同業者組織の縮小メカニズムを考えるメモ
紛いなりにもデザイン業界に属していた(過去形)僕ですが、未だデザイン業の同業者組織に所属しており、気がついたら10年ほど経過しているにも関わらず、まだ新参者です(笑)。
さてこの所属組織もまた他大手同業者組織と同じく、新入会員が増えない、高齢化の一途をたどり、退会者の増加という団体縮小問題に陥っています。
会員側のメリット・デメリットという視点から見ると、メリットもなければデメリットもない(会費という負荷を考えるとデメリットが勝るかも⁉)状態となっているので、体力のない個人会員や零細企業会員さんは退会を選択する理由づけになっている感じです。(僕も例外ではない)
この状態は、業種を問わず規模の大小、影響の大小に限らず起こっているように感じるのは、僕自身または会社が所属している同業者組織で同じような声を「よく」「聞くからです。
そしてそうした組織の共通項は1970〜80年代に設立された、または急成長した特徴があり、対策会議のアジェンダが似通っている=同じ結果に向かいそうだということ。
まぁ何もせずにそっと抜けても迷惑はかからないのでしょうが、思うところがあってまだ残っている状態。その思うところをぶつける機会がありそうなので、頭の中で予想していることと、類似ケースを当てはめて、再起につながるのか観察してみたい好奇心も加え、同様の問題に引っかかっている方がいれば、何かを考えるきっかけくらいにはなればと思い、ここにメモという形で残しておくことにしました。
現在起こっていること
今回メモしておくのは、僕自身が所属しているデザインの同業者組織です。
現状として、組織に活気がない状態。何らか好奇心をくすぐるような事例が起きない、そうした期待感も少ない状態になっています。
概形が似ている例として、きもの産業が思いつきます。まとまっている文献はないかと探してみたところ、「きもの産業における伝統の価値の変遷と組織の関係」という論文が参考になりました。
論文を元に、大まかな類似点を上げると…
伝統と硬直化
伝統的な価値が強く制度化されることで、組織が変化に対応しにくくなります。デザイン業界も変化に対応しにくくなっているとの指摘もあり、JAGDAが関係したオリンピックエンブレム問題はその最たるものです。外部環境への適応
きもの産業は、生活スタイルの変化や消費者ニーズの変化に対応できず、産業全体が縮小傾向にあります。同様にデザイン業界にも技術の変化や新しい価値観に適応できていない空気感が漂っています。組織の目的と方向性
きもの産業は、伝統の価値が組織の目的や方向性を制約し、変革を妨げる要因となっています。デザイン業界も、同業者組織の目的や方向性が曖昧であり、会員のための組織なのか、社会全体のための組織なのかが不明確になっています。
以上から、伝統的な価値観や組織文化が変化に対応する上での障害となり、結果として同業者組織が縮小するという現象が表面化しているように感じています。
やらなければならないこと
おそらく他の同時期設立または成長した同業者組織でもこの類似性にたどり着くことと考えられます。
大きな理由として、当時新規会員だった人が現在は組織役員になっており、現在の価値観変化(特にコロナ禍以降の急激な変化)に役員会全体で情報の整理が追いついていないことが大きな要因であると想像しています。
その結果、上記「1.伝統と硬直化」と「2.外部環境への適応」について対処する話し合いが進みがちで、成功事例探しが始まるルーチンへ。
最新技術に対応する勉強会やセミナー形式のイベント開催、若い人や組織外の意見を聞く会などが企画され、実行されますが、結果的に現状打破ができないことへ陥ります。
きもの産業(伝統工芸業界)がすでに先行して同じことをしており、成功した事例もありますが、その影には数多くの失敗例が存在しており、相対的に成功している事例を参考にしても、自業界へ適用することはできません。
そして最も重要である「3.組織の目的と方向性」については誤った角度からアプローチしてしまうことで、本来やらなければならないことを見失いがちです。
組織目的と宗教信仰対象の類似性
「信仰対象」と「組織目的」が全く同じである。と言っても、いやいや、うちは宗教じゃないから…と言われそうですが、ちょっと待ってください。
同業者組織として同業者が集まっているその根本は、何かを信じているからで、何らかの「希望」を見ているからです。
ここを「何を期待して集まっているのか?」と扱ってしまうと、全く間違えた方向で議論が進みます。
期待とは、何らかの投資をした以上の利益が返ってくることを指すので、そこには市場原理が働いてしまいます。
同業者組織は役員になると会費負担が多くなる傾向が見られます。これを事業体と同様に見てしまうと「期待」へベクトルが向いてしまいます。
多くはここでつまづいているのではないでしょうか?
大事なことなので繰り返しますが、同業者組織としては期待よりも「何かを信じて、希望を見出していた」ことで設立から進んできたはずです。
「期待」よりも「希望」です。
それが時代とともに信心が薄れ、希望の光が小さくなり、コロナ禍を過ぎた時点で風前の灯のようになっているのが現在でしょう。
この角度から見た場合、宗教信仰対象の例として「伏見稲荷大社」に注目することでイメージしやすくなるかと思います。
遷座1300年を超える伏見稲荷大社ですが、その運営は近年の大会社をも凌ぐものがあります。
社務の方にお話を伺ったことがありますが、運営方針は一定期間ごとに変化していて、社会動向に合わせて細かく調整しているそうです。調整会議などで意識しているのは「信仰の気持ち」とのこと。
運営については詳しく書けませんが、おそらくどこのサービス業よりも進んだシステムの組み立てと絶対に変化させない芯の部分との並列がうまく噛み合っている例だと言えるでしょう。
何より江戸中期から商業を取り込み、激動の明治から昭和の混乱を乗り越え、コロナ禍を乗り切り、令和の現代でもその勢い、信仰心を衰えさせない創意工夫のノウハウの塊です。
社務の方は元大手サービス業のマーケティング担当だった方や役員だった方など、想像以上にすごいメンバーが揃っていたりします。
伏見稲荷大社というだけで思考停止してしまうと、裏側の努力が見えにくくなり、大切なヒントを見逃してしまいます。
(大きすぎる組織のため、すべてを参考にはできませんが…)
信仰の芯と同業者組織が願う希望
伏見稲荷大社の場合、信仰と参拝者の間に暗黙知で「希望」と「感謝」という感情関係が構築され、それが毎年の参拝行動へと繋いでいます。
この「暗黙知」部分がコロナ禍によって大きく壊れました。
具体的には参拝者側の商売売上の減少です。
これは目に見える変化で、伏見稲荷大社へ毎年参拝していた遠方からの信奉企業(特に小さなところ)はコロナ禍中は京都まで行くことができず、コロナ禍明けでも売上が戻らない(またはコロナ融資の返済負担が大きい)ケースが相次いでおり、暗黙知であった売上の一定化が崩れた瞬間です。
2022年に参拝者数はコロナ禍前まで戻ってきたようですが、信奉会の状況までは伺いしれない状態です。
つまり現状は信仰の「芯=希望」が浮き彫りになった状態で、今後伏見稲荷大社がどのようなことを打ち出してくるのかによって、信奉会のあり方も変わってくるものと考えられます。
この状況、同業者組織と似ていませんか?
ただし伏見稲荷大社は信仰の芯の部分がしっかりしているので、大きく揺らぐことはないでしょう。
では、同業者組織の信仰=希望とは何だったのか?
これを調査・明文化して、信仰対象を浮き彫りにしなければ根本的な問題は解決しません。
〝ことほむ〟はこうした調査を文化観光という視点で行ってきたので、問題の根本がここにあることにいち早く気が付きました。
今回の場合、デザイン業の同業者組織なわけですから、その他の同業者組織よりもビジュアル化・ブランディング・偶像化など得意分野のはずなので、問題がはっきりすれば、いち早く再生するポテンシャルがあるものと考えています。
思うところがあるという思うところはズバリここです。
同地域に類似同業者組織ができる意味
コンテンツとデザイン同業者業界についてですが、なぜか同地域に類似組織ができ、若い人はそちらに集まる傾向があります。
ではその類似組織が旧組織を駆逐するのかといえばそんなことはなく、遅かれ早かれ同じ問題・同じ現象に直面することが安易に想像できます。
類似組織が複数存在してしまうのは様々な要因があるのでしょうが、若い人が集まりやすい傾向にあるのは、何らかの「希望」を「勝手」に見出しているからです。
この「希望」が大きくて手が届かなさそうなものをしっかりと演出でき、輝きを曇らせない体制が作れれば、旧組織をあっという間に飲み込むことができるのですが、現実的にはそれはないため、単に燃料が新しかっただけで、時間とともに輝きは失われていくことに変わりません。
組織の規模と構造の違いを認識する
ここで伝統的な教団である伏見稲荷大社から、明治期に多く立ち上がった新宗教(天理教や立正佼成会、創価学会や大本などが代表的な教団)と、昭和40年代に立ち上がった新新宗教(崇教真光・幸福の科学・真如苑・統一教会などが代表的な教団)が、これらを伝統的宗教教団と比較してみます。
これらを取り上げる理由は、同業者組織の希望(信仰)と宗教団体の信仰(希望)の構造に類似性があると考えているからです。
つまり問題へのアプローチの取っ掛かりを見つけるために必要と思われる材料軍です。
まずは新宗教と新新宗教を比較してみます。
新宗教は大規模な教団が多く、全国的または国際的に広がっていることが多いという特徴を持ちます。組織は中央集権的で、どの教団も明確な階層構造が存在します。一方、新新宗教は小規模な教団が多く、地域的に限定されることが特徴です。分散型の組織構造を持ち、柔軟でフラットな階層構造を持つことが特徴です。
個人のスピリチュアルな体験を重視する傾向が強いです。
大規模な教団は社会的影響力が大きい一方で、伝統を重んじて変化を嫌う傾向にあります。(参考文献:〈新新宗教〉概念の学術的有効性について)
現実には新新宗教教団も新宗教教団も縮小傾向にあります。
しかし詳細に比較すると、新新宗教の縮小度は低い傾向があり、新宗教は顕著に縮小しています。その原因の一つには新入信者が少なく、高齢化=自然減のルーティンへ陥っているためだと考えられます。
ただし、組織のあり方は大きく影響していないようで、階層構造組織であろうが、フラット型組織であろうが、教団の縮小に歯止めをかける材料にはなっていません。(参考文献「「新宗教研究の系譜」10選」)
ここで言いたいのは、組織のあり方を変えても縮小の速度こそ緩められても根本原因は解決しないということです。
では、新宗教教団の教義と類似点から、関係の有りそうなものをピックアップしてみます。
現世利益の追求
多くの教団は、現世における幸福や成功を重視します。信者が日常生活で直面する問題を解決し、より良い生活を送るための教えを提供します。個人の成長と自己啓発
個人の精神的成長や自己啓発を重要視することが多く、信者が自己実現を達成するための方法や指導を提供します。霊的存在や神の信仰
多くの教団は、霊的存在や神を信仰の対象としており、この背景には明治期以前より続く伝統的な習慣の影響を取り込む意図があったと推察されます。コミュニティの形成
信者同士の強いコミュニティを形成することも特徴です。信者は互いに支え合い、共同体としての一体感を感じられます。
1〜4の文中太字部分は、同業者組織にもそのまま当てはまるものと考えられます。ただしこれらは信仰の中心ではなく、組織がもたらすサービス的な部分であることが重要です。
新宗教の場合、社会的な変化とコミュニティの弱体化が昭和40年頃に起こったことで信仰が薄れ、新新宗教が台頭する原因を作ってしまった過去が存在します。
しかし令和の現在、新新宗教が旧組織である新宗教を駆逐できたかといえば、答えは明らかです。
では、伝統的宗教教団と明治期以降の教団を比較してみます。
類似点
信仰の対象
伝統的宗教教団:分離された表現での神道の神々や仏教の仏を信仰の対象としています。
明治期以降の宗教教団:新たな神や霊的存在を信仰の対象とすることが多いですが、既存の神や仏を取り入れることもあります。
コミュニティの形成
両者ともに信者同士のコミュニティを形成し、信仰を共有する場を提供します。
儀式と祭り
両者とも定期的な儀式や祭りを行い、信者の信仰心を高める活動を行います。
相違点
教義と教え
伝統的宗教教団
神話や歴史に基づいた教えを伝えます。明治期以降の宗教教団
現代の価値観や科学的な視点を取り入れた教義を持つことが特徴です。
組織の運営
伝統的宗教教団
歴史が古いこともあり、地域社会との結びつきが強いです。明治期以降の宗教教団
柔軟な運営体制を持ち、全国的または国際的な広がりを持つことが多い一方、地域社会との結びつきは極めて弱いことが特徴で、教団によっては嫌厭されるケースも見られます。
芯に近い部分が浮き彫りになりました。
同業者組織に足りないもの、暗黙知で集まっていたものの、今まで議論を避けていた部分が見えるのではないでしょうか?
特に明治期以降の宗教教団の考え方、信仰の中心に近い部分で「現代の価値観や科学的な視点を取り入れた教義を持つ」はそのまま当てはまります。
信じるに足るもの
伝統的宗教教団の例として伏見稲荷大社を出しましたが、特別にこちらが優れているというわけではありません。明治期以降の教団も、この先様々な変化を経て伝統的宗教教団を駆逐する可能性もないわけではありません。
ただ、令和の現在の状況を鑑みると、伏見稲荷大社という古のコミュニティのあり方、オープンなコミュニティを形成し、一部にコアな組織を持つ運営のやり方はうまくいっていると見て良いのではないでしょうか?
一方、明治期以降の教団は伏見稲荷大社と比較しても、オープンなコミュニティを形成していない傾向があり、地域社会との接点が小さいことが縮小化の一因と考えても良いかもしれません。
この違いは、信じるものがオープンな環境で実現可能か、クローズな環境で実現可能かによって変化しているように感じます。
所属組織になぞらえて考えてみると、打開策にヒントが見えてくると思いませんか?
縮小のメカニズム
以上から、ポイントをまとめます。
伝統と硬直化
伝統的な価値が強く制度化されることで、組織が変化に対応しにくくなります。外部環境への適応
社会の変化に細かく対応できないと、組織全体が縮小傾向になります。組織の目的と方向性
目的や方向性が曖昧で、会員のための組織なのか、社会全体のための組織なのかが不明確になることで、組織の活性化ができなくなります。信仰と希望
組織の根本は「希望」を見出すことにあり、これを明確にできないことで新陳代謝が望めず、縮小に繋がります。
縮小傾向にある組織が陥るメカニズムは、このような流れで起こるのではないかという仮説メモでした。
短文だとうまく伝わらない内容でした。
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