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【Mommyマミー】を観てきた

二村真弘監督の、【mammyマミー】を、観てきた。
見出しで、「この社会のでらめさを暴露しながら、合わせ鏡のようにして、私たち自身の業や欲望を映し出す」と過激な言葉が躍る。
和歌山カレー事件を、知っている世代でないと導入部分で全容を掴めないかもしれなないが、知っている世代ならあの頃の世間の喧騒が走馬灯となって甦るだろう。

「死刑確定後、まだ執行されていなかったんだ...」というのが、最初の感想。
そして、見終わった最後は、「これは、冤罪ではないのか?」という疑問と、「検察がまたやったな。」という怒りと、「マスコミは本当に使用できない」という嘆きと、自分を含めて「人って、簡単に信じてしまうんだな」という悲しさと、負の感情が押し寄せた。映画を見れば、早く再審を開始して欲しい、と誰もが思うだろう。

なぜ、再審を開始できないのか?
司法制度の怠慢なのか。三権分立が虚構なのか。実は、まったく違う事実が隠されているのか。いや、実は判決が正しいのか。
そして、あの夏、マスコミと一緒になって林さんを犯人と確信していた自分を思い出す。再審を開始することは、26年前の私たちを否定する事になるかもしれない。冤罪。その恐怖。戻せない過去。だからこそ、司法は独立するだけでなく、正しくなければならない。行政・立法は、修正・上書き(しないに越したことはない)が不可能ではないが、人の罪は修正・上書きができない。時間は一方向にしか進まないのだから。

映画の最後、ジャーナリスト峯村健司氏との対談があった。この方は、朝日新聞に勤務されていた時和歌山毒物カレー事件を取材し、それをきっかけに数々の賞を受賞された。現在は、キヤノングローバル戦略研究所主任研究員として数々の寄稿をされ、しばしば自分も拝読している。ああ、この方が・・・と、26年の時を超えて繋がり、なんとも言えない虚無感に襲われた。

ジャーナリズムは、社会のでたらめさを暴露できないのであれば、何も語らいで欲しい。私たちは、業や欲望から目を背けたいのだから。


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