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インターネットの各所から悲鳴にも近いTwitter嫌悪の声が聞こえる

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 気配はずっと前からあった。もうしばらくずっと、みんな疲れているようだった。基本的にSNSなんていうものは好きで使っているはずで、しかもツイッターというものは好きな人しかフォローできないわけだから、自分が嫌なものは見ないで済むはずだった。RTボタンがすべてを変えた。人の意見や反論を簡単に引用できるようになった。本来見えるべきもないマイクロな不満が拡声機によってどうしようもなく耳に入るようになった。いつしか、本来自分にはまったく関係なく、しかも緊急性に乏しい案件が、あたかも地球全体の危機であるかのように喧伝されるように相成った。いかに胸のすくようなことを言えるかという新たなe-sportsが静かに始まった。選手一同のスーパープレイに心奪われた観客たちはMVPをフォローする。フォロワーが増えたアカウントの発言力は増し、そいつが次に口を開くときを待ってさえいれば、祭りの気配を感じることができる。新しい祭りが始まったときには、皆すっかり前の祭りのことを忘れているし、覚えていたとしても、踊っているうちに忘れてしまう。踊っているうちは楽しいが(おそらく踊っている人たちは「怒っている」のだが、その状態は楽しいのだと思う)毎日のように続くとやがて疲れてくる。ふと落ち着いて周りを見回すと中途で立ち消えた議論ばかりが身の回りにあり、実のところ何の結論も生まれていないということに気づく。いや、「結論はすでにある」と信じ込むことで自我を保つ者もいるようだ。もちろん、不毛さに呆れ果ててツイッターを離れる者も現れ始めている。鍵垢に引き篭もったり、アカウントを消した友人もいる。消そうとして、不安だったり、自己顕示欲の解消という問題にぶつかった挙げ句に戻ってきてしまう人もいる。不満の声は広がり、木霊し、「情報を見極めよう!」のアカウントが登場したことで極に達する。今まだここに残っているのは、自分の意見が正義なのだから発信し続けなくてはならないと信じる者、つまり「信仰者」と、完全に情報をシャットアウトし意図的に騒動から距離を置いて友人とのコミュニケーションや趣味の情報を発することに特化していく「世捨て人」、そして、もうどうしようもなく疲弊しているにもかかわらず仕事やその他の都合でどうしてもツイッターをやめられない「煉獄の人々」、そのどれかに属する人だと思う。そして、オレたちは「煉獄の人々」だ。このnoteは「煉獄の人々」に向けて書いている。今も体を焼かれ続けては、どこの誰だかも知らないヤツのスカートのしわについてのステートメントを発するべきか、黙するべきか考えている。幾人もの悩ましいうめき声が空間に木霊し、まるで叫びのように感じられるときもある。

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 っていうか、最近、ツイッターはずっと叫んでいる。もう正義などなく、理性もなく、コミュニケーションによる相互理解という幻想が死に、ついでに「文章を読んでいれば頭が良くなる」的な幻想も死に、何も信じられないことになったわけだから当然だ。こんな世界で正気を保ち続けるにはリソースがかかる。「差別はよくない」とか「人間は呼吸をしていたい」とか「お腹がすいたらご飯を食べたい」というような当然のことを維持するのにかかるリソースが半端じゃないわけだもんな。おまけに、我々がこれまで培ってきた「インターネットリテラシー」は、高須クリニックの発言や津田大介の悪口をRTして慌てて消す奴らによって啓蒙されることになった。ところで情報を見極めよう!のアカウントは2/10日以来何も発信していない。皮肉にも、これは正しいインターネットリテラシーの実践といえる。

 とにかくもうみんな限界まで疲れている。爆発寸前に見える。もうギリギリのところにきていて、たまたま崩壊していないだけだ。もうここには日常の呟きはなく、叫びしかなかった。いや、必死に日常を保とうとしてる人もいるけど、逆に不気味に見えることがある。怒りを表出させるのは馬鹿らしい、インターネットに一々ムキになって消耗してるなんてダサい、というのは正しいが、もはやその態度を徹底するのにもある程度のリソースがかかっているはずだ、とオレは思う。「自分はノーダメです」というふうに振る舞うのが強かった文化がかつてあった。いや、いまでもそれは強いのかもしれない。ツイッター社は「情報を見極めよう!」の炎上に関して「いやオレたちも困ってるんすよね」的な態度を示した。これはNGTの炎上のとき秋元康が「おれも怒っている」と示したのと似ている。いま国会などで行われていることにも似ているだろう。「自分は怒る側であって怒られる側ではない」という詭弁は、いまやこの日本中を支配している。その態度はある種強い。「負けを認めることがない」のだから「負けることがない」。教養のない人は「あ、この人は怒られることをしていないんだ」と信じてしまうし、とにかく謝りさえしなければ、外面的には「勝っている」ポーズを続けることができる。この「ノーダメ」の振る舞いが、インターネットすべてに充満し、負けない人たちを作り出している。負けない人たちと負けない人たちがケンカをし、どちらも負けない。だからなんにも意味がなくなっていく。言い負かすことができない敵、結論の出ない言い争い、負けない人たちが生み出したのは強い虚無感と倦怠感だ。ただただオレたちは時間を無駄にした、という感覚だけがある。勝利者などいない。単に謝らないだけで、何もかもが無駄になって、何もかもが信じられなくなり、情報の価値が薄まっていく。情報が極限まで薄まったタイムラインを目で追ってどんどん疲れていく。だからってやりあっても無駄だ。しかしやめることもできない(やめたら負けない人たちが勝ったことになってしまいかねない)。ここに囚われている人たちはどんどんと疲れ、苦しくなっていく。

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 「煉獄の人々」の叫び声が、ここ最近ずっと聞こえている。だから、すこし気持ちが軽くなるようにDiscordのサーバーを作ったりもした。ツイッター以外にインターネットのコミュニケーションを行える場所があれば、ちょっとはマシだと考えたからだ。実際にちょっとマシになってるのかどうかはまだ検証できないが、まあ少なくとも今ん所悪影響はないと思う。とはいえ、まだ苦しんでる人はいるだろう。オレは宗教家ではないので君たちを救うことはできないが、ちょっと気持ちを軽くしてやるようなアイデアならいくつかある。まず、村を作り、情報を共有すること。信用できる書き手を探すこと。自分の心を豊かに保つことをして、それにお金を使うこと。ユーモアを維持すること。できるだけ多くの(一方的にでもいい)信用できる人を見つけること。そして、自分にとってアクチュアルなことをずっと考え続けること。もう、単にツイッターするのも楽じゃないことになってしまった。ただインターネットしてるってことがしんどいような状況だ。いっそみんな新型コロナになって破滅してしまったほうが……というようなことをみんなうっすら考えていて、それがちょっと論調に反映されてるようにも見える。現代版「ええじゃないか」なのかな。静かでダークだが。オレは「ツイッターやめろ」なんて無責任なことは言わない。鍵垢に籠もるってのもありだが、しかし、まだ戦いつづけるのなら、口をしっかり結んで、意思を強く持つ必要がある。そして、我々は超人ではないので共闘する必要がある。だから、この人とパイプを持ちたいと思ったら交信してみることも大切だと思う。単なるフォロー/フォロワーから一つレイヤーが上の関係性があって、そこでの情報共有があるということはすごく重要なんじゃないかな、特にこれからは。これは「リア友」って意味じゃないよ。共闘出来る相手は友人ではないから仲いい必要はないけど、ある分野においては友人よりも信用できる。「仕事仲間」に近い。実際に同じ仕事をしてるわけじゃなくても。

 叫び声が聞こえる。ずっと聞こえている。オレは君の友達になってやることはできないが、何故苦しいのかを理解すればちょっとは苦しみがマシになるだろうと思う。と、いうことで、我々の現在位置と、これからすべきことを、今自分が考えられる範囲で書き記してみた。



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他人のコンピューターをハッキング(クラッキング)して悪いことをしようとしているハッカー(クラッカー)のイラストです。http://twitter.com/waniwave
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