「不可能な薔薇 中井英夫『虚無への供物』論」 安藤 礼二

【兄と弟の間に結ばれる「虚数」としての、また「貴腐」としての憎悪と愛情の関係。おそらくそれが『虚無への供物』の根底に横たわる最後の「謎」である】

 あらゆる文芸評論は、探偵小説に限りなく近接している。書物が〝問題編〟とするならば、その書物を読み解いた評論文はさながら〝解決編〟ということが出来るからだ。少なくとも私は小林秀雄の断定調の物言いを、シャーロック・ホームズの至極直感的な推理と重ねながら味わっているし、丸谷才一の小気味よい小論や随筆に触れるたびに、それらをチェスタトンの〈ブラウン神父〉ものと並べたい誘惑に駆られる。また、鶴見俊輔の実直な論理展開はクロフツや鮎川哲也を想起させるし、蓮實重彦の繁茂するレトリックの森を歩んでいると『黒死館』に迷い込んだような錯覚を覚える。そして、私にとって、大岡信の『うたげと孤心』や吉本隆明の「マチウ書試論」は探偵小説そのものなのだ。
 さて、そこで「不可能な薔薇」である。これは単なる中井英夫論ではない。〝問題編〟となる『虚無への供物』の登場から、実に半世紀を隔てて世に現れた〝解決編〟なのである。安藤はここで中井英夫の諸作の中から、〝真相〟に到達するための手がかりを炙り出し、それを子細に検討していく。その手並みはエラリー・クイーンさながらであり(事実、手がかりの中には中井英夫が残した偽の手がかりまである!)、その解決は全くの意想外かつ、実に筋道だったものなのだ。しかし、探偵小説の鉄の掟に従って〝解決編〟をここで明かすわけにはいかない。よって〝解決編〟に至る、二つの〝読者への挑戦〟を掲げて、この頁を閉じることにしよう。

問1:「不可能な薔薇」における「薔薇」は〝男性同士の同性愛〟という意味を含んでいると考えられるが、ではそれを踏まえると『虚無への供物』に於いては誰が誰を愛していると考えられるか。また、なぜそれが「不可能」であるのか。

問2:『虚無への供物』における「虚無」とは具体的に誰の何のことを指しているのか。またそれに捧げる「供物」とは何なのか。

★安藤礼二(一九六七—    )…河出書房新社で編集者を務めた後、二〇〇二年に「神々の闘争」で群像新人文学賞評論部門優秀作に入選。以後、文芸評論家として健筆を揮い、本論考を含む『光の曼陀羅』で大江健三郎賞を受賞した。
初出…『群像』二〇〇六年六月号
底本…『光の曼陀羅 日本文学論』(講談社文芸文庫)二〇一六年四月

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?