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ハシゴ映画のすゝめ

千葉県にあるキネマ旬報シアターに行ってきた。
誰かと映画を観たい気分で、友達を誘う。
二つ返事で柏に集合する。いいやつ。
映画のレンタルBlu-rayがお家に6本あるけれど、見えないふりして家を出る。

小さいスクリーンが3つ。ロビーは昔の映画のパンフレットがたくさん並んでいて、それを眺めているだけで時間が過ぎてしまいそうなくらいだった。
スクリーンのソファもふかふかで座り心地良し。
座面の傾斜が弱かったので、斜め前のおじちゃんの後頭部と一緒にスクリーンを眺める羽目になる。
座った位置によって、スピーカーがちょっと遠い。
まぁいい、良い席を探すのも、ミニシアターの面白さだと思っている。

映画の感想を長々と文章にすることはあまりしないのだけど、良い日だったので書いておく。




まず1本目。
【ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリディ】
全寮制の学校。冬休みはみんな里帰りをするけれど、学校に居残りになってしまった生徒と、先生と、厨房のおばちゃんの3人。それぞれ事情がある3人が小さな絆を深めて、いつもとはちょっと違うクリスマスを迎える。
現実が大きく変わったとか、なにか急激に良くなったとかは無いけれど、3人の中には心地良い思い出が残っていて、皆それぞれ大事に抱えてこれからも生きていくんだろうなぁ。みんな色々あるけれど、傷つけたくて傷つける人ってあんまりいなくて、みんな心の中では「みんなが幸せだと良いな」と漠然と考えているのかもしれないな、と思えたり。それは意識的か、無意識かに関わらず。
余韻で心が温まるような映画だった。映画館で観て良かった。ミニシアターならではの、なんとなくの一体感。空間ごと温めてくれたような映画だった。




次の映画まで時間があったのでご飯を食べに行く。
なんだか可愛いハンバーガー屋さん。案内してもらったからもう全然どこにあるか分かんないけど。
映画の余韻を共有しながら散歩する。
クソ暑いはずなんだけど、穏やかな時間で心がポカポカした。




2本目。
【関心領域】
「関心領域」とは、アウシュビッツ強制収容所を取り囲む40平方kmの地域を表現するために、ナチス親衛隊が使った言葉だそうだ。
アウシュビッツ強制収容所の真隣に建つ家。家族の幸せな暮らし。時折聞こえる銃声。ひっきりなしに立ち込める煙突の煙。でも家族にとってはそれは関心領域の外にある。だから幸せ。"私たちの暮らしは幸せ"
母親が訪問者に「アウシュビッツの女王ね」と言われて喜んでいるシーンの違和感が拭えない。アウシュビッツは殺戮の地だけれど、あの母親にとっては素敵なお家で、素敵な家族に囲まれて、何不自由ない素晴らしい場所。塀の外の銃声や怒号や煙は、母親にとっての関心領域の外だから。
強制収容所所長である父親が、家の庭のプールから塀の向こうにモクモクと上がる煙を見ているシーンがある。なにが行われているか知っている。むしろ支持している、明確な加害者である。なにを思って眺めていたのか。複雑な心境だったのだろうか、いや、またこれも関心領域の外にあるのか。
子供たちは、度重なる銃声に、なにを感じているのか。人々の怒号や悲鳴が聞こえて、何を感じたのか。父親が何をしているか知っているのか。全部、関心領域の外である。だから幸せ。裕福な暮らし。愛する家族。

誰目線でもなく、家族の生活を全体的に映している構成だった。だから体験させられる。
アウシュビッツ収容所の中は全く映らない。それが想像を掻き立てる。どんな恐ろしいことが行われているのか。たんぱく質の焼ける匂いが漂ってきそうだった。

違和感でぞわわとする映画だった。
でも分からない。何が見えていて、何が見えていないのか。
ここに映る家族たちと自分は、何が違うのか。
同じかもしれない。
私の関心領域はどこなのか。なぜ戦争は起こるのか。



ハシゴ映画の相性としては最悪の2作だったけれど、時空を超えたような、次元を超えたような1日になった。だから辞められない。
帰ってからもう1本見ようと思ったけれど、さすがに脳疲労が酷かったので辞めておいた。

ミニシアターにあるドリンクバーに密かに憧れている。ハシゴ映画をする前提のシステムだと思う。
3、4本ハシゴ映画をするときに、いつか頼んでみたいと思っている。

また行こうねと約束する。
今度は何を観ようかなあ。

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