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幸せの中身。

唐突ですが、「幸せ」についてこんな仮説を立ててみました。

人が感じる "幸せ" には、三層の異なる種類のもがあり、それらは重なったり混ざり合ったりしている。


一層目は「瞬時に感じられる幸せ」、二層目は「考えたり想ったりすると感じる幸せ」、三層目は「目には見えない潜在的な幸せ」です。そして、この3つをバランスよく持てると、幸せの達人になれるような気がします。もちろん、これはぼくの勝手な想像と考えによるものですので、全くあてにならない話かもしれません。そのつもりで読んでいただけると幸いです。


まずは一層目の幸せについてです。これは日常的に喜びを感じるようなことです。あんみつを食べたとき、ビールを飲んだ時、温泉につかった時の「あ〜すっごい幸せ」というあの感じです。好きなことや趣味もこの層に入ります。目で見ることができて、他人とも共有しやすいので、よく取り上げられる部分です。

二層目の幸せは、「これって、ひょっとして幸せなんじゃないか」と思うようなことです。仕事があること、家族が健康なこと、愛する人がいること、ご飯を食べて布団で眠れることなど。一層目に比べると目立たない部分ではありますが、幸せのベースとなるような、本能に近いところで求める「幸せ」です。

さて、これらの一層と二層の「幸せ」は、僕らが考える「幸せ」そのもの。ですが、これらがすべてだと思い込んでしまうと、きっと永遠に満たされることはないんです。なぜなら、どれも「いつか無くなるもの」だからです。


人は「こうであったら幸せ」ということを考えては願いますが、そうじゃない幸せもあります。

たとえば、「家族みんなが健康であることが幸せ」って、その通りですが、これは不可能なことです。長く生きていれば誰かは怪我をしたり、病気にもなります。それに、生まれながらにして病気や障害を持っている方もいます。「仕事があることが幸せ」というのも同じです。これ自体は幸せなことですが、会社が倒産して無一文になることだってありえます。つまり、何かを得て幸せになるということは、失ったときに不幸になってしまいます。でも、何があっても何に対しても平気でいられたら、それこそ幸せなんじゃないでしょうか。言い方を変えると、「何も恐れないこと」。これが三層目の「幸せ」です。

「何も恐れないこと」、文字で見ると一見ネガティブな考えに思えるかもしれません。でも、平気でいられる、恐れないでいられることができれば、これ以上の幸せはないんじゃないかと思うんです。もちろん、そんなことができればみんなそうしているわけで、「わたしは何も恐れません」とはなかなか言えません。でも、強くなることはできると思うんです。たとえば、人生のなかで辛い出来事って全てに対してありますが、その全てに意味があると考えて、自分にできること、やるべきことをやる。そこから様々な感動を得て、学び、そして人は成長する。そんな「人生の意味」を知っていれば、人は強くなっていくのではないでしょうか。

一層、二層、三層、どれも大事で、これらをバランスよく持てるといいんだろうなぁ、と、ぼんやり思ったりします。あんみつを食べて幸せを感じて、仕事があることに幸せを感じて、何が起きても平気で過ごせたら、なんて幸せなことでしょう。

いつも全部はむずかしくても、少しでも、そんな瞬間を増やしていけたらいいですよね。

(小林)

【今月の一言】
うまくいかない時はうまくいかない方がいい理由がある ー 

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