大赶走

【ぶんぶくちゃいな】「安全第一」:変わる北京、変わらない北京

わたしは、2001年のちょうど今ごろ、香港から北京に引っ越した。急な引っ越しだったが、以前から時期はともかく予想していたことでもあった。

国際都市から、経済成長はしているものの、まだまだいろんな意味でローカル色の濃い北京へ。そのローカルさ自体が魅力的だったのだが、それでも、心の準備のためにいろいろと情報を集めた。

中国は香港と違い、今も昔も外国人にあまり寛容ではない。外国人サークル「租界」で暮らしてたら気づかないだろうが、昔は庶民にも「外国人を見れば、スパイだと思え」という刷り込みが行われていたようで、友だちに「あなた、スパイなの?」と真正面から聞かれたりして面食らったりしたこともよくあった。たぶん、当時中国に出入りし、中国語をしゃべっていた外国人はほぼそんな目に遭っているはずだ。

わたしも移住以前から中国との間を行き来していたから多少のことは経験し、覚悟していたが、事前に話を聞いた外国人居住者の体験談で一番心に残ったのが、「中国人住宅に住む『外来者』に対する取り締まりが強化されて、大八車に家財を載せて逃げ回った」というものだった。

想像してほしい。当時北京の中心部、故宮を取り囲む古い町並み「胡同」にあこがれて暮らしていた西洋人を含む外国人たちが、家財道具を大八車に載っけて逃げ回る様子を。

それは1995年に国連の世界女性会議が北京で開かれたときだったという。世界的なVIPが集まる大型会議に緊張した当局が、会期前に北京市内の住宅をくまなくチェック、家の持ち主でない人たちをすべて市内から追い払おうとした。当時は賃貸住宅なんて概念はほぼなく、北京戸籍を持ち、政府が認める勤め先で働き、その住宅を所有している人以外はすべて「違法居住者」と見なされた。

外国人といえば、月数千ドルもする外国人公寓か、留学生や教師なら所属学校の寮に住むのが当たり前で、ちょろちょろと街中の住宅を借りて暮らしていた人たちが取り締まりの対象となった。

その話だけは強烈に今も覚えている。

中国らしいといえば中国らしいと思いつつ、わたし自身も外国人向け高級アパートで暮らす余裕はなかったからどうやったらそんなハメに陥らずにすむかを真剣に考えた。だがその一方で、まさにその時に経済発展のさなかにあった中国はこれから発展するだろうし、さまざまな矛盾を抱える地方ならまだしも、首都北京ではもうそんなことは起こらなくなるのでは、という期待も抱いていた。

実際のところ、わたしは結局2014年まで北京で暮らしたが、ほんの数ヶ月を除き、ずっとローカルの中国人に紛れて中国人住宅で暮らしていた。そのうちに外国人もきちんと所轄の警察署に居住登録をすれば住めることになった。その間SARSで街が封鎖されたり、6者会談などに代表される国際会議も行われたものの、夜逃げのような追い出しを体験することはなかった。

中国もやっぱり変わったのだ…ではなく、今から思えばわたしはラッキーなだけだったのかもしれない。

●アリのように追い出される人たち

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