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おれは、都立高学校図書館の民間委託で偽装請負がどうとかいう話を聞いて、平成を思い出した結果、デカい企業へのヘイトをもっともらしく述べることにエネルギーを使ってしまう。

気がついたら、ネタにかこつけて持論をぶちまけてしまっているおじさん。

都立高図書館、民間委託の実態は

■かなりくどくどと書かれているが、要するに学校図書館の民間委託の実態を見たところ、学校側が供給された労働者に対して、直接指示を行っているなどのことがあり、過去に一度労働局より指摘を受けていたらしい。二度目の調査では違法行為は指摘されなかったようだが、問題は山積みだ、的な話である。

■自治体の事業の民間委託については、2000年頃から導入され、かつては盛んに話題に上っていたように記憶している。官から民へ、民間でできることは民間で、2000年代にはしょっちゅう耳にした言葉である。

■偽装請負問題は、2007年頃に盛んに報道されるようになり、貧困問題に目が向けられ始められていたこともあって、狡猾なケーダンレン的闇の組織が労働者を食い物にしている、みたいなイメージを、自分の中に強く植え付けた問題でもある。思えばこのころから大企業嫌いは始まっていたのかも知れない。

■その2つが、ここにきて学校図書館みたいな場所で結びついているとは寡聞にして知らなかったが感無量である。まあ、民間委託とか結構適当にやってるとこいっぱいあったし、なんかあんまり儲からねえしちゃんとやらないと怒られるし、全然やりたくねー、みたいな業者に対して、今年はこんだけ委託しないといけないことになってるから、なんとか頼みます、みたいに自治体職員が頼み込んでやってもらってる、みたいなこともあったりなかったりだったので、さもありなん、という感じ。

■そもそもの話としては、民間のノウハウを活用することで、コストとクオリティを両立する、みたいなコンセプトだったと思うんだけど、ここ数年、ニッポンの生産性ガーみたいな話になるに至り、いったいなんだったのか感は強い。

■結局、お金ないからコストカットしたいだけっていう話なんだけど、利用者(住民)説明会みたいなのでは、むしろ良くなりますみたいに説明してたよな。そういう、嫌なことは直視せずに、なんか言い換えて誤魔化すみたいな文化が、色々なことを悪くしてきたんじゃないかと個人的には思う。

■民間委託の推進も今は昔。東京都では、司書を直接雇用するとかしないとかいう話になっているようだ。しかしまあ、当たり前だけど、きっと予算はない事だろう。学校の図書館が荒れ放題になるのもそう遠くないのかも知れない。なんかこういう時にありがちなアイデアって、タブレットとか配るし、もう学校図書館はデジタルにしたら?みたいなことだろうな。うしろ向きにDXというのも、らしいと言えばらしいような気がしなくもない。

■しかし、生産性を高めよう的な議論でずっと不思議に思ってることがあるんだけど、生産性が高い人がそもそも社会にそんなにいないのに、どうやって生産性を高めようって話なんだろう。思うに、日本では、社会全体が基本的に大企業病になっていることが根本的な原因なので、ちょっとテクノロジーを導入するとかそういう問題ではないだろう。官僚制組織の弱点は人が育たないことである。ついでにやる気もなくなる。そんな環境で生産的な人が出てくるのを待っているというのは、結局、うさぎが切り株で骨折するのを待ってます、みたいな話じゃないかと思う。

■あまり同意を得られることはないんだけど、持論では、これは近代的経済社会の行きつくなれの果てのような状態で、遅かれ早かれ、他の国も似たような状態になるんじゃないかと思っている。単純に世界で一歩リードしたら、こうなった。そういうことだろう。よって、加速主義的にさらに時代を進めることから何か開けてくるかも、というのはひとつあるんじゃないかと思う。つまり、生産性なんかクソくらえだ、という話。

■世間で言われている生産性の向上というのは、結局のところただの合理化で、つまり最終的には人々の機械化を進行させるという結末になるしかない。そうなると、一人当たりの付加価値が小さくなるわけだから、生産性をあげることが、人を豊かにすることにつながるわけがない。近代産業革命のように、その合理化が世界のマーケット自体を急激に拡大させた結果、一人当たりの付加価値が小さくなっているにも関わらず、分配される付加価値がそれを上回る、という状況が、何らかの形で再び訪れるというのは楽観的過ぎるように思う。

■しかし、いつから、自分がそういう人間になったのだろうとたまに思うことがある。社会に出るのはわりと遅かったけど、働き出して3年目ぐらいには、働けど貧困みたいな問題に興味を持っていて、後輩には、おれたちの立場や給料なんてあぶくみたいなもんなんだから、そういうのを当たり前だと思ったら絶対に足元をすくわれるぞ、みたいなことを教えていた記憶がある。

■ひとりで商売をするようになって思うことは、デジタル端末の高度化や情報ネットワークの発達、メディア・情報の民主化という時代背景が、ピンで活動することをとても容易にしているということである。そのことが、結局組織に属する理由は、仲良しサークル的な楽しさぐらいしかない、もしそれがないなら個人にとって特にメリットはない、という偏見めいた思いを強めているようなきらいはなくはない。

■今はまだ、信頼できる業者とみなされやすい、という点で、大きい組織にもカンバン的なメリットはあると思うが、昨今のエンタメ産業の地殻変動などを眺めていると、巨大芸能事務所みたいなものでもやっぱ崩壊していく運命なんだな、と。そういう事例を目の当たりにすると、分業と合理化、労働や資本の集積みたいなものがそもそも限界なんだろう、ということは強く思う。

■かつては、ひとり親方がバラバラに働くということは、全体的にはすごく非効率なことであっただろう。しかし、情報技術の発展は、個人が仕事のインフラを備えることをすごく簡単にするばかりか、個人をネットワーク化することをすごく容易にし、全体の効率を向上させている。ひとりひとりは分業化の程度が低いので、個々人の生産性は合理化組織より落ちるだろう。自分で請求書を書いたり、仕事場を掃除したりしないといけなくなるし。

■いっぽうで、働く場所や時間の柔軟性が増したり、チームの組み替えが簡単になったりと、個人がコラボレーションするための環境は劇的に向上を続けている。その結果、近代において分業、合理化、集積により世界を席巻した高効率・高生産なシステムであった官僚制組織が、総合的なパフォーマンスで見ると、さほどいいものじゃない、結果、デメリットが目立ち始める、ということが起こる、もしくはもう起こっている、ということも十分考えらえる。かつては多くの人間が必要であった製造にかかわる仕事も、オートメーション化により、省力化が進んでいくだろう。

■DXというのはそういうことなんじゃなかろうか。そうはいってもいきなり大きな組織が無くなったりはしないんだろうが、小さなビジネスユニットができることがどんどん拡大していくなか、いずれ、かつてのように誰もがサラリーマンという世の中ではなくなっていくだろう。日ごろからよく言っている事であるが、今の時代過去20年で起こったことは5年ぐらいで起こる。重要なのはフットワークやしなやかさで、ずうたいがデカいやつほど危ない、という状況に変わりはない。

■そうなった後に、次に何が問題になるかというと、能力格差だと思う。今から考えるべきテーマはどっちかというとそういうことかなと思っている。


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