見出し画像

誰もが愛しているわけではないかも知れないおれの好きな京都の街並みについて。(ネットサーフィン記2020/8/14)

オールドエルバンのタコソースホットにトップヴァリュとかのトルティーヤチップスをつけて食うと、無限に食えてうまい。それにメキシコを感じて、おれはまた明日から戦いに出かけられる気分になる。(休みだが)

京都は歩ける日本の近代都市遺産としてとても素晴らしいと思うので、ぜひことが落ち着いたら歩いてみて欲しい。

大都市に高層ビルが立ち並ぶ昨今。何なら都心であるほど道が広くなったり、建物の前にオープンなスペースができたりしている。ビルの中がぎゅうぎゅうであっても、街は開放的で、風通しがいい。そんな風景が増えたように感じる。

しかし、今なお建物が主に平屋かせいぜい2階建てにより構成されていた時代から、大して変わっていない大都市がある。その代表が京都だ。

とにかく道が狭い。空間がない。家でギッチギチである。いや、たまに広い道もある。ただそれは、その昔、路面電車が走っていたからとかそういう理由で極端に広い道があるといった事情であり、今となってはむしろ無駄に広いとも感じられる。

そして車を停めようと思ってコインパーキングとかを探そうとすると、とりあえず空き家つぶしたので駐車場にしときましたね、といった風の、いかにも間に合わせな、めちゃくちゃわかりにくい場所にしかない。おれはそういった場所に度々迷い込み、思いがけず京都の何でもない街を歩くことがある。

ギリギリ駐車もさることながら、おれがいつも気になり、今となってはよそではあまり見かけないな、と思うものがある。それは、町屋めいた物件の、1階に無理やり車が入っているパターンのやつだ。できれば、商店風の建物で普通に正面の扉がアルミサッシか何かであり、その奥に昭和の曇りガラスを通して軽自動車のツラがうっすら透けて見えているようなものが、風情があってよい。

今、ストリートヴュウで一生懸命探した。こういうのだ。アルミですらないのでこれは相当レベルが高い。

画像4

上から見ると、これはどうやら長屋みたいだ。建物の雰囲気からして、これはわざわざ街並みを守りつつ駐車スペースを作ったのではなく、もともと別のスペースだったところに車を入れることにしたものとみていいだろう。

画像4

これは空いているときの様子だ。自転車とかバイクはほぼ中に収納するものだと思っていい。居住スペースは奥のほうにある。

画像3

やはり商店だったりすることが多いイメージがある。

画像6

何しろ空いているスペースが全然ないので、こうなってしまうのも無理はない。現代的な住宅は、そもそも1階をオープンな駐車場にする設計になっていたり、建物自体を3階建てなどにして、道路から離して建てることも多い。たぶん、近所で駐車場を探すのも結構たいへんなのだろう。

とにかく家が密集していて、どうにもならなくなったまま、現代に至ってしまっているのが京都という街の面白いところだとおれは密かに思っている。昔の区画をほぼ維持したまま、古い建物と新しい建物が混在し、現在進行形で新陳代謝が起こり続けている。

一見現代風な正面をしていても、ちょっと横に回ると、ベースが町屋の形であるといった魔改造。そんなのを探して歩くのも楽しい。

例えば、これは、この建物の本体が茶色部分なのか、もともと横にあった建物が取り壊された痕跡が残っただけなのか。

画像2

一見現代風な住宅のような顔をしているが、横から見ると正体は明らかだ。

画像5

こういうものはいたるところで見られる。こういう風情の細いストリートを歩くのがコツだ。

京都に出かけるというと、どうしても観光地を巡る旅になりがちだが、機会があれば是非特に何もない民家の密集地帯とかを歩いてみて欲しい。建物の高層化が難しかった時代の都市の気配を感じられるとともに、他の都市が、いかに整備されて今の姿になったか、ということを再発見できる。

京都の街並みといった場合、おれが思い出すのはこういった光景だ。時間は容赦なく流れ、古い建物はいずれなくなっていく。すでに歴史的な価値が認められている場所と違って、こういう街並みは保存されない可能性がある。いずれはグーグルとかでしか見られなくなってしまうのかも知れない。

今のうちに、そんなものに目を向けてみるのはいかがだろうか。


サポートまでは言いません!だって、スキ!みたいなやつなら、ただで喜ばせることが可能ですもの!