【ぶんぶくちゃいな】回る回る「協議」は回る…新たなステップを踏み出した米中関係

アジア時間の9月25日未明、2018年12月からずっとカナダで足止めされていた、中国の精密機器メーカー「華為 Huawei」(以下、「ファーウェイ」)の孟晩舟CFOの身柄拘束が解かれ、同日夜にはファーウェイの本社がある深センの空港に戻ってきた。

ニュースでご覧になった方も多いだろうが、中国の国旗を思わせる真っ赤なドレスを来た彼女がスポットライトを浴びながら搭乗口に姿をあらわし、一歩一歩タラップを下りて、その下に敷かれた赤絨毯を花束を抱えて歩く様子は、まるで国家主席かよ、と思わされる演出ぶりだった。今の国家主席、習近平の妻は軍隊付きの著名歌手だが、たぶん彼女もあんな待遇は受けたことないんじゃないだろうか。

そうなることは予想がついていたので、わたしはライブでその様子を見ていなかったけれど、怒涛のように中国のSNSやニュースサイトに流れたその片鱗を眺めているうちに、ふと「でも中秋節には間に合わなかったねぇ…」と思った。

今年の中秋節、つまり「中秋の名月」は9月21日で、日本でも8年ぶりの満月と大きく喧伝されたので久しぶりに空を見上げた方も多いはず。

中秋の名月なんて例年は日本ではほとんど取り上げられないけれど、中国では1年に数回ある「一族郎党が集まって過ごす日」とされている。とはいえ、今や出稼ぎや核家族化が進み、文字通りの「一族郎党」が集まることなんてほとんど無理な話にはなっているが、それでも都会に暮らす人たちは故郷や離れて暮らす家族を強烈に思い起こす日となっている。

その日に孟氏はタッチの差で間に合わなかった。まぁ、仕方ない。彼女の身柄を拘束していたカナダも、その身柄引き渡しを求めていた米国にも「中秋の名月」なんて風習はないのだから。

でも、2010年の時は違った。

この年の9月7日、尖閣沖で違法操業中の漁船を取り締まろうとした海上保安庁の船に漁船が衝突した。あの時、船長と船員が逮捕され拘留されたが、中国政府の交渉によって船員は13日に帰国が許されたが、船長1人だけ公務執行妨害容疑で拘束が続けられた。

船長の釈放を求める中国政府、そして海上保安庁の沽券をかけてもやすやすと釈放してはならぬとする日本の間で丁々発止のやり取りが続き、中国も国内で日本への報復措置を実施(中国国内の日本人ビジネスマンをスパイ容疑で拘束するなど、今回の孟氏釈放と同時に釈放されたカナダ人関係者のケースとほとんど同じパターン)。日増しに高まるテンションの中、同月24日に船長は釈放されて中国に送還された。だが、釈放は緊張緩和には至らず、その後中国ではアンチ日本デモが散発し、日本でも中国に対する嫌悪感が広がった。

だが、その時、実は中国庶民の怒りの底には「日本への失望」があったと多くの中国人から耳にした。

というのも、同年は9月22日が中秋節で、中国ではどこからか、「日本は中秋節までには船長を釈放する」という情報が流れ、人々はそれを信じており、それを裏切られたという思いがあるという。日頃シリアスなニュースを追う中国人ジャーナリストも真顔で、「家族が集まる中秋節までに釈放しなかったことで、日本には悪意があると信じられている」と言った。

中秋節までに釈放すべきだったと言われて、むむむ、その感覚を日本に求めても…と絶句したのを覚えている。日本にはこの日が「家族が集まる大事な日」どころか、「中秋の名月」という意識すらすでにほとんど一般には残っていないということを、目の前の人に説明するのがせいいっぱいだった。

しかし、船長が帰国したというのにアンチ日本ムードが高まった一因に確実にその失望がある、と聞いて頭を抱えるしかなかった。正直その話を聞くまで、当時中国社会に暮らしていたわたしにも「その発想はなかった」からだ。

もちろん、そのきっかけになった情報自体、政府筋が敢えて流したものかもしれないが、今回の孟晩舟女史釈放では政府は「戦勝ムード」をばらまきつつも「中秋節マター」には触れなかった。そして、庶民もまたそのことを残念がる様子もなかった。

時代が変わったのだろうか、それとも戦略なのか、それとも…?

●あっというまに消えた「英雄凱旋」フィーバー


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