『戦前戦後異端文学論』(抄)  谷口 基

【戦前の黄金期において〈探偵小説〉は、あらゆる奇譚を一堂に集めた深遠かつ壮麗な文学ジャンルであった】

 山田風太郎が、前掲文とほぼ同様のことを「変格探偵小説復興論」という小論の中で指摘している。

《正直なところ、ゆきづまった本格物よりも、変格物の方に、まだまだ千変万化の工夫の余地があり、読者を驚異させ、ひきつけ、面白がらせる世界があると思うが如何。少なくとも、もっと多数の読者を。
 近代的怪談可なり、異常心理小説可なり、科学小説可なり、奇妙な味の小説可なり、また奇想天外なる裁断面によっては、全く思いがけぬ人間地獄図が現出するかもしれない》

 この言葉を証明するかのように、戦後〝社会派〟が猛威をふるう中、風太郎は「蝋人」や「畸形国」といった《近代的怪談》、『夜より他に聴くものもなし』に代表される《異常心理小説》、『神曲崩壊』や「男性滅亡」等のナンセンスな味わいを持つ《科学小説》を記した。また、痛快と韜晦、諦念と怒り、喜劇と悲劇が入り混じる風太郎の小説群は、そのすべてが《奇妙な味小説》といっても過言ではない。そして、それらの小説の複合体として〈忍法帖〉が顕現するのだ。もしかしたら、山田風太郎は《あらゆる奇譚を一堂に集めた深遠かつ壮麗な文学ジャンル》であった戦前の探偵小説の特質を、一身に背負っていたのかもしれない。
 しかし、山田風太郎が背負っていたものはそれだけではないようだ。谷口は『戦前戦後異端文学論』の第八章「山田風太郎論」で、それを〈教養〉であると喝破する。《「自分で進んで贅沢に金を濫費したことはない。——ただ、本を買う金を除いては」》と豪語する山田誠也青年にとって、たとえ《非常時下東京》の中にあっても、《当時麹町九段一丁目にあった財団法人大橋図書館》は、《汲めどもつきぬ「歓喜の泉」》であった。そして、山田青年はそこでモリモリと〈教養〉を蓄えていくのである。こうして蓄えられた〈教養〉は小説家・山田風太郎にそっくりそのまま受け継がれた。谷口はその例として「黄色い下宿人」を挙げ、次のように論じる。

《(…)「黄色い下宿人」は、小説家として立つ以前の夏目漱石が理論家として精魂を傾けた大著『文学論』への深い理解と傾倒、すなわち読書人風太郎ならではの〈教養〉があってこそ成立し得た、奇跡的な作品として評価されるべき存在なのだ》

しかし、これだけの〈教養〉を身に付けながら、風太郎は最後まで純文学の方面に足を伸ばさなかったし、また忍法帖や明治小説で高い評価を受けながらも最期まで探偵作家の筆を折らなかった。これは、どういうわけなのだろうか。

《しかし、風太郎の乱歩作品に対する畏敬の念は、小栗虫太郎、夢野久作ら夢魔的存在へむけた眼差しとは異質のものと判断できる。一九四六年以後の日記中に頻出する、風太郎の乱歩への思い》

そうだ、乱歩だ。風太郎が最後まで探偵小説を捨てなかった理由は。そして風太郎にとって乱歩の意志は、《変格物》よりも、〈教養〉よりも、後生大事に背負っていかねばならぬものであったことだろう。

★谷口基(一九六四—    )…幼少期からミステリ文学を愛好、立教大大学院を修了後、研究者の道へ。二〇一〇年『戦前戦後異端文学論』で本格ミステリ大賞、二〇一四年『変格探偵小説入門』で日本推理作家協会賞を受賞。現茨城大学教授。
初出…『日本近代文学』第七七集 二〇〇七年二月
底本…『戦前戦後異端文学論』(新典社)二〇一〇年五月

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?