『怪盗対名探偵 フランス・ミステリーの歴史』(抄) 松村 喜雄
【ガストン・ルルーはこの分類に従えば、社会派作家といった方がいい】
ガストン・ルルーはフィユトンの王様だった。
フィユトンとはフランスでいう新聞小説のこと。《フィユトンはもともと社会派の色が濃く、作家には新聞記者とか編集者出身が多い》と松村が言うとおり、ルルーもまたかつて「ル・マタン」紙の特派記者だった。つまり、ルルーは《社会派作家》なのだ。
しかし、この《社会派》は、当然日本の《社会派》とは意を異にする。日本の《社会派》がシリアスな基調と社会問題の提起を軸とするのに対し、フィユトンは―つまりルルーは―ドラマチックな筋立てと問題の解決を軸に置く。
《社会の表面に現れた現象の裏には、必ずもうひとつの隠れた顔がある。ルルーは、ルポライターと弁護士の経験から、事件に裏表があることを熟知している。ルルーはこうした闇の仕組みを白日のもとにあばき、真実を明らかにする仕事に、エネルギッシュな情熱をもって没頭する。ルポライターとしての豊富な経験とドラマチックな作家としての才能が混然と一体化して、小説と劇作に開花する》
であるから、『黄色い部屋の秘密』もまたフィユトンとして書かれ、フィユトンとして当時の読者を楽しませた。ただ『黄色い部屋の秘密』と他のフィユトンとの違いは密室があるかないか、ということだけである。そして、たまたま《トリックが探偵小説史上稀にみる独創性をもっていた》というだけのことなのである。
しかし、それ以上に驚くべきことがある。
《ルルーの「黄色い部屋の秘密」は、ポーの「モルグ街の殺人」に触発されたことは当然だが、それよりもオイディプス王の悲劇がメイン・テーマで、密室トリックは、このテーマを書くうえでの小道具にすぎないというのだ》
密室トリックが小道具にすぎないというのは次の指摘を読めば、特に驚くに値しない。
《ポーの影響を受けたエミイル・ガボリオが、一八七一年に「黄色い部屋の秘密」と殆んど同様のシチュエーションで「金党」を書いているし、それより先、一八五四年に、アレキサンドル・デュマが「パリのモヒカン族」で密室を扱っている》
そして、
《デュマもガボリオも、真っ正面から密室トリックに取組む気持ちはなく、生活習慣から生まれたこのトリックを、小道具として、さりげなく使ったのだと思う》
では《オイディプス王の悲劇》は『黄色い部屋の秘密』において如何に現れているか。
《すなわち、母親マチルド、父親ラルサン、その子ルルタビーユの人間関係に、オイディプス王の悲劇を見ているのだ。続篇の「黒衣夫人の香り」は、探偵小説として出来が悪く、それでなくても面白くないが、もともとルルーは、この二篇の小説を、探偵小説として書いているのではなく、オイディプス王悲劇として書いている》
では《オイディプス王》ルルタビーユのもう一人の原型は誰か。
《とくに、報道記者ジョゼフ・ルルタビーユは、名ルポライターであったルルーと二重写しのキャラクターで人気があり、ルルーもルポライターとしての名声を利用したふしがある》
つまり『黄色い部屋の秘密』は、フィユトンであり、優れた密室小説であるとともに、「オイディプス王」の嫡子であり、《社会派小説》であり、ルルーの私小説でもあったわけだ。そう考えてみると、なんだか私も数十年ぶりに『黄色い部屋』に足を運びたくなってきた。
★松村喜雄(一九一八―一九九二)…仕事の傍ら仏語を独学で習得、その知識を活かして翻訳や評論活動を行なった。一九八六年、フランス・ミステリーの通史を纏めた『怪盗対名探偵』で日本推理作家協会賞・評論その他部門を受賞。
初出…『怪盗対名探偵 フランス・ミステリーの歴史』(晶文社)一九八五年六月
底本…『怪盗対名探偵 フランス・ミステリーの歴史』(双葉文庫)二〇〇〇年一一月
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