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夏の終わりに

夏が終わる。

先日、たまたま公園で出会った2人の子どものお母さんが

「もう、本当にコロナ嫌になっちゃいますね。全然お祭りとか知らないでこのままいっちゃうんですかねえ。」と、マスクの下で顔を曇らせた。

まだ小学校1年生と4歳だという子どもたちは、マスクはせずに元気に公園を走りまわっていた。

お母さんの言葉に、そうか、4歳の子は、2年前までは夏の間あちこちで繰り広げられたお祭りも花火大会も知らないのか・・・

なかなか衝撃的な事実に気がついた。

昭和生まれの私が「ああ、今年もお祭りがなかったな。」と思うのと、小さな子がお祭りを経験したことはなく、「黙って食べないとコロナになるよ!」と言っているのは、なんというか、もう世界が違う。

以前にも書いているように、私も手洗い、うがい、消毒をして普通に生活しているし、ワクチンも受ける。

ただ、もうこのコロナ禍の社会の動きは、「普通に生活する」とは何なのか?というところに行きついている。

社会の中に、人の中に、コロナ禍以前からあった病的な部分が、新たに現れた騒動を餌に反応し、広がって落としどころがなくなってしまったようだ。

オンラインを全て否定するつもりはないが、実際に会ったり経験するのと、オンラインは別物である、と思うのは、この2年間オンライン授業を経験してきて、さらに実感している。

人間は、肉体を通して現実を体験するようになっている。

心と体はひとつ、とか、心と体は繋がっている、とか言われるのは、当たり前過ぎる事実だ。

体が元気だと、気持ちも明るくなるし、うつ状態なら体も動かない。

体の活動にあまりに制限がかかると、人の感じる力や、現実を認知する力は失われてしまう。

今回のコロナ禍のように、身体的な制限のみならず、精神的な制限もかかると、色々な面で大きな影響が出るだろう。

「人は必ず死ぬ」といった変わることのない事実を覆い隠すかのように、もはや何を目指しているのかわからない決まり事が増えていく。

「先生、皆で車に乗ると楽しいね。」

この夏から新しい職場で、また日々子どもたちに囲まれている。

「皆で車に乗るって楽しい」は、人と会わなければ決して感じられない感覚である。

私が子どもの頃には、ドラえもんの道具でしかなかったような物が、今は現実となって世の中に溢れている。

便利になることは、楽をすることに通じているけど、楽をすることは豊かさに繋がるわけではなかったのだという、事実を目の当たりにしながら。

「皆で車に乗るって楽しいね。」と、にっこり笑う機会が少しでも増えるように、現実を生きていこう。

良い週末を




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