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「『小野寺らしさ』とは」 3年・小野寺拓海

こんばんは、ア式蹴球部3年の小野寺です。
私たちア式蹴球部の部員ブログリレーが始まり、はや3ヶ月。僕を含め残り5人のタスキを繋ぐのみとなりました。ずっとこのブログを見てくださった方もいれば、初めて見たらたまたま僕のブログだったという方もいるかもしれません。


そして2019シーズンも明日が最後、明後日からは長期オフに突入します。そのオフが明けると僕たち3年は最上級生となります。
時の流れは早いものです、高校卒業前の2月からア式の活動に参加し始めてからもうすぐ3年が経過しようとしています。

はやい、はやすぎる。歳をとったなとつくづく感じる今日この頃です。


話は変わりますが、先日、4年生が引退する前最後の全体ミーティングがありました。
先輩から一言ずつ下級生に対して思いを語ってくれました。

その中で森くん(4年・森岡)が
「人は知れば知るほど、応援したくなる」と自身の経験からその思いの丈を述べてくれました。

それならばと今回の僕のブログ
皆さんに「小野寺」のことを少しでも知ってもらうことで、ほんの少しでも応援してくださる方が増えてくれたらなと思い書かせていただきました。

つきましては、もう少し後に僕の回想にお付き合いいただくことになりますがご容赦ください。


前置きが非常に長くなってしまいましたが、本題に移ります。

「小野寺らしさ」とは。

最近この問いを堂々巡りする日々が続いています。


なぜそもそもこんな問いを立てたかというと、4年生が引退し、既に私たち3年がチームを率いる立場にあり、その上で自分がどんな役割を発揮するのか・発揮できるのかを考えた場合に「己」を知る必要があるなと感じたからです。


そうこう考えていると以下のような要素が浮かび上がりました。

まず自分で言うのは非常に照れくさいですが、「真面目」な人間だと思っています。同期24人で真面目ランキングを決めたら、おそらくトップ3に食い込むのではないでしょうか。続いて「愚直」さ。これは同期から言われることもありますし、外池さんと面談した際にも、僕を表す表現として用いられました。また僕のプレーを見てくださったことのある方はご存知かもしれませんが「エレガント」なプレーとは程遠い、いわゆる「泥臭い」系のボランチです。


そうです。絵に描いたような高校サッカー出身プレーヤーこと、小野寺拓海です。

「あれ、全然堂々巡りしてない、むしろ自分らしさを理解しているのでは?」なんて声が聞こえてきそうですが、問題はそこではないのです。

先にあげた、「らしさ」全てが過去のものになってきているようでならないのです。



ここで少し話をさかのぼります。



初めてア式に来たのは約3年前、まだ高校を卒業する前の1月28日。ア式の門を叩くために必要なランテストに同期数人とともに合格し、先輩を含め部員の前で挨拶を行った。

「僕の住んでいる岩手では雪が降り積もり、練習場は満足のいくナイター設備もありません。このようなきれいな人工芝の上でサッカーができること、そして伝統あるチームでプレーするチャンスをもらえたこと、本当に嬉しく思います。少しでも早くア式の一員になってチームに貢献できるように頑張ります。」とこんな感じだったと思う。

サッカーをするのにこんなに素晴らしい環境が大学にあるのかと、田舎からきた僕は度肝を抜かれた。


そこからは練習生としてア式の活動に参加した。
ア式ではランテスト合格後、部員にふさわしいと認められない限り、入部することはできない。

練習生としての初日のトレーニングはシャトルラン。
体力に自信があった自分をアピールするにはもってこいの場面だ。
当時監督を務めておられた古賀さん(現名古屋グランパスU-18監督)から
「東北魂、見せてくれ!」との熱すぎる𠮟咤を受け、シャトルランで148回を記録。全学年を合わせても、上位10人くらいには残っていたこともあり、大きな自信を手にした初日だった。

しかし、そこから地獄を見ることになる。
次の日からはボールを使ったトレーニング。
カテゴリー関係なく練習していたこともあり、単純なパスの練習でもAチームにいるような選手からのボールを受けることもあった。
「ボールはやっ!」と感じるのも束の間、
「もっと強いボールよこせ!」との要求。
自分が一番ボールを扱えていなかったのが明らかだった。要は一番下手くそ。
これは控えめに言っているわけではなく、紛れもない事実であった。

そんな自分が、自分のプレーに自信など持てるはずもなく、当時4年生だった飯泉涼矢くんから「小野寺の得意なプレーは何?」と聞かれ、大真面目に「スライディングです」と答えた。涼矢くんは「スライディングが得意なプレーていうやつ初めて見た」と言って大笑いしてくれたが、それほど何かに自信を持てる余裕などなかった。


とにかく、どうにかするしかないと感じた。
論理をすっ飛ばした考えをもっていた当時の僕は、どうやったらうまくなるかを考えた結果、とにかく走った。自分が下手なのは、「追い込みが足りないからだ」と相当しんどい高校時代のインターバル走を繰り返した。同時に軽く2時間は壁に向かってボールを蹴り続ける毎日。全体練習の前後、オフの日も関係なかった。


その当時の自分は他の部員から見たら、おそらく相当物珍しい存在に映っていたに違いない。


そうこうしながら10日ほど経ったとある日。

当時の四年生から僕の「入部」が言い渡された。
優秀な同期の誰よりもはやく。

「今は直接的にチームの勝利に貢献することは難しいかもしれないが、小野寺が4年になるときにチームにとって必要不可欠な存在になる」と当時の4年生が部員の前で僕の入部理由を語ってくださった。

いわばその10日間、僕のよくわからない、ただひたすら走りボールを蹴り続ける取り組みを見て、将来性を見越した評価をしてくださったのである。

しかし、入部できて嬉しいなんて感情はほとんどなかった。自分が一番下手という危機感に加え、「そんなたいそうな人間じゃないのに」「自分なんかが」という申し訳なさすら感じていた。

そんな感情により一層拍車をかけたのは同期のキング(3年・阿部)の存在である。今となっては非常に頼もしい同期の1人であるが、僕が入部を決めた時は「なんでこんな下手くそな奴が俺より先に」という態度を露骨に僕に向けてきた。当時は同期なのに先輩の誰よりもキングにビビっていたのは僕だけでないはず。

入部してもなお、しばらく同じようにきついインターバル走と壁あてパスを自分に課していた。しかしトレーニングに費やす時間と比例して、全然伸びない実力。
そんな姿を見かねた、これまた同期の千田が「小野寺はなんの場面を想定して、どんなプレーをイメージしてそのトレーニングをしているの?壁に向かってボールを蹴っているだけじゃないの?」と至極当然の指摘をしてきた。
全くもって異論の余地がなかった。

高校のときもずっと同じようなトレーニングをしてきていたこともあって、僕の過去全てを否定されたような感覚にさえ陥った。

そこからは自分なりにトレーニングの意味や自分に何が足りないかを考えるようになった。今までしてこなかった自分の分析をするようになり、2年の中頃からサッカーが上手くなっているのを実感できるようになった。
考える時間が増えそれと同時に練習時間も大幅に減り、今となってはきついインターバルも毎日2時間のパス練習もしていない。

そんな過去の自分と現在の自分を比較して、時折またまた同期の泰平(3年・工藤)が「小野寺って練習してたの最初だけだもんな!」と冗談まじりに言ってくることがある。言われ始めた頃は「練習してないんじゃない!考えるようになったんだ!」と口には出さないものの、心の中でそう思っていた。しかし近頃は「確かにその通りかもしれない」と思うようになった。

同期のみんなは「あの頃の小野寺はすごかった」と、あの頃の小野寺を称えてくれる。
ほんの少しの嬉しさ反面、やっぱりどこかしっくりこない。
あの訳もわからないほど狂ったように走り、ボールを蹴り続けていた自分を懐かしく感じ、どこか喪失感を抱いている自分がいる。

そうこうしているうちにあっという間に3年目が終わった。




長い回想にお付き合いいただきありがとうございました。


このブログの冒頭にあげた真面目さ、愚直さ、泥臭さ。
僕の「過去」から感じ取っていただけたでしょうか。


しかし、今となっては最高の人工芝などプレーするに申し分ない環境がっているのにもかかわらず、それを享受していることを当たり前と思っている自分。

先輩からア式の将来を託されたのにもかかわらず、必要でも不可欠な存在にもなりきれていない自分。

何かに向かい誰かの心を動かすほどの熱烈な行動を起こせていない自分。


「らしさ」を失ったそんな自分に嫌気が差してきます。


このブログを通して結局、何が言いたいかというと
「初心を思い出せ!」ということです。

良くも悪くも、酸いも甘いも知って、思考も能力も体力も成長しているはずなのに初心から遠ざかっているようなこの感覚。

あの頃の純粋無垢な自分は未熟でした。
同時に「無知」でした。
しかし非常に魅力的だったと思います。



時を経て考えが改まり、新たな知識を身につけ、ある意味で限界も見なきゃならない。誘惑に負けてしまうこともあれば、涙することさえある。将来が向こうから近づいてきたりもする。大学生になれば良くも悪くもいろんなことを知ってしまうのです。


突然ですが
「キリン」と「アサヒ」と聞いて何を思い浮かべますか。


「ビール」と思った同期の諸君。お酒はほどほどにしよう。就活に疲れてないか?

同じ質問を小学生に尋ねたら、おそらく動物の「きりん」と毎日昇る「朝日」を思い浮かべると思います。

これはほんの一例ですが、何かを「知る」ということは、知らぬ間に凝り固まったものの捉え方をしてしまうかもしれません。もう一度言います。気づかぬうちにです。

ブログを読んでくださっている皆さんも今一度、あの頃の自分を思い浮かべてみてください。きっとあの頃の「自分らしさ」が蘇ってくると思います。

もしかすると「自分らしさ」ではなく、捨てる必要のない「目標」や「夢」や「志」かもしれません。
 
同期のブログを見ていると、ア式における3年間でブラッシュアップされた思考、その過程を経て成長した姿を綴っており非常に頼もしい限りです。

しかし僕の場合、大きく成長した自分も存在する反面、あの時のある意味尖っていた姿を忘れられない自分がいます。


残り1年。あの頃の自分を追いかけ未来に進みます。
もう一度「らしさ」を取り戻します。


何かに流されている自分はいないか?
あの頃に抱いていた目標は?夢は?


何度でも問い続ける。



このブログを書いている最中にあることに気がつきました。
「あれ、昨年も同じようなことを書いた気がする。」

テーマは違いますが、やはり過去に囚われている自分。
昨年から全然成長していないことに気がつきガックリしてしまいましたが、それもまた人生。
昨年、今年と、このブログを通して僕のネガティブな面が浮き彫りになってしまったので、また来年書かせていただけるのであれば、第3章こそ変化を遂げ、「らしさ」を取り戻した「小野寺」を綴ります。


小野寺 拓海(おのでら たくみ)
学年:3年
学部:政治経済学部
経歴:ヴェルディS.S岩手(花巻市立花巻北中学校)→専修大学北上高校

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