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2011年のラグビーファンから2018年のサッカーファンへ一言

サッカーW杯が開幕した。日本代表は6月19日夜のコロンビア代表戦が今大会の初戦となる。

代表の勇敢な戦いぶりを期待し、大きく盛り上がる…はずだったのだが、重い空気が立ち込めている。
仕方のない話ではある。大会3カ月前にハリルホジッチ前監督が解任。その不透明な意思決定プロセスに、コアなサッカーファンを中心に大きな批判が巻き起こっている。
そんなサッカーファンの怒りと冷たい態度を見ているうちに、僕はあることを思い出した。

2011年秋ごろのラグビーファン界隈と、何だか雰囲気が似ているなあ…と。

2011年の日本ラグビーは、落胆の年だった。
「強いチームにセカンドチームを当てて、勝てる相手に主力を出す2チーム制」「外国出身選手の重用」など、賛否両論が巻き起こったジョン・カーワンHCの強化体制。「こういうやり方がラグビー人気を妨げている」という声も大きかった。このような喧々諤々な状況でも、「本大会で勝てば、全てオッケーだろう」と僕は考えていた。古い考え方を相手にすべきではない、全ては勝利すれば正当化される。

が、結果は散々だった。初戦のフランス戦は良い感じの負け方だったが、怪我人続出で野戦病棟に、マストウィンだったトンガに敗れ、カナダともまさかの引き分け。「こんな感じになるんだったら、オールブラックスにも当たって砕けろで良かったんだ!」という後悔の声は延々と続いた。

敗れた後に始まったこと。それは一部のファン(と呼ぶのも、個人的には今も腹立たしいのだが)による「傷つけ合い」だった。
「〇〇だから日本ラグビーはダメなんだ」「日本ラグビーは一生弱い」「日本ラグビーに関わるのは損だ」「ワールドカップを返上しろ」…etc

自らを「有能なラグビーファン」と定義し、マウンティングをすることで、素朴な気持ちで支える人たちを不安にさせたり、傷つけたりする。
まだ青かった僕は、そういう人たち(いい年した大人が多かった)とよくSNS上で争ったりもした。特にお互いに分かり合えることもなく、うやむやで終わってしまうだけだったのだが…

ハリルホジッチ氏の解任以降、僕は「日本サッカーを傷つけるサッカーファン」を見かける機会が大きく増えたと感じている。フォローを外したり、ミュートにした人は、正直に言えば少なくはない。
心情は理解できる。W杯で負ける前に、大きな黒星を喫したようなものである。文句を言ったり、自虐に走ったり、批判の論調を強くするのも仕方が無い。当時のラグビーとは比較にならない。僕も平常心でいられるだろうか?

ただ、それを踏まえた上で言いたいのは、僕は「日本サッカーを傷つけるサッカーファン」が嫌いだ。
そして、仮にこの大会が絶望的にダメだったとしても、そういうメンタリティに陥る姿を見たくないということだ。
傷つけることで、傷つけあう姿を周囲に見せることで、失うものはとても大きい。

7年前のあの頃、分の悪い戦いを続けていた僕を励ましてくれたのは、ラグビーファンではなくて、実はサッカーファンが多かった。励ましの言葉をまとめれば、「応援し続けていれば、良いことあるさ」というものだった。それは様々な歴史を重ねていった、含蓄のある激励だった。

いくつかのセンセーショナルな出来事を経て、日本ラグビーは少しずつ歩みを進めている。日本ラグビー界が安泰だとは思わないし、サッカーの足元に及んだだなんて実感はない。

だからこそ、今だからこそ、ファン/サポーター文化の成熟したサッカー界は、他の競技のファンやサポーターに対し、凛とした姿を見せて欲しい。

「日本サッカーを傷つけるサッカーファン」と出会うことが限りなく少ないことを祈りながら、サッカー日本代表の活躍を暖かく見守っていきたいと思う

どうもです。このサポートの力を僕の馬券術でウン倍にしてやるぜ(してやるとは言っていない)