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ゲーム会社の歴史9 テクノスジャパン編 くにおくんは社長の名前 あとメーカーがゲームを作るわけではなく人が作るって話

最初に本編とは関係ない話

ちょっと自分の記事を読み返して、随分検証不足な部分があったので後で修正したいと思いました

やはり記事にするときは確実な物だけ書かないとダメですね

「そうだろう」と思ってもそれを確信しないようにしたい


今回紹介するテクノスジャパンも、安易に3D化に対応できず倒産と決めつけず、多くの情報を得て自分なりに検証していきたいと思います。






テクノスジャパン誕生

1981年

データイーストの専務だった瀧邦夫を中心としたデータイーストの元スタッフによって設立。

ただし、1982年にはデータイースト製「プロテニス」のコピー基板を製造販売したとして訴訟を起こされ、またその際「データイースト社内からデータが盗難された」旨の主張があったことから、必ずしも両者の関係は友好的ではなかったとみられる。なお訴訟は翌年8月、テクノスジャパンほか1社が謝罪し和解した。『くにおくんシリーズ』により、一躍ヒットメーカーとなり横スクロール格闘アクションゲームのブームを作る。





1986年

熱血硬派くにおくん発売

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アーケード用ベルトスクロールアクションゲーム。

この頃はベルトスクロールアクションがブーム

くにおくんシリーズの記念すべき第1作




1987年11月

熱血高校ドッジボール部発売

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くにおくんシリーズ第3作

こちらがヒットし、くにおくんはスポーツ路線へ

いろんなスポーツのゲームを出します


1989年4月25日

ダウンタウン熱血物語発売

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くにおくんシリーズ第5作

こちらはスポーツ路線とは別でベルトスクロールアクションのダウンタウンシリーズとして続いていきます




1990年5月18日

熱血高校ドッジボール部サッカー編

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1990年10月12日

ダウンタウン熱血行進曲 それゆけ大運動会

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1990年12月7日

熱血硬派くにおくん 番外乱闘編

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1992年6月26日

びっくり熱血新記録! はるかなる金メダル

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これは持ってました。友達とやると面白かったですね。





1993年12月17日

ダウンタウン熱血べーすぼーる物語/SFC

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1994年4月29日

新・熱血硬派くにおたちの挽歌/SFC

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1994年5月27日

くにおのおでん/SFC

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1994年7月29日

熱血!ビーチバレーだよ くにおくん/GB

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熱血硬派シリーズとダウンタウンシリーズの開発者とチームは違うという事に関して

タイトルの「メーカーがゲームを作るわけではなく人が作る」という部分はここです

ゲームを買う側も、(なかなかそこまで考える人はいないと思いますが)メーカーだけでなく作るチームを把握しておくとksゲーを掴まずにすむかもしれません。



致命的だったと思われる内部紛争、ヘッドハンティング

スクウェアは1990年代頻繁にヘッドハンティング(他社から引き抜き)をしております

その一つがFF制作時期にテクノスジャパンから引き抜きしたというのがあります。

そう言われるとFFのマップ・グラフィックにテクノスジャパンの技術が流れているような感じもします。

当然引き抜かれたテクノスジャパンは技術力が落ちます。


またテクノスジャパンでは対立構造もあり、くにおの二作目に当たるドッジボール部を製作する際、キャラを立たせるため頭身を下げてデザインすると「くにおじゃない」と批判され、開発のリーダーがトイレで社長に説教され、くにおの作風に対して社内では波風が起きていたのです。
結果的にそのチビキャラを生んだ製作チームは、ドッジボールや熱血物語、運動会、時代劇をヒットさせましたが、その後、諸事情により引き抜かれて当時のスクウェアなどに人材が流れています。
ロマサガやffの絶好調期と時期が重なるので、スクウェア黄金期の作品にパワーが溢れていたのは理解できる事でしょう。  スクウェアはヘッドハンティングでアイデアのある人材をかき集めていたのです。
その流れはようやくFFリメイクが発表され、発売日が決まった97年のFF7のオリジナル版の開発に流れていくわけです。
こうした流れを見ていくと、やはり作り手の技量や情熱が作品の良し悪しを左右します。
確かに時代劇後のくにおシリーズは初期のコピーばかりだし、勢いはなかった。
初期の作品でファンになった人向け、くにおくんシリーズは40作を超えますが、後年には新規お断りのような状況になっていきました。


くにおくんシリーズに頼り過ぎるあまりの先細り

時代の変化へ対応できなかった

倒産の理由は主にそれだと思いますが


内幕には上記のような人材の対流が業界にはあり、歴史的なヒット作の影にはアイデアマンの引き抜きが存在しています。
メーカーが違っても、実は水面下でヘッドハンティングされた作者がまた違うヒット作品でアイデアを出している可能性があるのです。












1994年

『くにおくんシリーズ』に頼りすぎたため、ゲーム機の進化についていけず、くにおくんシリーズ以外の新たなヒット作に恵まれなかった。このため、バブルの頃をピークに売上が低調に推移し、本社建設費が利益を圧迫しはじめ、経営不振に陥る。




1995年12月15日

事務所が閉鎖し事実上の業務停止。

1996年

倒産




まとめ

誕生からデータイーストからの分離、元会社との喧嘩・ごたごたがありましたが、その終焉も裏切りとは言いませんが引き抜きも一部原因だったとは何とも皮肉。

しかし、SNKのように2Dに生きた技術者達が3Dの時代に生き残れなかった。それもまた事実でしょう。

推測の域を出ない話ですがかなりワンマンな社長だったのではないでしょうか。もう少し自社社員とコミュニケーションがとれていれば。個人的にそう思いました。

会社が潰れる原因のほとんどが人間関係のこじれと言います

財務担当の裏切り、クーデター。人が集まる所ですからそのような話は絶えません。

会社という人は存在せず、本質は利益集団


皆様もksゲーを買った時はそのメーカーが悪いではなく

作った人が悪い

そのような視点で見ると新しい発見があるかもしれません。

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