくぐらいの人間ですが、彼女は四重丸くらいつきそうです。しかしコミュニケーション力がないとか、そういう能力的なことではなくて、資質がそうさせているようなひと。お喋りな人間ではないけれど、喋らせてみると彼女の独特さが匂い立って、それを面白いと思えるひとにはなんとなく刺さるものがある。そんなひとだと思います。まぁでもやっぱり対外的なことの多くは苦手だから、どこかこの社会からは浮いている存在なのでしょう。
わたしは少し、いや、かなりこの主人公に、自身の内面的な部分を重ねました。彼女のほうがより極端ではあるけれど、あらゆるところが少しずつベン図の共通部分を作っているように感じられて、なんだか恥ずかしくなりながら読み進めなければなりませんでした。
真夜中の散歩は夢と現の間で
その夜は、みえるものすべてが異様にくっきりとして、目に映るすべてがわたしに何かを語りかけてくるような、そんな感じがした。なんの変哲もない、見慣れたいつもの家々や、電信柱や何もかもが、なんだかとても誇らし気に輝いているようにみえたのだ。
彼女が25歳の誕生日に、ひとり真夜中を歩いてみようと思って感じ取ったこと。
なんとなく、分かるような気がします。そういう時がある。というのが正しいでしょうか。そんな風に見える特別な日というのが、なんだか心躍る夜というのがあるように思います。
自分の人生の主人公は自分、なんてことを常々思えるような人間ではないけれど、ある日のある夜、ひとつの物語の主人公になれたような。真夜中の道をくるくるとまわり、スカートを揺らしながらステップを踏めば、軽やかできらきらとした音が響くのではないかと、そういう幻想の中に入り込めるときが、ひとには何度か用意されているのかもしれない、と思いました。
石川聖という友人
石川聖という主人公の友人。このひとの言葉に、そうかもしれない、と思ったところがひとつ。
うれしいとか悲しいとか、不安とか、色々あるじゃない。テレビみて面白いなあとか、エビ食べておいしいなあとか、なんでも。でもね、そんなのっていつか仕事で読んだり触れたりした文章の引用じゃないのかって思えるの。
オリジナルの感情なんてなくて、何もかも二番煎じなのではないか。これはわたしがこの本から得た新たな物の見方かもしれません。自分のこころを、今までに触れたことのあるものに当てはめて、名前をつけたような気になっているのかもしれないなと思いました。
それでまぁ石川聖、面白いこと言うなぁと思ってたんですけど、わたしはこのひとがちょっと苦手です。主人公を通して、わたしに図星をつきつけた人物だからでしょう。
主人公が、人生の一片を味わいながらべそべそに泣いて、なんとも暖かい疲労を体に纏いながらついた家路に聖は居て。家にあげた聖は、主人公のその夜の顛末を、彼女の尺度で聞いていくのです。
そして、主人公の「我が身可愛さ」を指摘しては『小学生みたいなセンチメンタルにどっぷりひたって自分の欲望を美化して気持ちよくなってるのがはたからみてて、すごくいやなんだよね。』なんてことを言ってのけます。
「余計なお世話だよ、ほっとけよ」って言いたくなりません?わたしは言いたかった。でも言い得ているところも大きくて、うわあってなります。
だからちょっと苦手。
恋に必要なのはすこしの勇気
だと思いませんか?
この言葉を音にして発したら、次の瞬間、相手はどんな顔をするんだろう。そんなことにどきどきしながら、すこしの勇気でもって近づいていく。
主人公が、駅の階段の角の手前で三束さんを呼び止めたとき。高校教師である三束さんとの関係が、ただの生徒と同じでは不愉快だと、言ってしまったとき。(しかし意思をもって言ってみたのだと思う)。
そういうのを、小さな勇気と呼ぶのではないかとわたしは思うのだけれど、そういう、自分と相手の境界線をどこまで向こう側に引けるのか、とにかく手を伸ばしてみることが恋には必要だったりするのではないかな。そしてその勇気を主人公から感じて、自分の中にある引用元を探したりしたのでした。
わたしが初めてセックスしたのは、
高校三年生のときだったそうです。早いね。遅いと思うひともいるでしょうが。
主人公にとって、なんとも苦い思い出のようでした。確か事の最中に「いやだ」と3回言っている。それでいて、自分の意思で僕の家まで来たんだろ?というようなことを言われ、なんだか釈然としない男の子の言い分をぶつけられて帰るのです。
わたしが初めてセックスをしたのは、23か24歳のときです。「か」というのは、そのどちらか覚えていないのではなくて、どちらを初めてと言っていいのか不確かである、というところ。
23歳のほうは、苦い思い出です。みっともないのでここに記すのは差し控えますが、稚拙さを恥じていますね。なんというか、苦さを思い出しました。
初めてのはなし、積極的には話せませんが、白状してしまいたい(白状という表現はちょっと違うけれど)と思うところもあります。困ったものですね。
あなたの初めては苦くありませんでしたか。
声をあげて泣いた夜がありますか
主人公が三束さんに思いの丈を伝え、こみあげるものを溢れさせながら、誕生日の真夜中を、一緒に過ごしてほしいとお願いする場面。三束さんはただただ優しく、いや、柔らかく受け止めていました。
わたしはこのシーンにもやっぱり思い当たる節があって、24歳の恋を思い出していました。
主人公と三束さんは25歳の隔たりがあるけれど、わたしとそのひとは15歳の時の流れを隔てていました。
そのひとの思いやりと、わたしのすこしの勇気によって恋心を抱き、しかしそれは歳の差のために叶いません。本当に歳の差が理由なのかは分からないけれど、今となっては知る由もなし。
とにかく、わたしははじめて恋らしい恋をしたのです。
そのひとの名前が好きだったし、車の中で聴く音楽や速度が心地よくて、とても柔らかい声に耳を傾けました。同じ世界の言葉を持っているようでとても近くに感じたのを覚えています。
24歳のわたしはとても不安定で、吹けば飛ぶような気持ちでした。そのひとは、そんなわたしをいつもなだめてくれ、その夜も、そうでした。
わたしが、もう本当に、どうしようもなく沈んだ気持ちでなんとか生きていて(今思えば何も大した理由は無いのです)、生きるのをやめてしまいたかったとき、わざわざ仕事が終わったあと、1時間以上の道のりを、会いに来てくださいました。
わたしの何がつらいのか、わたしがおずおずと話し出すまでじっと待ってくれ、わたしはいよいよ話すことになります。
わたしは、わたしが生きていて良かったのだと、わたしではない誰かに認めて欲しかったのでした。親でも友だちでもなくて、わたしが、何か大きな影響を与えたかもしれない誰かに、大切は誰かに、そう認めて欲しかったのです。
そうしてわたしは、そのひとから、世界でいちばん欲しかった言葉を貰いました。そのひとの腕に抱かれながら、本当に心から泣いた夜だったように思います。
わたしにとってそのひとは、小さな神さまでした。わたしはそのひとから、とても大きなものを、土台のようなものをもらって、ようやく大丈夫になれたのです。
すべて真夜中の恋人たち
主人公の恋もまた、叶いませんでした。しかしこのみだしの言葉を、主人公は生み出したのです。何の引用だとしても、自分の光としてのそれを、生み出しました。
わたしのほうはと言うと、その恋を終え『栞』という作品を描き上げて、そっと閉じました。
恋に栞を挟んで、「大丈夫」という大きな安心を抱えながら、わたしは次の頁に進んでいます。
わたしには恋人ができましたが、彼はわたしの神さまではありません。彼が神さまでいたいと願ったとしても、わたしの願いは、かっこ悪い人間であってほしい、一緒にかっこ悪く生きていってほしいということです。
主人公も新しい光を見つけられているでしょうか。わたしと彼女はあまりに似ているから、彼女もまた、かっこ悪く恋をはじめているかもしれませんね。
———読書感想文、こんな感じでよかったかしら。
とても素敵な作品でした。わたしの視点でみると、こんな風です。よかったら読んでみてくださいな。
おしまい。
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