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虚飾を嗤う己もまた虚飾だったと気付いてまた一つ背が伸びた気がした。

牛すじ煮込みを作ったんよね。
すじ煮と言えばさ、別に好きでも嫌いでもないけどこんにゃく入れるやん。
サムネの写真は最初に入れたときなんやけど、煮立った後に一口食べるとクソ不味かったのよこんにゃくが、一塊が大きすぎてまだ内側にこんにゃくの臭みみたいなのが残ってて、それはひどい有り様だった。
大根、すじ、豆腐はこんなに美味くなったのに、お前だけ何なんだよと思いながらこれではいけないと一回こんにゃく全部出したのよ。
そして細切れにした。確実にどこ行ったかわからなくなるサイズのサイコロくらいに小さくね。もうこんにゃく本来の臭みを感じないように、食感だけが入ってくるような。そしたらまあいけるくらいにはなった。
結果美味しい牛すじ煮込みはできたわけだけども、こんなに個性を失うくらいまで切り刻まれて、他の食材と一緒に食べてようやくまあいいかなって思われて、こんにゃく的には絶対居心地悪いよな。
大根とか牛すじとかは仲良くやってて俺らマジで最高やんなって感じの仕上がりになってるのに、なんかその陰でひっそり抱き合わせみたいになってるし。
まず一回俺が取り出し始めた時点でえ?なに?どうしたんあれ何かあったん?みたいなヒソヒソが聞こえてきて、帰ってきてから説明するほどの仲でもないし、なんかいつのまにか細切れなってるしで、その段階で余計他の食材と壁できたと思うし。
胃の中で別のときに食べた食材にどっから来たんすか?みたいな話振られてもこの鍋にいたこと絶対言わないよな。
「いやなんか…味噌の、なんか、そうそう味噌田楽みたいな、そういうやつっすね…あっいやなんか細切れにする人やったみたいで」
みたいな。てかもうさっき俺が言った“美味しい牛すじ煮込みできた”っていう表現も癪だろうな。俺は馴染めてないけどなっていう。そんで大根とかすじが卒業してから全然会ってないみたいな話を人づてに聞いて「なんやあんま仲良くなかったんやん、表面だけやん」ってちょっと嬉しくなって、コミュニティ卒業した後に実際はもう誰もそのときのことなんか考えてないのに馴染めてなかった自分だけが当時傷ついた自尊心を拾い集めるように折に触れて思い出すんだろうな。

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