生きていくということ

noteを書く。この前書いた記事を色々な人が読んでくれた。嬉しいです、ありがとうございました。引き続き読んでくれたら嬉しいですが、まぁ適当に、ほどほどにやっていきましょう。

今日は「アキタカラ日記」ではなく、自分のことを。まぁ夏も終わり掛けなので、ちょっと色々書きましょう。


人生は良いことと悪いことの繰り返し

生きていれば良いこともあれば、悪いこともある。というか、良いことがあった後は大体悪いことがある。これを繰り返していくのが人生…みたいなことを、ぼくはどっかで信じている。

なので、良いことがあっても調子に乗らず、悪いことがあったら「良いことが来るな」と悲観的になりすぎない。これの繰り返し。

あとは自分の力じゃどうしようもないことと相対した時に「どうしようもないな」と思うことも大切にしている。自分のキャパシティを超えて無理をしたって、あまり良い結果は生まれない。

こういう思考はどこで勉強をしたのか。心当たりはあまりないが、おそらく家の本棚にヒントはありそうな気がする。


堀田善衛という作家

未だに本を読む。流石に数えるのはやめたが、月に10冊以上は読んでいると思う。それくらい本は好きだ。今はレビィストーロースの「悲しき熱帯」を読んでいる。かなり難しい本だが、少しづつコツコツ読んでいる。

本からやっぱりたくさんのことを勉強しているような気がしている。生き方や、世の中をどう見るか・捉えるかということは、堀田善衛さんから色々教えてもらったような気がする。

右とか左とかではなくて、真ん中やグレーがある。生きる意味とか理由とかを探しすぎるのではなくて、生きている人は生きていかなければいけない。
「生きていくということ、そのこと自体が大切なんだ」というメッセージをぼくは堀田さんの本から受け取ってきた。

堀田さんの本は、いつも舞台は色々変わる。「若き日の詩人たちの肖像」の時代背景は昭和初期、暗い夜の時代を迎える日本のことを書いている。

「路上の人」では中世ヨーロッパについて。カソリックの権力の元で生まれてくる異端について書かれたこの本でも、上記で書いたようなメッセージをぼくは受けったりしていた。

どうしたもんか、最近の世の中は色々わかりづらくなってしまった気がしている。というか「割り切る力」みたいなものを人々は失っている気もしている。

仕方ないものは仕方ない。しょうがないものはしょうがない。そのなかで何とかやっていくしかない。変に悲観的になっても仕方ないし、自分は自分ができることを一所懸命やるしかない。

ぼくはいつだってこんな気分だ。

世の中にあまり期待もしていない。それがぼくが暮らしている秋田という土地に対してだってそう。何かをしてくれる、誰かが面白い日々にしてくれるなんて、思ったことはない。

でも自分のテリトリーのなかで、自分ができる範囲でできることはある。だからそれになるべく集中をして、今ここを生きていく。そんなことをこれからも大切にしていきたいと思っている。

そろそろ終わります

世の中色々な主義主張が飛び交っている。権力や力関係、そこに資本が絡んだりしてくると、人間は簡単に流されてしまう。正義だって、誰かにとっては悪になってしまう。でもそれで本当に良いのかということを、ぼくは常に強く思っている。

「いつの時代だってこの世は生きるに値する」ということを大切にしていきたい。何かできるわけではないかもしれないけど、自分にできることはあるので、それを淡々と、動じずにやっていこう。

ということで、本日はこの辺で。
まだ午前中なので…本日もほどほどに頑張っていきましょう。

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