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子どもを信じるということ〜BLW体験を通して〜

People are naturally creative, resourceful, and whole.
(人はもともと創造的で、必要なすべを持つ、完全な存在だ。)

キンバリー=ハウス他著『Co-Active Coaching』理念より(筆者拙訳)

2021年7月9日、息子が私の誕生日(6月9日)の1ヶ月後に元気に生まれてきてくれてから、この1年間の人間としての進化の過程を振り返ると感慨深い。
うつ伏せで「う〜ん、う〜ん」とうなっていたのが、3ヶ月手前で首が持ち上がり、いつの間にか寝返りをし、腰がすわり、今では高速ハイハイ+つたい歩きで思いのまま移動している。だいぶ拘束されていた添い乳も、10ヶ月手前で私のステロイド注射のため断乳に踏みきるとキッパリといらなくなり、自分の要求を精一杯「あー!おっ」と伝えたり、手を伸ばして抱っこをせがんだり、保育園に行きだしてからは「いただきます」のおじぎを真似し出したりと、もう赤ちゃんを卒業してしまったのは少しさみしいが、人間として生きる力、たくましさをまざまざと見せつけられている。

私は、まあるく生まれた魂を、そのまんま丸く大きく育むイメージで育てていけたらと考えている。親の私に似ず、自己肯定感を高く持って、愛され上手に育ってほしいという思いもある。
そのためには、子どもの生きる力を信じることが大切だと、様々な考えや理論に触れて分かってきた。

そのうちの一つ、食に関して、「BLW(Baby-led Weaning = 赤ちゃん主導の離乳)」という、海外を中心に広まっている離乳初期から固形のつかみ食べを進めていく方法を、生後6ヶ月頃から取り入れた。

BLWを取り入れるまで

はじめは普通の離乳食をあげていたのだが、ちょうど6ヶ月を過ぎたあたりから自我が出はじめたのか、「じぶんで食べたい」とスプーンを持ちたがり、大人の食べ物も欲しがって泣くようになってしまった息子。
離乳食作りというのもこれまた辛気臭く、すりこぎでせこせこ擦ってもちょびっとしか取れないコスパの悪さで、にんじんの裏ごしは人生で二度とやりたくないことワースト10に入るであろう。2回食になると準備が相当ストレスになり、割と重労働なので夫にも任せてみたが同じく苦痛だったようで、その上いざ食べさせようとして泣かれるとますますやるせなく、「”一緒に食事を楽しむ”余裕なんてどこにあるんだ、育児書を書いた人は本当に育児をしたことがあるのか」などと二人でいぶかっていた。

余談だが、アメリカなどではベビーフードはほぼ買うことが多いそうで、手作りに関して英語のサイトを検索してみたら「節約になって、オリジナルレシピも試せていいわね♪」くらいに書いてあった。すごく気楽である。
社会保険制度として育休がなく、産前産後は「短期身体障碍(short-term disability)」に分類されて産後2,3か月で職場復帰するような環境の違いもあるだろうが――。
おそらく20年くらい前からほぼアップデートされてないであろう厚生労働省の基準や、親を追い詰めるようないちいち手間のかかる”美徳”を押し付けてくる育児関連の書物や専門家の言動が、日本の(主に母)親の幸福度を下げる一因になってはいないだろうか。

そんな時に、名前だけは知っていたものの、マレーシアの友人が強くオススメしてやり方を詳しく教えてくれたのがBLWだった。彼女とは20代のときに東京で一緒に仕事をしていて、3週間先に彼女が出産して“ママ友”になり、年末頃から週1ペースでオンラインランチをするようになった。
彼女は他にもモンテッソーリなど熱心に研究していて、育休中に受けた影響は大きく、他にもお互いはじめての子育ての中で子どもの成長や悩みなどをシェアしたりと、(今も不定期に続いているが)励みと支えになる豊かな時間を過ごした。

BLWの考え方


BLWでは、6ヶ月ごろからやわらかく茹でたスティック状の野菜やトーストなど与えてよく、”赤ちゃんのほしい順番で、ほしいだけ”自分でつかんで食べる。最初はうまく食べられなくても、栄養面はミルクでカバーされているので心配しなくてもよく、咳反射も正常な反応だ。
従来の離乳食を「栄養の消費(Consumption)」重視としているのに対し、BLWでは「食べる経験(Eating experience)」に焦点を当てている点も新鮮だった。散らかしても気にせず、しだいに上手に食べられるようになっていくのを見守り、一緒に食卓を囲む楽しさを伝えるのが親の役目だ。

Solidstartsのウェブサイト(英語)では、食べ物の名前を検索すると食べさせて良い時期と適切な食べさせ方が出てくるデータベースを運営していて、日本より基準がゆるくて大抵の食べ物が6ヶ月からOKだ。
そして、1歳までに100種類の食べ物を経験することも提唱されている。
1歳までに親が与えたものは何でも食べるが、その後は選り好みが出てくるのだという。

そういえば、赤ちゃんはちょうど5、6か月頃から周囲の物を何でもつかんで口に入れるようになるし、赤ちゃんなりに1歳の完了期までに親からの自立の準備を始めているのだと思うと、守ってやらねばならない弱々しい存在ではなく、自分で生きる力を備えている自然界のたくましい一員だとまぶしく見えてくる。

BLWを試した感想


BLWに切り替えてみて、固形状の食べ物を自分で食べてくれるので準備も楽になったし、食事中は基本、窒息などないか見守るだけでよいので、それこそ一緒にご飯を食べる余裕が出来たのも親にとってはうれしい副産物だった。
日本独特の食べ物を数えると、納豆などの大豆食品や多様な魚類など含めて100種類は余裕で達成でき、記念すべき100種類目はシシャモだった。

頭を除いたシシャモにむしゃむしゃかぶりつく当時9ヶ月の息子。
この頃にはご飯も五穀米の普通炊きをあげていた。

周りの反応


BLWはお隣の韓国でも広まっているようで、私のインスタグラムの投稿を見た韓国の友人が、テーブルまですっぽり覆える優秀なお食事ガウンなるもの(※冒頭写真)と、アジアの食材を使ったレシピがたくさん載ったBLWの本を送ってくれた。(筆者は大学時代に日韓学生サークルに入っていて、ソウルへの超・短期留学の経験もあり、中の中レベル程度の韓国語が読める。本の内容の2/3は残念ながら飛ばし読み、あるいはGoogle翻訳頼みだったが、汗。)

BLWをしていることを話すと、「汚れるそうなので、覚悟がありますね」と言われたことがあった。たしかに食べこぼしは多いが、生まれたての経験値ゼロの人が最初から食べるのだって何だって上手にできるわけがない。それに、散らかしたり汚されたりされて困るなんていうのは大人の都合であるから、それが理由でさせないというのは、子どもが自分で体得する芽を摘む行為にもなりかねないと思った。

子どもを信じることの大切さ


思えば、親が「いたずら」として子供に怒ることの大半は、大人の都合が絡んでいる。ある時まだ産休前だったが、電車でベビーカーに乗った女の子が自分の靴下を床に落として手をパチパチ叩いて喜んでいるのを見た。しかしそれを両親に怒られて、女の子は泣いてしまった。可愛くて高そうな靴下が床に落ちて汚れるのが嫌なのは分かるが、その子にとっては、自分が新しくできたことを大好きな親に同じように喜んでもらえなくて悲しかっただろう。

上記はあくまで一例だが、育つ過程でそんなふうに往々にしてある傷つく体験が、後々までその子の心理状態や生きる力=「レジリエンス」(抵抗力)に影響を及ぼすのではないだろうか。
物を汚されたり壊されたりしても取り返しがつくが、子どもの好奇心を育むことや傷のない心に代わる対価はない。前者は”この世の価値観”――所詮お金を出せばまた買える――が、心を守れるのは愛しかないのだ。

子どもが失敗しても否定したりせずに、できると信じる、あるいは子どものやることには少なくとも意味があると信頼して、見守る心がまえを持っていたいものだと思う。
とはいえ、私も人間なので、特に自分が余裕がない時に(牛乳系の)液体をバッシャ――ンとはねとばされれば、怒らないでいるのにはよほど覚悟がいる、にせよ。

奇遇にもこの記事を書いていて、前出のSolidstartsのインスタグラムに同じような”Trust”(信頼)についての投稿を見つけた:

@Solidstartsインスタグラムアカウントより
「信じてあげて、赤ちゃんが自分にどれぐらい食べ物が必要か自分で知ってるということ、赤ちゃんの体に自分を守る機能がちゃんと備わっていること。そして、赤ちゃんに本来の食べ物をあげたり散らかしても好きにさせていることを誰かから批判されたら、自分自身を信じて。」

こんな風に欧米の理論を紹介していると”欧米の考えはすべて良い”という欧米崇拝者みたいだが、西洋諸国だって実際には少し前まで体罰は各家庭で普通に行われていたし(高校の時ホームステイしたオーストラリアの家にはお尻叩き用の棒があった)、頭ごなしに子どもを言い聞かせたりということだって今でも人によってはある。そういう上の世代や一昔前の考え方に対する抵抗・革命として、BLWや『No Drama Discipline』(感情的にならないしつけ:拙訳)などの新しい理論が台頭していっているんじゃないだろうか。

1歳になった息子はもう、味の濃いものや生もの・硬いもの以外は大人とほとんど変わらない食事をしている。あごの力がついているのか、気づけばよだれかけが全然いらなくなったし、ペットボトルも普通に直接ラッパ飲みしている。今のところ食べムラが目立つわけでもなく(特に好きな食べ物はあるが)、何でも果敢につかんで食べる食欲は両親譲りのようである。
最近は大人のコップで飲んだり、お箸を真似して使ってみるのがマイブームのようで、器の中身をぐちゃぐちゃして喜んでいるが、こちらも好きにさせている。
普通の離乳食でも行きつく先は同じかもしれないが、一緒に体験してきたお互いの信頼の時間が、これからの関係を形作る財産になったらうれしい。

幼児期以降が本格的な子育てというし、今後、親がつい口を出したり先回りして注意したくなるような場面も増えてくると思う。また、集団や社会の中で守るべきルールを教える必要性も出てくるだろう。
つまづいた時にはこの乳児期を振り返り、できるだけ我が子を信じて一緒に成長の道を歩んでいけるように、心の余裕を忘れずに持っていたい。


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