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『限りなく完璧に近い人々』北欧の人って本当に幸せなの?



北欧諸国といえば、税金は高いが充実した福祉が存在し、経済は概ね堅調でしかも労働時間が短く、民主的で腐敗の少ない政府を持ち、そのうえ、シンプルでオシャレな家具が溢れる地上の楽園というようなイメージ゙があるのかもしれない。実際に英国にあるレスター大学の心理学部の「人生の幸福度指数」という調査では、デンマーク人が人類でもっとも幸福な国民に選ばれている。2011年に国連が行った世界幸福度レポートでも1位がデンマークで2位がフィンランド。ノルウェーが3位でスウェーデンが7位という結果もある。


HONZでも最近、新メンバーの堀内勉が『フィンランド人が教える本当のシンプル』と言う本のレビューを書いている。本書によればフィンランド人は朝の8時から仕事を始め夕方の4時くらいで仕事を切り上げる。仕事と家族、そして個人の自由な時間とのバランスを大切にしており、夏休みは平均で4週間もあり、多くの国民が田舎にコテージを所有している。そこで長い夏休みを何もせずにゆっくりと過すという。実に羨ましい話だ。OECDが暮らしの11分野について行う調査でも全ての点で調査国の平均値を上回り国民が「人生に満足している国」と評価されている。


このような結果を受け、高負担、高福祉国家である北欧諸国を自国のモデルとするべきだという意見が根強く存在する。しかし、本当に北欧諸国は地上の楽園なのだろうか。デンマーク在住の英国人である著者は、上記のような巷にあふれる北欧の国々の幸福神話に疑問を持ち独自の調査を開始する。取り上げられている国はデンマーク、アイスランド、ノルウェー、フィンランド、スウェーデンだ。英国の日刊大衆紙からアル・ジャジーラまでが認める北欧幸福神話に対して、わざわざ斜に構えるとは風変わりな著者だと思って名前を見れば、マイケル・ブースとある。


熱心なHONZファンなら聞いたことがある名前だろう。以前に田中大輔がレビューした『英国一家、日本を食べる』の著者である。同書では斜に構えた視点持ちながらも的確に日本の文化の真髄を理解し、皮肉とユーモアたっぷりの文章で日本食をレポートしている。そんな著者が北欧諸国について取材しレポートしているのである。ページをめくる前から期待感が湧いてくるではないか。


では北欧諸国は、それほどうまく行っているのか?答えはイエスでもありノーでもある。例えばフィンランドを見てみよう。『フィンランド人が教える本当のシンプル』では見えてこない一面が見えてくる。著者ははっきりとフィンランド贔屓であると公言し、その素晴らしさを最初に謳う。優秀な国民、公共マナーの良さ(他の北欧諸国は意外にマナーが悪い)国際ランキング1位の教育制度、格付け機関からトリプルAを付けられる健全な財政、もっとも公的機関の腐敗が少ない国などなど。


しかし、その反面では国民の銃の所有率は世界第3位で殺人の発生率は西ヨーロッパ(原文ママ)で最高という負の側面あるのだ。またフィンランド人が摂取している処方薬のトップスリーは1位が抗精神病薬、2位がインシュリン、3位が別の抗精神病薬だという。向こう見ずな大酒のみが多く、自殺の発生率が非常に高い。どうであろう、このような点だけ見ても映画『かもめ食堂』的なフィンランドのイメージが揺らぐのではないだろうか。


では、「人生が辛いと感じるか」という質問に「はい」と答えた国民がわずか1パーセントしかいないとされるデンマークを見てみよう。この国では労働人口の20パーセント以上が働いていないという。失業者は就労時の賃金の90パーセントを2年間も保障されている。手厚すぎる失業保険があれば働かない人々も出てくるであろう。北欧のような高福祉政策をとれば、このようなコストとも向き合わなくてはならない点はしっかりと考えるべきだ。


またデンマークでは、多くの世帯で貯蓄がゼロなのだとか。さらに貯蓄ゼロだけならまだしもデンマーク世帯は多額の借金を抱えている。IMFの調査ではデンマーク人は平均して年収の310パーセントの負債を抱えているという。医療や教育がタダで失業しても収入が断たれることのないデンマーク人のお金の使い方は実に刹那的なのだ。


一方でデンマークの高福祉政策は綻びが見え始めているという。いずれ、隣国スウェーデンのように大掛かりな制度改革が必要になってくる。福祉政策の縮小が始まったとき、彼らはどのように膨大な負債を乗り切るのだろうか。これが「人類でもっとも幸福な国民」のもうひとつの側面だ。


著者はデンマークの「ヒュゲ」という概念に対する苛立ちもみせている。この概念は日本の「空気を読む」に少し近い感覚なのだが、アングロサクソン人の著者からは、全体主義的な概念に見えるようだ。このあたりの文化的摩擦だけでも本書を読む価値はあると思う。


だが本書は北欧諸国の駄目な面を取り上げて悦に入るような、独りよがりな作品ではない。北欧諸国がどのような歴史的な経緯を経て今のような社会が形成されたのかを考察し、さまざまな専門家にもインタビューを行う事で社会の深層を描き出そうとしている。


近年ではどの北欧諸国でも、移民の排斥を訴える右翼政党が急速に力を持ちつつある点も興味深い。また、私たちアジア人からすれば均一に見えてしまう北欧の国々にも大きな違いが存在する事。歴史的な経緯によって生まれた、それぞれの国に対する妬みや敵意というものを分りやすく描いている点も本書の魅力のひとつだ。


そのような真面目な考察だけでなく、イタズラ心溢れる実験を行い北欧の人々を挑発してみたりと、笑えるエピソードも満載だ。全体主義的な北欧の人々に業を煮やした著者のイタズラは痛快でもあり、ちょっと刺々しくもある。ちなみに私のお気に入りのイラズラは、規則を厳守する人々が多いスウェーデンの博物館の「飲食禁止」という看板前で、著者がスナック菓子とコーラを、ことさら大きな音を立てて飲み食いしたエピソードだ。このイタズラはどのような結末を迎えたのか?それは本書を読んで確認して欲しい。


メディアに溢れる北欧賛歌の裏側にある生身の北欧を見つめれば彼らの社会にも様々な矛盾、問題が溢れていることがわかる。それでも彼らは自分達をこの上なく幸福な国民と考えているのだ。彼らの幸福感の源泉がどのようなものなのか、北欧を論じる際には社会の深層までえぐる必要があることを痛感させられた。 




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