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早稲田卒ニート36日目〜みたび参らん、面接じゃ…〜

諸事情あって牛タン屋の採用がオジャンになってしまったため、新たに牛丼チェーン店のアルバイト面接へ出向く。22:00〜5:00にかけての深夜早朝労働である。

面接担当者の店員は、仕事の忙しさを強調し、「そんなに甘くはない」と現実を呈し、給料の話やシフトの話など、同じ話を何度も繰り返す。そのせいで20分は無駄になった。あまり話の文脈を追えない人で、頭の中で「場合分け」がハッキリしない人なのでイライラした。牛丼チェーン店のバイトなどどうせ大したことはないと舐めていたので、面接中の説教がうるさかった。

制服代として5000円預かられるし、組合費を毎月200円も取られるし、靴も1600円かかる。アホらしい。バイトからも組合費を取るなど、正気とは思えない。そういえば前職でも、毎月1,000円の組合費が給料から引かれていた。昔は会社全体の大規模な飲み会費用として使われていたらしいが、コロナを機にその大宴会もなくなった。しかし毎月1,000円は変わらず取られる。そのせいで、2年間で24,000円も無駄になった。組合費には、嫌な思いをした記憶がある。

採用か不採用か、明日までには返事があるというが、さあどうしようか。

こちらにても書いたが、「学ぶことは自らを自由にすること」である。それに加えて、ニートになってから、つまり金を稼がなくなってからは、働くこともまた自分に自由を付与することであると思う様になった。

労働は決して、金を稼ぐという目的に従属した手段ではない。その価値観では、仕事という一生の「賭け」に対する決め手を失う。しかしながら、金を稼がないことには経済社会において立ち回れなくもなる。行きたい場所へは行けないし、使って差し上げたい方に金を使ってもあげられない。

今では、三浦先生の仰っていた、「生きることが経済活動と同義になっている」という言葉が現実として理解できる。ニートは経済活動に参加しないからである。理解できる三浦先生の教えが1つ増えたというだけで、ニートになった意味がある。

私は浪人時代、三浦先生の授業をほとんど全て筆録し、それをWordで打ち込み印刷したものを今だに何度も繰り返し読んでいるが、読むたびに新たな発見がある。浪人を終えてから6年経った今でもなお、である。

受験に合格したから、大学受験を終えてからも今だにその頃の記憶にこだわっているのではない。三浦先生はそんな教えは施さない。その時、その瞬間、その場で全てがわかってしまう様な教えは、人生を変える様な教えにはならないのである。せいぜい受験で点を得るための効果を発揮するに留まるからである。三浦先生は、受験で点を取るために必要なことを教えてお終いではない。むしろ、そんなことは後回しだ。そうではなく、私どもが自らの生を終える時、まさにその瞬間まで、三浦先生に出会えたということの尊さを噛み締めつつ死んでいく。人生が激変する出会いであった。しかし今、そんな人間と出会うことは、余りにも困難な事である。様々な映像コンテンツ等、学習方法の発達のせいで教育の存在価値は見失われている。「わかりやすい授業」の提供に何よりの価値があるとばかり思い込まれている。

「わからなさ」と邂逅した時、その理由を相手の説明不足に求めるのではなく、己の無知に位置付けること。つまり、「何かよくわからないが取り敢えず高級な話をしていて、しかしそれを理解できないのは自らの教養が欠落しているからではないか」と自分を疑ってみる態度。「わかりやすさ」の崇拝が、そういう自分を相対化する姿勢を学ぶ者どもから奪い、教養主義の凋落を招いた一因であると思う。



教える側にあってもなお、常に教わる、学ぶ側にもいなくてはならないと思い、富山大学でこっそり講義に潜り込んでいた時期もあった。大学の先輩が非常勤講師として担当なさっていた講義である。共に三浦先生の教えを受けた者であったが、三浦先生が私とその方とを繋ぎ合わせてくださった。その方はあまりにも聡明な方で、講義だけでなく何度か一緒に酒を飲ませてもいただいたが、お会いする度に今の自分が相対化される様な、大変有り難く貴重な時間を過ごさせてくださる方であった。こういう出会いが何より肝心であり肝要なのである。尤も、私の方は大変恐れ多くいつも緊張してしまい、うまくお話しできなかった。まことに申し訳ない限りである。



私はこれまで、労働に人生の充実を求めてきた。しかし、その充実を得るための苦労と釣り合うだけの給与をもらうことは大変難しいということに気づき、また、労働への価値観を一度相対化するためにも、やり甲斐などを度外視した仕事に就いてみるのもいいだろうとも思う。

とは思うものの、牛丼チェーン店でアルバイトをしたところで一体何になるのだろう。恐らく、虚しくなるだけのような気がする。こういう状況に身を置いてやはり、人の人生を覆す様な仕事をしたがっている自分がいることに気付く。根暗っぽさを持った捻くれ者であるくせに目立ちたがり屋だし、人前で喋りたがり屋である。

注文を取ってマニュアル通り作り、それを席まで運ぶなど、別に他ならぬ私がやらなくても構わない。他の誰でも取り替えが効く。それなら、その労働は、私が私であることのかけがえのない存在動機を私に与えはしない。こうやって独善的な労働観に陥るところが、私の大きな欠点である。大学生の頃からそうだ。

さて、これまでアルバイトが長続きしたことのない私は、今度はいつまで働き続けられるのだろうか。教師という存在は社会を知らないと揶揄される。しかし、社会というものを大して知らぬままに生きていけるのも、勉強に青春を捧げた者にとっての1つの特権なのかもしれない。

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