早稲田卒ニート46日目〜足元を見て、そして学問へ進みゆけ〜
小林秀雄は三木清との対談の中で次の様に言っている。
(※「特殊な」というのは、ここでは「具体的な」の意味であろう。)
もう今では古い発言なのかも知れないが、例えば「英語をやっておけばグローバル社会で活躍ができる」だとか、「経営を学ぶことで旧態依然とした体制を改革する」だとか、ここ数年の社会にはそんな様な発言が目立って見える気がしている。
塾でアルバイトをしていた大学生の頃にも、将来金を稼ぐことを考えて経済学部を志望する高校生によく出会ってきた。また、取り敢えず理系に進む者が多いのも、大して事情は変わらないのかも知れない。何もそれを止める権限など私にはあるはずもないから、いつも当たり障りのない言葉をかけるまでであったが、やはりどこか虚しさに胸が包まれるのを禁じ得なかったのも確かである。その虚しさは、「君の人生に、君だけの学問は必要無いのか」という問いになって私の中に浮き上がり、しかし言葉としては発せられぬままに浮き沈みを繰り返すのであった。
学問の動機というのは、案外見当たらないのかも知れない。ではなぜ、それでも大学に行くのかと聞かれると、やはり答えは就職に結び付くしかなくなるのも無理はない。就職、即ち働くこととなれば、それはなるべく多く金が貰えた方がいい。金を貰える会社に入るにはいい大学を出なくてはならない。それならなるべくいい大学へ…。そのために、面白くも無い勉強を今は苦しんででも我慢してやらないといけない。まあこんなところで辻褄は合うのかも知れないが、くだらない辻褄合わせであるし、何よりこれではいつまで経っても勉強は面白くなんかないままだろうと思う。
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昔、銀座のラウンジでボーイさんを怒鳴り付けているジジイがいた。どうやらサービスが気に食わなかったらしい。ボーイさんは、もうこれ以上は無いくらいに申し訳なさそうな表情で平謝りしている。言いたいことを一通り言い終えたところで、その爺さんはすぐに店を出た。大学生ながらにそんな光景を目撃して私は、世間で「老害」という言葉が使われる訳が妙にわかった気がした。全く銀座には相応しくない大人である。そのジジイだけではなく、そもそも「大人」というのは、どうしてこうも尊敬に値しない奴らばかりなのかと不満に思う学生時代が私にもあった。
三島由紀夫は「長幼の序」という文章の中で次の様に書いている。
「自然のわがまま」とは即ち「混沌」を意味し、それを「法則に転化」することは、混沌を「秩序化」することである。「混沌」から「法則」を抽き出すというこの態度が、科学者のそれと何一つ変わりはしないことは言うまでもない。農業社会において、年寄りは「科学者」としてあったのである。そして、そのためには長い年月が、つまり年をとる必要があった。自然との交流の中で生きていた頃の人間には、どうしても年をとらなければ見出せない自然の法則が確かにあり、加齢というのはその点において尊敬に値したわけである。しかし今、加齢も老化も単なる「衰退」に等しい言葉となり、会社では「若返り」が謳われ、社会では老人をまるで税金を穀潰しする「邪魔者」かの様に扱う発言もある。そうして、年寄りにはあってガキには無い、「経験」という代物を軽蔑する様になる。
ここでの農業社会の時代は、近代科学の発達が未だ著しくは無かった時代と想定していいだろう。世界が科学によって「説明」などされていなかった時、人間は法則によって自然を「演繹」するのではなく逆に、目の前の経験一つひとつの蓄積から自然を「帰納」しなくてはならなかったはずだ。この時、演繹するより帰納する方が、とてつもない時間を要するのは言うまでもない。そのため、年寄りにしかできないことであった。「若さ」は帰納を許さないのである。若者は未だ現実を知らぬ。現実を知らずして帰納はできぬ。そんな若者にとって、年寄りに対する尊敬の感情は極めて自然な発生であったことだろう。
が、農業に若い担い手が不在であるという深刻な状況が叫ばれる様な、農業社会の衰退した今は違う。老人は仕事を退けば、特に目当ても無く1日を過ごし、朝から夜までテレビを見て、たまに買い物へ行き、ふた月にいっぺん年金を貰う。そんな老人を尊敬せよというのは、なかなか困難な要求であると言われても無理はないだろう。そこで、たとえ年上を敬えない青少年がいようと、その責任を「個」にのみ求めるのは筋違いだ。これは全く、社会背景の変化がもたらした問題なのである。しかし、そんな社会を生きているこの私もいつかはそんな老人になるのだし、これを読んでいるそこの君だってそうなるのだということを忘れてはいけない。常に当事者として考えることが肝心である。が、そんな将来が半ば約束されている以上、「年寄りを尊敬せよ」とただ説教しても仕方がない。ただ、「年寄りを尊敬せよ」と言われる様になった理由を考えよとだけは言いたい。年寄りが、自然の混沌から法則を見出す「科学者」であったならば、それを軽蔑する方が本来は難しかったことだろう。
もし「学問」を広義に捉えるならば、それは何も大学で論文を読んだり、記号の解析をしたりするだけの意味ではなくなるだろう。学問は全て科学であり、科学は法則の提示である。そして、年寄りが「科学者」としてあったということは、そこでの農業だって「学問」なのであり、農業である以上その学問は、常に「目の前の生活に根ざした」学問であったに違いない。論文を読むのでも難しい計算を解くのでもない。が、年寄りは「手作業」で学問をしていたのである。これを「現実的」と言うのだろう。現実に立つ学問は、決して形而上に終始しない。農業は常に、地に足を着けて行わなれる。
小林秀雄の言った様に、学問はまさに自分の立っている具体的な場所からのみ始まる、と私も信じたい。そして、学問を続けることは、その立ち位置を守り抜くことでもあると思う。自分の居場所に根付かない学問は、もはや空想にも近い虚無と化すだろう。そこでは「現実」が見失われているのである。
3歳の頃から両親と疎遠になって暮らしていた私は、60歳を過ぎて、まさしく毎日朝から晩までテレビを見るだけの祖父母の姿を見続けてきた。そんな生活を反復するだけの、成長も成熟もあるはずが無い家族と共に凡そ18年間も過ごさねばならなかった私に充実した自己形成などはあまりにも困難なことであって、私には何の教育も施されなかった。その「現実」が私の目の前には確かに立ちはだかっていた。これが私の学問の出発点である。私は私が生きる意味をどうしても見つけたかったし、見つけなければいけなかった。そのためには哲学を学ぶ以外にないだろうと思った。そして、教育から目を背けては私の生まれ育った境遇が救われないとも思った。それで教育哲学に踏み切ったのは、今から回顧すれば、私という人間の歴史的自然だったのかも知れない。「私」が「私」であるべきかけがえのない学問を求める、そういう動機を持つことができれば学問は、単なる観念ではない、その手に掴み取れるものとしての充実した姿を僕らに現してくれるはずだ。それなのにどうも、「学部選び」を打算的に考えすぎるきらいがあるように思われてならない。大学も学部も、損得勘定で「選択」するのでなく、己の人生を賭して「決断」するものではなかったのか。「君の人生に、君だけの学問は必要無いのか」と、ここでもう一度問い直させてもらいたい。「学問の切掛け」は、まさしく君が今立っているその場所にこそあるのである。だから、必要なのは将来の自分からの「逆算」などでは決してない。自分の足元をよく見ることだ。本当の学問は、そこからしか始まってくれない。君はどこに立っている?
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参考書を開けばそこに予め法則が与えられている僕らは、あとはその法則を具体的な状況に応じて数値や語彙を当てはめながら駆使していけばそれでよい。つまり、僕らは世界を「演繹」しさえすればよいのである。受験勉強のほとんどは、世界の演繹である。そこで帰納は求められていない。それゆえ時間がかからない。これは科学の歴史から授かった恩恵である。しかしその恩恵を授かっておきながらなお、勉強の効率化ばかりを競い合うのだから、やはり人間の欲望は拡大再生産を免れないと思わされる。
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受験勉強のほとんどは「演繹」であるが、学問は「帰納」である。帰納は具体からスタートする道筋しか持っていない。そして、具体は僕らの現実にしか存在しない。従って、帰納は現実からしか始まらない。そこで、学問をまさに目の前の現実から出発する必要が生まれてくるのである。
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年寄りが尊敬されなくなった時代に、年寄りが尊敬されていたことの理由を考えてみることで、そこに「科学者」としての年寄りを発見し、それをまた僕らの学問の歩き方に投影してみるのも、そう無意味でもないだろうと思う。年寄り尊敬の相対化。
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教師が尊敬の対象ではなくなったことは、年寄りが尊敬されなくなったことと無関係ではないと思う。即ち、「帰納」の衰退と「演繹」の増幅。教師はもはや、世界の普遍性を青年らに提示する「知者」ではない。今では、教師は目の前で問題を解いてみせることが中心の、言わば「演繹者」になってしまったのである。そしてそこを巧みに突くのが所謂「神授業」なるものではないか。あれはまさしく、全てを貫く「法則」を提示しているかの様に見せかける仕組みである。言わば、「普遍性による目眩し」を喰らわせるのである。尤も、ここでいう「全て」とは、所詮「受験」というちっぽけな世界の範囲に過ぎない。小さな世界であるがゆえに、大した光量が無くても目眩しができてしまう。つまり、ショボイ教師が素晴らしく見えてしまうのである。絶賛されている授業は、その訳をよく考えたい。