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HIPHOP EVOLUTION 1-4

ウェッサイのギャングスタラップ誕生についてのエピソードです。

80年代初頭の西海岸(LA)

ドナ・サマーなどのテクノが流行で、ブロックパーティーも無ければブレイクダンスも主流ではなく、Tシャツやデニムなどのファッションともかけ離れていた。

東海岸(NY)では貧困などが問題だったのに対し、西海岸では煌びやかなパーティーが行われていた。

Dr.Dre, DJ Yella, Lonzoで構成されていたWorld Class Wreckin' Cruが有名だった。当時はPrince, Morris Day, Vanity 6などが流行っていたため、Wreckin' Cruも同様に髪にパーマを当てスーツを着て、下ネタを歌っていた。

LAでは、パーティーの時にはDJのためにみんなが集まった。MCはいなかったのだ。

一方、アーティストはほとんどがギャングだった。

ICE-T

彼もまたギャングであった。仲間を盛り上げるためにClipsに関するリリックを作った。そうしてできたのが『6 in the morning』だ。

この曲は売人をテーマにしていた。ギャングの日常を緩くラップしていて斬新だった。

そんな彼が、ギャングスタラップの先駆者だと主張するのがSCHOOLY-Dだ。

SCHOOLY-D

フィリー出身の彼はJames Brown, Earth Wind & Fire, Parliament Funkadelic(P-Funk)に影響を受け、自分も音楽をやりたいと思った時に、自分の日常をラップすることにした。

N.W.A

当時LAではコカインが蔓延していた。コカインで儲けた金持ちは武器を買い、ギャング同士は抗争をした。家の前で煙草を吸っているだけで抗争に巻き込まれる危険があったと言われる程、街中の治安は最悪だった。

そんな中生まれた世界一危険なグループがN.W.A.だ。Dr.Dreはクラブでテクノをかけつつ、新しい音楽を作っていた。ローテンポで殺伐とした曲だ。彼とDJ YellaはLA屈指のMCをメンバーに入れようとしていた。そこで加入したのがギャングであったEasy-Eと、Dreの近所に住んでいたICE CUBEだ。

ICE CUBEが高2の時に書いた曲が『Boys In the Hood』だ。彼自身がこの曲のことをICE-Tの『6 in the morning』の続編と言っているように、彼らのサウス・セントラルの日常を描いていた。

この西海岸のリアルすぎる曲がリリースされて以来テクノは下火になり、彼らが曲を出す度国家を挙げて恐れられた。警察にも目をつけられ、Dreは交通違反で何度も捕まった。その様子を見たICE CUBEが怒りをぶつけた曲がこれだ。この曲に、黒人達は皆衝撃を受けると共に激しく共感した。

しかしこの曲がきっかけで警察と緊張状態になった。
ライブでこの歌を歌うなという警告状がFBIから届いた。

ロドニーキング事件とロサンゼルス暴動

1991年3月 アフリカ系アメリカ人のロドニー・キングさんがスピード超過違反で停止を命じた警官らの指事に従わず逃亡したため追走劇に発展。その後警官がキングさんに過度な暴行を行った。

1992年4月 暴行の様子を偶然撮影していた近隣住民による証拠映像があったことから、警官4人が起訴されるが全員無罪。

1992年4月~5月 警官が無罪になったことへの国民の怒りが
暴動へ発展。

この暴動でギャングスタラップの概念が覆された。
そのライムは切実な声として捉えられるようになった。

THE CHRONIC

DreがN.W.Aを脱退してシュグと出会い、作ったアルバム。

カルフォニアでしか買えない極上のヤクの名前が「CHRONIC」で、このアルバムも極上だったことから付けたアルバム名だ。
このアルバムではリアルが歌われていたが、それに対する怒りなどはこもっておらず、何があっても楽しくやろうぜという雰囲気だった。
これがLAの人々を救った。G-Funkの誕生だ。白人の子供を含む誰もがこの音楽に夢中になり、ギャングスタラップの印象が変わった。





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自分のためのまとめノートです。R&B,Hiphopを愛していますが、詳しいことはお勉強中です。基本的にひとさまに見せることを意識してませんのであしからず。
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