#50「能天気作戦」遂行できず。

仕事でもプライベートでも、自分の思い通りにならないと、還暦間際になっているのにやはりイライラする。

四十にして惑わず。五十にして天命を知る 六十にして耳順う

と我が師「孔子様」が遙か昔におっしゃっているのに、出来てない自分にどんな言い訳ができるだろうと考えてみるも、なかなか答えは出ない。

まあ孔子様の時代に比べたら平均寿命も伸びているのだから、20年くらいの成長の遅れは許してもらうとしても、もう惑ってはならない年代には来ているはず。

【惑う】とは

1 どうしたらよいか判断に苦しむ。2 道や方向がわからなくなる。まよう。「知らない街角で惑う」3 悪いことに心が奪われる。「誘惑に惑う」4 うろたえる。あわてる。5 (動詞の連用形に付いて)ひどく…する。「思い惑う」「踏み惑う」

と言う意味らしい。

これ全部現役実行中な私は本当に反省しなければならないが、この惑いを防止する方法はどうすればよいのか?ネットで色々調べてはみたが、やはりその方法は、自分で自分に合ったやり方を見つける他無いようだ。


そこで取りあえず試そうと思ったのが「能天気作戦」だ。

能天気とは「悩みなどなく、何も考えていないことを指す言葉。対義語として、些細なことにも気を病む「神経質」などが挙げられる。能天気は相手を蔑むようなニュアンスがあるのに対し、似た意味の「楽観的」は物事を良い方向に捉える考え方を意味する。」

この能天気だが、若い頃はずーと「ノー(NO)天気」だと思っていた。

「あの人はノー天気な人だなねー」と聞くと、どんな天気でもお構いなしに気楽な人つまり「お天気屋さん」の対義語だと思っていた。気分をお天気で変えない、メンタルの強い人と言う良い意味だと思っていが、どうも本来は悪口の部類に入るようだ。

まあそれを「楽天家」と変えたところで、さほどポジティブ感は私には感じられないが。しかしイライラして誰かに八つ当たりするより、「能天気の奴だ」と言われていた方が、他人様に迷惑をかけずに済むと言うものだ。

だから、人に注意するとか、教育するとか、躾を施すとかを止めてしまって、いつもニコニコ笑顔を振りまく、寛容の権化になる事にする。

名付けて「能天気作戦」 これを遂行すれば、惑うことなく明るい老後を迎え、あと10年後には天命を知り、20年後の80歳になった時には、人々の身勝手な意見を素直に受け入れる、扱いやすい「都合のいい老人」になれるだろう・・・。



ここまで書いてハタと気付いた! 私の成長は孔子様の時代に比べて20年ではなく、30年遅れている。すると未だこれから立つところではないか?

私はまだ立てるだろうか?

いや、あと10年は惑い続けるなら、立っていなければならないと思った。


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