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砂丘をたずねて三千里

これは、僕が一人旅で千葉から鳥取砂丘に行った時の感動を記録したものだ。


前に砂漠に行きたいという欲求をつらつらと書いた。


これを書いてからふつふつと砂漠に行きたい欲が湧き上がっては抑えていたけれど、まとまった休みを取れたので、あとは野となれ山となれとばかりに思い切ってひとり旅に出た。鳥取まで。

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3泊4日で旅行は計画したが、その内で一番のメインだったのは、鳥取砂丘。
朝一で見るために、前日は砂丘から徒歩20分の宿を予約し、7時には砂丘に繰り出した。



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砂丘への入り口は3,4箇所ほどあり、これはその内の一つ。
この入り口から既に砂の道ができている。ここから先は、砂の世界。


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東西に16km、南北に2kmという広さと、一番高い地点で92mという起伏を有する鳥取砂丘。この写真は、砂丘の最頂部である「馬の背」の一部を写したものだ。
入り口の狭い道と、このひらけた場所に出た後の視界の広さのギャップにただただ驚かされた。


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砂丘の最頂部まで登るためには、この急な勾配を徒歩で登っていかなければならない。砂が柔らかいので足を取られる上、手すりや杖はないためバランスをとるのが難しい。そして足元のスキマからスキマへと細かな砂が流れ込んでくる。あとで気づいたけれど、靴の中だけでなく靴下の中にも砂が入り込んでいた。


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登りきって後ろを振り返って見えた景色。
砂丘が広すぎて、人がアリ並みに小さく見える。
「帰りはこれを下らないといけないのか」と、軽く先が思いやられた瞬間である。

そして、海側に目を向けると、視界いっぱいに砂丘と海岸線と日本海が広がっていた。


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朝の時間だったのと雲が多かったためか比較的涼しく、また穏やかな風がどこまでも吹き抜けていき、限りなく快適に近いコンディションだった。


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遠くに見える小さな島は、鎌倉幕府を滅ぼした後醍醐天皇がかつて島流しにあった隠岐島。
海を挟んでこの砂丘をいつでも見られるのなら、この島流しは処罰ではなくむしろご褒美ではないかと思えてしまう。


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最頂部にたどり着いて以降、空と海の境界線だとか、波打ち際とかを眺めては、この砂丘を形作る砂たちに目を向け、手を向けていた。掴んでみると、少し伸びた指先の爪に、砂がこれでもかとぐらいギュウギュウに詰めてきた。
砂を手からこぼしてみると、風に乗って日本海の方へ流れていった。海の近くだけれど砂はとても乾いていて、でも手に取ってみると液体みたいにさらさらと手先から流れていく…

ここでは時間がゆっくりと、ゆっくりと進んでいくように感じた。


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気温が上がっていくにつれ、周りの観光客の数も増えていった。けれど、みんな遠く遠くの景色の写真は撮る一方で、足元の近くで見えるキレイな、やわらかい砂を写真におさめようとはしていなかった。
これだけスケールの大きい空間の土台を形作るもの一つ一つが、いかに小さくて細かいかを感じてほしい。周りの景色はもちろんキレイだけど、砂もすごくキレイ。砂汚れという言葉があるように、砂は汚いものというイメージが少しあったが、この砂丘の砂を肌で感じてみてそのイメージは完全に裏切られた。

それからは、シートを用意しないままで砂丘の上に寝転がって、しばらく打ち寄せる波の音と観光客のノイズを聞いていた。厚い雲に埋めつくされた空模様に反して、心はだんだんと澄んでいった。


***


鳥取砂丘に滞在した2時間は、体感だと6時間ぐらいの長い時間のように思えた。それぐらい、砂丘は退屈だった。いい意味で。

大げさかもしれないけれど、砂丘の最頂部で海風を全身に浴びている時は、生きることからあらゆる目的が取り払われたような感じがした。明日までにやらなきゃいけない課題とか、来週の予定とか、来月までの学会発表準備とか、そういったものが全て頭の中から追い出されて、今見えているものだけに意識が集中している感じを味わった。あるレビュアーが「鳥取砂丘にいくと人生観が変わる」と言っていたのはこのことだったのだろうか、と思う。


しかし、ここはあくまで砂丘であって砂漠ではない。
息を吸っても肺は乾かないし、ラクダの骨は転がってないし、何より砂漠に水はほぼない。

それでも自分が砂漠に求めていた、侘しさの中に満足を覚える感覚を肌で実感できた。そして自然の雄大さを実感できた。あらゆる面でスケール感に圧倒させられた。


あとは日没の鳥取砂丘と、流星群の時期に鳥取砂丘の夜空を眺めることができたら、いよいよここが自分のアナザースカイになるだろうな。


おわり

ここまで読んでくださりありがとうございました。