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HIPHOP EVOLUTION 2-1

80年代にHiphopはアメリカ全土で流行した。
その中でも今回はマイアミベースを中心としたサウスにフォーカスを当てる。

Luke

マイアミのリバティーシティの家の庭や公園でDJをし、貧しい黒人たちを踊らせていた。
しかし警察は、夜になると始まるこのパーティーの音を止めようとした。
そこでLukeはマイアミに無かった若者の遊び場—ディスコを作った。

そこでLukeがかけた2 Live Crewの『Beat Box』で客は踊り狂った。

そこで彼は2 Live Crewをマイアミに呼びLuke Skywalkerというレコード会社を設立し、彼自身もクルーに入った。
彼らは誰もやったことないような、マイアミならではのベース満載かつ声ネタを取り入れた曲を作った。同名のダンスの動きを元にした『Throw The D』だ。

彼らはこの曲を皮切りに数々のお下劣ソング―”聴くポルノ”をヒットさせ、マイアミ最大のレーベルとなった。

しかし国はこの過激すぎる曲たちを許しはしなかった。
レコード店で彼らの曲を売ることを禁止した。
それでも2 Live Crewは言論の自由を掲げてライブをした結果、刑務所行きになった。
彼らは裁判で再三に渡り戦った。この裁判でもしLukeが負ければ、Hiphopに含まれる過激な表現は全て悪になってしまう。音楽業界全体が注目した裁判だった。
彼は裁判に勝利した。彼の歴史的勝利は音楽全体の勝利だ。
音楽はより強固なものになった。

WILLIE D

ヒューストンのゲットーから生まれた才能あるMC。
ボクシングをやっていた彼は、ゲットーから出るにはファイトかラップしかないと思った。
そこで、クラブで行われていたラップバトルに出た。
ラップバトルをする者たちは、お互いにディスりあうと同時に、東部西部に比べて南部は頭が弱いという偏見とも戦っていた。主張の場がそこしかなかった。レコードなんて作れなかったのだ。

GHETTO BOYS

ラッパロットというレーベルを作ったJ.Princeと、Willie Dを含む3人組のMCグループができた。ヒューストンで初めてのレコードだ。彼らはリアルな南部のゲットーをそのまま表現した。これが南部で受けたが、NYでは過激な言葉のせいで受けなかった。

しかしこの曲がヒットし、アメリカの他の地域でもヒューストンのHiphopが認められた。

UGK

彼らもGHETTO BOYSを見て、ヒューストンでもやれると思った。
彼らがR8のサウンドを存分に使った先駆者であり、Southern Rapのスタイルを作った。


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自分のためのまとめノートです。R&B,Hiphopを愛していますが、詳しいことはお勉強中です。基本的にひとさまに見せることを意識してませんのであしからず。
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