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狐の張子面(兵庫県・姫路市)_20190418

お稲荷様ってなんだろう?

一対の狐が赤い鳥居の横や社殿近くに祀られている「お稲荷様」ってなんなのでしょうね。

やたらと日本のいたるところにある「〜稲荷神社」ってありますよね。よく昔話なんかでは狐は妖怪になって人を騙したり悪さをしたりとか、あまり良いイメージないのですが、だからこそ祀るんですかね。

「稲」と「荷物」という字面もなんだろう。

郷土玩具にもよく出てくるモチーフのこの狐ですが、もとは「田の神の使者」として俗信されていたようで、それが渡来民の秦氏から伝わった氏神的な稲荷信仰と合わさり五穀豊穣を司る「穀物・農業の神」として祀られ、秦氏の勢力拡大によって信仰も広まっていったようです。

また「稲成り」の意味だったものが、稲を荷なう神像の姿から後に「稲荷」の字が当てられたとされる説もあります。

ちなみに以前に『伏見人形』を紹介した際に出てきた京都の伏見稲荷大社が、全国にある神道上の稲荷神社の総本宮です。

姫路は全国有数の張子面の産地

姫路といえば姫路城。いつか行ってみたい名所で歴史は700年近くを誇り、後の豊臣秀吉(当時は羽柴秀吉)もいたように、西国統治の重要拠点でした。

重要拠点の城下町は当然ながら人の往来が多く発展しました。

そんな姫路城下では張子の材料となる不要となった反故紙が豊富にありました。これを材料にして明治初期から生産が始まったのが「姫路張子」です。

姫路城下に住む姫路藩の絵師だった豊国屋直七が大阪で制作技法を習得して帰り、つくり始めたそうです。幕府解体後の明治以降に、近隣都市で張子技術を学んで張子をつくり始めるパターンです。

以前も『浜松張子』の紹介の際に似たような話を書きましたが、権力構造が変わると権力に近い職業やそこに付随していた商売が成り立たなくなるということでしょう。

浜松張子は幕府が解体され禄を失った旧幕臣の三輪永保(ひさやす)が、江戸から移住して浜松の引佐郡(いなさぐん)で郡書記(今でいう公務員でしょうか)に就くかたわら、江戸風の張子玩具をつくったのがはじまりとされています。

こうして明治初期につくりはじめられた姫路張子は、最盛期の昭和10年頃には全国各地に販路を持ち、さらには台湾や東南アジア方面にまで出荷されるほど量産されたそうです。

現在は豊国屋直七のから5代目にあたる松尾晢さんが生産に従事されており、「姫路市 書写の里・美術工芸館」で販売ならびに制作実演や張子教室をされています。

狐のお面をつくってみた

姫路張子の中でもお面の張子は特に種類が豊富で、現在はどうか確認できませんが、30を超える種類の張子面がつくられていたそうです。

その代表的なものが今回つくった「狐面」です。

昔の農村にいそうな子供に狐面をかぶせた人形にしてみました。

この子供のモデルはつげ義春の『ねじ式』に登場するキャラクターです。
あとで確認したらこの少年、機関車の機関士のようで手に持っているのは棒切れではなく、機関車の装置レバーでした。。

【張子制作MAP】

28/47まできました。関西は歴史が分厚くて面白いなあ。あまりちゃんと巡ったことがないので、近いうちにじっくり巡ってみたいです。次回は近畿地方ラスト、和歌山県の郷土玩具です、と思ったらとんでもないミスをしでかしていたことに気がつきました。伊勢神宮のある三重県を忘れていたー!!!!何をつくるか決めてもいない県が突如現れた。。。


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