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10周年記念 インタビュー連載 vol.6〜活動初期、キリ(前編)〜

11月1日(金)に新宿紅布で開催される、Mr.ワリコメッツの10周年記念ワンマンライヴ『拾』。そしてMr.ワリコメッツ10年の歩みを探るべく始まったインタビュー連載企画もひとまずメンバーを一巡し、いよいよ本格的にバンドの歴史を紐解いていこうといったところ。今回は、初期の活動について、ベース・キリに話を聞いた。
(●インタビュアー ○キリ)


●Mr.ワリコメッツが初めてライヴをしたのが新宿ドクターとのことでした。それでは、2回目のライヴをどこでやったのかは覚えてますか?


○2回目が、たぶん新宿ジャムだったと思うんですよねー。

それか、渋谷のチェルシーホテル。

どっちかだったと。

でも、たぶん新宿ジャムだったと思います。


●初期の頃によく出ていたライヴハウスはどこですか?


○ドクターは出てましたねぇ。

あと、下北の屋根裏とかも出てました。

それで、しばらくしてからクラウッド(=浅草KURAWOOD。残念ながら、2016年8月に閉店)に出始めた感じじゃないかな。

で、クラウッドに出始めて、深野さん、当時ブッキングをやってた深野さんがワリコメッツを推してくれてて、それで『バキューンとガム』のレコーディングの話が出たんですよ。


●早速『バキューンとガム』の話に繋がりましたね。『バキューンとガム』の話も聞きたいのですが、その前に、クラウッドの話が出たので。先日、エイジさんへのインタビューで『キヨシローナイト』というイベントを浅草クラウッドで開催して、それがたぶん2010年の夏頃じゃないか?という話を聞きました。


○あー、やりましたねー、はいはい。

たぶんそれくらい(=2010年の夏頃)だったと思いますね。

日付がいつだったかは定かではないですけど。


●『キヨシローナイト』で強く印象に残っていることはありますか?


○えーっと、なんでしょうねぇ。

あのー、クラウッド側とワリコメッツ側で出演者を集めてイベントをやったんですね、共同企画ということで。

クラウッド側がブービーズとじゅんた、だったかな?

それで、ワリコメッツ側がチャンバーズを呼んで。

その時に確かチャンバーズが「スローバラード」をやったんですよね。

それが結構完成度が高くて、「マジでチャンバーズすごいな!」って思った記憶がある。


●なるほど。


○あとは、なんだろうな。

あ!ゆっぴぃ(=キリの奥さん)にバックドロップ(=ステージの後ろに張る旗)を作ってもらって。

毛筆で。

【清志郎と飲んだくれナイト】っていう名前だったんですけど。


●イベント名ですか?


○はい。


●そのイベント名はエイジさん、全く言っていませんでしたね(笑)


○本当ですか?ははは。

で、バックドロップを作ってもらって、ステージに飾って。

それと、各バンド2曲ずつだったかな?キヨシロー(=忌野清志郎)のカバーをやってもらって。

で、ワリコメッツだけ、たぶん3曲カバーして。

何やったっけなー?

「ケムリ」!

「ひ〜のな〜いところ〜にも、ケムリ〜はたっている〜」(口ずさむキリ)っていう、あの曲。

それと、「シュー」、「雨上がりの夜空に」。

この辺でしたね。


●あと、タイマーズもやったと聞きましたが。


○あー、タイマーズもやりました。

しかも、キヨシローが歌ってない曲をやったんじゃないかな。

「土木作業員ブルース」だ!

やりましたねぇ。


●話していく中で、、、


○思い出してきましたねぇ、なんか。


●話が変わりますが、ワリコメッツに入って(この辺りの経緯はインタビュー連載 vol.2を参照)、初めての新曲、既存の曲ではないまったくの新曲はなんだったか、覚えてますか?


○えーっとねぇ、それねぇ、たぶんですけど「里帰りボブ」じゃないかなぁ。

「里帰りボブ」か、カバーですけど「俺は絶対プレスリー」。

最初の新曲はどっちかだったと思いますねぇ。


●『バキューンとガム』の収録曲ですね。では、そろそろ『バキューンとガム』の話に移らせてもらいます。ちょっと違った角度からの質問なんですが、まず2011年3月11日に震災がありました。その日は、どこで何をしてましたか?


○それはワリコメッツがですか?それともオレが?


●もしワリコメッツと関連するエピソードがあるんだったら、それも聞きたいです。


○ 3·11の日はワリコメッツ、スタジオが決まってたんですよ。

で、俺バイトしてて、漫喫だったんですけど、地震があって大変な騒ぎになって。

で、夜スタジオで、電波も復旧しなかったし、全然連絡も取れない状態だったんです。

それで、ようやくなんとかメールが届き始めたのが夜遅かった。

夜8時から予約してて、そんな状況だからスタジオにも行けないじゃないですか?

それで当時のドラムのナオさん(Mr.ワリコメッツの初代ドラマー)とエイジさんとはなんとか連絡が取れたんです。

「今日はこれ無理でしょ。この状態だったらスタジオ入るのは無理だね」みたいな話をそれぞれメールでやりとりしました。

けど、葛西さん(Mr.ワリコメッツの初代ギタリスト)だけ連絡来なくて。

「どうしたんだろう?大丈夫かな?」って心配してました。

そうこうするうちに、やっと葛西さんから連絡がきました。

「ちょっと遅れます」って。

猫が土下座してるみたいな絵文字と一緒に。

それで後日、「遅れます」ってメールきたけど、仕事終わってひとまず家に帰りついたのは何時だったんですか?って聞いたら、夜11時って言ってて。

スタジオは8時から10時までだったんで、それだったら遅れるもくそもないじゃないですか?

エイジさんが「葛西ってほんと天然だね」みたいな話をしてたの、すごく覚えてる。


●前回エイジさんへのインタビューで聞いたんですが、『バキューンとガム』のレコーディングは3·11のすぐ後くらいじゃないか、という話でした。


○あー、そうだったかもしれないですねぇ。

その年の夏に出していると思うんで。

あ!

そんな記憶あります。

レコーディングが計画停電に絡んでて、「大丈夫なのかな?」みたいな話をした記憶がありますね。


●先程、浅草クラウッドの深野さんが推してくれて、それでクラウッドでレコーディングの話が出たと聞きました。レコーディングの話が出たのはいつ頃ですか?


○たぶんクラウッドに出始めて、すぐくらいの頃に話もらって、みたいな感じだったと思いますねぇ。


●ってことは、「うちでレコーディングしない?」と誘われた感じですか?


○そうですね。

流通かけて、全国発売しよう、みたいな話をもらったんだと思います。

オレたちはクラウッドが、レコーディングして流通とか、そういう事やってるのは知らなかったんで、たぶん深野さんから誘われていると思います。


●もしかしたら、ワリコメッツ側も、「レコーディングとかも興味あって」みたいな会話をしていて、「だったらうちで」みたいなパターンもありますかね?


○あー、かもしれないですね。

深野さんにはお世話になってて、いろんな相談とかにものってもらってたんで、たぶんそれもあるかもしれないですね。


●『バキューンとガム』のレコーディングで、大変だったこと、苦労したことは覚えてますか?


○えーっとねぇ、まぁ、これはー、、、


●思い出すのが大変かもしれませんが。


○いや、一発で思い出せるんですけど。


●そんな強烈なエピソードがあるんですか?


○ありますね!

クリック使ったんですよ。

オレ達それまで、クリックとか、まぁ、いわゆるメトロノームとかを使うっていう習慣がなかったんで。

まず、ドラムと、ギター、ベースの、楽器隊は一発(=一発録り。レコーディングには通常、同じ空間で同時に演奏して一気に楽曲を録音する「一発録り」と、それぞれの楽器を順番に録音して重ねていく「バラ録り」がある」)でレコーディングしたんです。

そのあとに、「バキューンとガム」はアコギとかを重ねていったんですね。

で、重ねる時に、オレ達のタイム感で、要するにクリック使わずにやってたら、エイジさんがギターを入れられない、歌を入れられない、とかそういうのがあって、結構そこで難航したんです。

「カラガラヨー」とかで、すげー、悪い方向にハマり始めて、時間食ってて。

それで、「そうしたらもう、クリック使ってやってみたら」と深野さんに言ってもらって。

で、クリック出してやったんですよ。

そうしたら、全然クリックに合わせらんなくて。

おそるおそるみんな、クリックに合わせにいって演奏してるから、ノリが全然死んじゃって。

「これ使うくらいだったら、もうクリック無しで録った方がいいんじゃない」ということになりました。


●話を整理させてもらうと、まず、クリック無しで録り始めて、音を重ねる段階で難航して、「クリック必要だね」という話になって。で、クリック有りで「カラガラヨー」を録ってみたものの、結局ダメで、そのあと全曲クリック無しにして録ったということで合ってますか?


○そうですね。

だから、エイジさんが1番すごかったですよ!

合わせにいきましたからね。

結局、オレ達のタイム感で、つまり「よーいドン」でレコーディングをエイジさんはしてないわけですから。

みんなの顔を見ながら演奏したり、みんなのプレイしているところを見たり、そういう風に視覚で合わせにいったりとかできないわけじゃないですか。

そこに後々、合わせていくわけですから。


●それは合わせるの大変だったでしょうね。


○めちゃ、大変だったと思いますよ。

すげー文句言ってた記憶ありますもん、エイジさん(笑)


●では反対に、『バキューンとガム』のレコーディングで嬉しかったことは覚えてますか?


○MTRで、スタジオにあるようなダイナミックマイクとかを使って、本当に簡易的なレコーディングしかしたことなかったんです。

本格的なレコーディングっていうのは、オレ、人生で初めてでした。

で、ラフミックス(大まかにミックスダウンしたもの)ってあるじゃないですか?

そのラフミックスをもらって家で聴いた時に、ちょっと感動しましたね。

「こんなに違うんだ!」「自分の弾いてるフレーズや歌っているところのニュアンスがキレイに聴こえてくるもんなんだ!」と。

そして、ラフミックスの段階で「まだ演奏荒いけど大丈夫かな?」と思ったところも、本格的にミックスとかマスタリングをすると、ちゃんとしっかり馴染んで、一個の音源として完成する。

当時のエンジニアさんとかオレ達と一緒にみんなでミックスダウンしてたんですけど、徐々に出来上がっていくのが、ちょっと感動でしたね。

(*この辺りの返答は専門用語も多く含まれているが、煩雑になってしまうので注は最小限にとどめさせていただきました。)


●『バキューンとガム』を録り終えて、「これいいじゃん!」と当時、手ごたえを感じた曲はありますか?


○なんでしょうね。

あんま記憶にないんですけど。

ま、「バキューンとガム」は単純に、出来上がったのを聴いて、アコギも入ってますし、音数も純粋に多かったのもあって、すごい迫力があるな、と思っては聴いてましたね。


●一曲あげるとすれば、「バキューンとガム」という感じですかね?


○なんかね、コーラスとかも、その場(レコーディング現場)で作ったりとかして。

「ンバ、ンバ、ン、バヤヤーヤ」とかああいうのも、その場で作ったりしたような記憶がありますねぇ。


●発売に関しては、2011年の夏ぐらいということで合ってますか?


○だったと思うんですけどねぇ。


●レコ発イベントやレコ発ツアーはしましたか?


○してないんじゃないですか。

『バキューンとガム』に関してはしてないと思いますねぇ。


●エイジさんから、レコ発ツアーとして北九州に行った話を聞いたんですが、それはもしかしたら『バキューンとガム』のレコ発とは絡んでないんですかね?


○んー、絡んでないような・・・

たぶんねー、『バキューンとガム』出してから地方を回り始めるまでにちょっとタイムラグがあるんですよ。半年ぐらい。


●では、北九州に行ったのはいつになるんでしょうかね?冬ですか?


○冬だったっけなぁ。

覚えてないなぁ。

エイジさんはなんて言ってました?


●『バキューンとガム』のレコ発で行ったという話の流れだったんで、いつ頃のことかは聞かなかったですね。発売の直後に行ってるんだろうな、という認識しかありませんでした。


○あ!

もしかしたら(『バキューンとガム』発売直後)すぐ行ったかもしれないです。

北九州はもしかしたら早かったかもしれない。

その後の、関西とかは、その翌年の2月くらいだったというのは記憶にありますけど。

(後編に続く)



インタビュー : 2019.9.5(木) 新高円寺にて
(記憶に基づいて喋ってもらっているので、記憶違いによる誤りやメンバー間で情報が食い違う場合がございますが、インタビューのライヴ感を残すため、それらの訂正は行なっておりません。ご了承ください。)

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