ブランコとお別れ
最初に出会った頃は、発語もなかった。
小学生だったのが、気がつくと中学生になり、次第に増えた発語は語彙も増え、ちょっとした歌を口ずさむようになっていた。
いつもわかっているのにわざとふざけて「ニヤリ」としながら、いたずらを繰り返していた中学性のMちゃん。
「明日から先生いないからね。元気でね。」ぎゅっとハグをすると、みるみるMちゃんの顔が曇っていった。
「あら、わかるのかしら?!」おばあちゃんの驚いた声が響く。
Mちゃんは目に涙をためている。
半年に一度くらいだろうか。時々ぽろぽろと涙をこぼすことのあったMちゃんに、「どこか痛いの?」「誰か何かした?」と色々と尋ねてみたが、Mちゃんが「うん」と頷いたのは「なんだかわからないけど悲しくなっちゃった?」と、聞いた時だった。
「そうか、わかるよ。」と背中をさすってあげたことが何度かあった。
言葉も沢山は出てこない。知的には幼稚園児のように見えるであろう彼女の深い深い心の奥底と、繋がりのようなものを感じることもあった。
損得や忖度とは無縁の広がりのなかにいる彼女は、社会で大騒ぎしている人々より、時に冷静で大人びているように思える時もあった。
公園でよく一緒にブランコを漕いだ。
ブランコが大好きなMちゃんを、あわただしい時間の隙間にほんの5分ほど、ブランコのある公園まで行ったこともよくあった。
「あと20回数えたら教室帰るよ。いーち、にー。」
始めの頃は、私の声だけが公園に響いていたのに、いつの頃からか
「いーち、にー」Mちゃんの声が聞こえるようになっていった。
「Mちゃん、数えられるねー!すごいじゃん!」
Mちゃんは高く、高くブランコを漕ぎながらゲラゲラと笑っていた。
寂しくなるな・・・と私自身は思っていたけれど、Mちゃんがそんな反応をするとは予想していなかったので、寂しさがより一層大きくなった。
コロナ禍で、これまでもきっとくすぶっていたであろう問題や人の性のようなものが、もう隠れていられなくなってザワザワと世の中を揺さぶっている。
色んなことに嫌気がさした日も、Mちゃんとブランコを漕いでいた。
ずっとブランコを漕いでいたら、何かが変わるわけではないけれど、Mちゃんは成長し、私は違う場所へと去ることになった。
「泣かないで。」
何度声をかけてもMちゃんは口をへの字にしたまま立っている。そんな彼女の姿に、おばあちゃんと私も寂しさを堪えきれなくなり。
また、いつか会うかもしれないし、会えないかもしれない。
それでも彼女がくれた経験の数々が、これからの私の背中を押し続けてくれるように思う。
こんな風に人には出会いがあるのだと。
雨が上がったら、近くの公園のブランコでも漕ぎにいこうかな。
良い週末を
、
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