2017 February, Part1_Rome-1

2016年3月で京都大学を退職します。
その4月からは京都造形芸術大学の大学院教授となったのですが、教職の方の時間が出来たのを幸い、建築家として日常の設計業務に追われる毎日から離れて、もう一度建築に感動するという、自分が設計を生業にしようと思うに至った原点確認をしようと思い立ちます。

私は自分の30代から40代にかけて、毎年テーマを決めて旅に出ていました。
例えば、南フランスのシトー派修道院を見る旅、南ドイツのバロック建築はなぜ好きじゃないか、それを確認する旅、などでした。
その第1回目がフリーになった35歳の時に計画したイタリア旅行で、フィレンツェでブルネレスキの孤児養育院と出会います。そのあまりにも今日的な空間に驚愕した上に、建築史研究室出身としてはあまりにもがさつな感想_ルネサンス以降近代までは同じ時代だというもので、それ以降私の口癖になりました_を持つことになったきっかけの建築、これをそれ以降30年以上建築家として経験を重ねた自分の眼にどう映るかという、自分を確かめる旅に出ようと思ったのです。

フィレンツェ以外になぜローマなのか。
この35歳の時ではないのですが、後年ローマを訪ねた時にパンテオンとボッロミーニに感動し、それ以降ヨーロッパを訪ねるときはローマ・トランジットのフライトにし、乗り換え時間にタクシーを飛ばしてパンテオンだけ訪ね、すぐに空港に折り返し旅を続けたことが何回かありました。ローマ・トランジットはロスト・バゲッジの可能性が高いので避けたいのですが、パンテオンの魅力には負けていた時代があったのです。

したがって、自分自身の原点確認の旅であれば孤児養育院とパンテオンは欠かせない、だからこそのローマとフィレンツェなのでした。
そしてローマでどこに泊まるか。
ルネサンスが建築家としての方向性を決めてくれた建築家としてはナヴォナ広場の裏、ブラマンテのサンタ・マリア・デラ・パーチェのそばにリチャード・マイヤーが部屋の改装したホテルがあると聞けば、そこ以外に泊まるべきホテルはないでしょう。
予約した部屋のテラスからは偶然にもそのサンタ・マリア・デラ・パーチェが見え、時差ボケの私を迎えてくれました。

夜の中庭と昼間。

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昼間のサンタ・マリア・デラ・パーチェ。

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中庭。

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次は当然、パンテオンです。
直径45m、その中央に5mの開口があるだけの空間が建築的感動を与えてくれます。何度目かのパンテオンでしたが、この日は曇り。内部に方向性がなく拡散する光のドームです。

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パンテオンにお参りした後は、ボッロミーニです。
サンカルロ・アレ・クァトロ・フォンターネ、ですね。

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その楕円形の内部の教会空間とほとんど同じスケールの、これも楕円形平面の中庭。

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ついでに近くにあるベルニーニにもご挨拶を。
サンタンドレア・デル・クィリナーレ。

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つづく


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