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無神経で冷酷だと言われるかもしれないが、その事故報告書は無声映画のコメディでも観ているようだった

悟りっていうのは簡単に言ってしまうと諦めることが最初ね(中略)だから、問題解決の手段じゃないんだよ、悟りって(中略)諦めるために瞑想は必要なの。すべて諦めるための方法論が瞑想なんだよ。もちろん、その先はあるけどね。ただし、一番最初はどうしたって諦めから入るんだよ、実践するとなると(中略)釈迦もそうで、一度全部捨てて悟ったわけだ(中略)でも、悟って何になるの?って思って、「それだったら意味ねえじゃん」って立ち上がって、教えに回り始めたのが釈迦だってことね(中略)釈迦は悟りを教えているわけじゃないと、俺は思っているよ。縁起を教えている(中略)悟りとは=縁起を知ることになる。でもそのために瞑想なんて必要ねえじゃんって話だよね。IQがあればいいでしょ。そもそも釈迦は瞑想なんて一度も勧めていないぜ。釈迦が瞑想していたのは悟りまでの間。悟ったあとは瞑想なんて基本的にはしていない。夏の間、雨期があったからやっていただけ(笑)(中略)(※悟ろうとしたり、瞑想したりするのが当たり前ってことを)釈迦は否定しているからね、それを。※引用者加筆.

情報分析官

オリジナリティには本来的に「流れに逆らう」という面がある(中略)オリジナリティとは「創造的破壊」である。

情報分析官

美人は、いつもプールサイドで、写真を撮られている意識でいる(中略)水着でいる気分が大切です。

情報分析官

ビタミンDの受容体(VDR)(中略)内皮細胞、膵臓、心臓、骨格筋、骨盤などの細胞に加えて、神経細胞、造血細胞、免疫細胞などが含まれています。ビタミンDの受容体がこれだけ多くの組織にあるという事実は、ビタミンDのホルモン作用が、実に多彩であること(中略)がん細胞にもビタミンDと結合する受容体があり、がんがかなり悪化するまで受容体は残っている(中略)ビタミンDがその受容体へ結合すると、がんを抑制する遺伝子のスイッチが入り、ビタミンDはがん細胞のオートファジーを抑制して増殖を抑えてくれるのです。加えてビタミンDは、がん細胞を増殖させる血管の新生を抑えて栄養の補給路を断ち、兵糧攻めにしてくれる作用も

ビタミンのなかでも、新型コロナウイルス感染症に対する免疫力を高めるという観点において、いま注目されているのが「ビタミンD」(中略)(※ビタミンDは、)膵臓に作用してインスリンの分泌を促進する働きがあることから糖尿病の予防に欠かせないほか、がんやうつ病の発症にも関係(中略)さらに、ビタミンDは呼吸器疾患に対して抵抗力を高める作用があるほか、免疫力を強化し、ウイルスへの抵抗力を強める(中略)そして最新の研究により、新型コロナウイルスに対しても同様の効果が確認されています。※引用者加筆.

彼らはルールを大切にした。そしてルールを守ったばかりに死んだ。世界貿易センターの悲劇では、当局の指示に従って規則を守った多くの人たちが死んだ(中略)職員のひとりは、いったん脱出を図ったが、やがてオフィスに引き揚げてきた。警備員がビルは安全で、避難命令が出るまでオフィスにとどまるよう指示したからだという。死ぬ前に彼は、父親に電話した。「なぜぼくは警備員の言うことを聞いてしまったんだろう。そうすべきではなかったんだ」(中略)何を考え、どのような決断をしたかはわからないが、そこを動かず救援を待つのが得策と考えたのはまちがいない(中略)わたしは三十年あまり、さまざまな事故報告書に目を通した。無神経で冷酷だと言われるかもしれないが、その事故報告書は無声映画のコメディでも観ているようだった。

コメディーは、多くの患者が手術で感じるストレスを軽減させる。

(※ディズニー映画の)『インサイド・ヘッド』がここまで成功したのは、この映画がハッピーエンドのコメディであり、おそらくほとんどの観客が神経学的な意味合いとその不気味な含みの両方を見落としたからだろう(中略)『マトリックス』のネオと『トゥルーマン・ショー』のトゥルーマンという二人の主人公はともに、巧みなごまかしの網を乗り越え、そこから脱出し、正真正銘の自己を発見し、本物の約束の地に行き着く。※引用者加筆.

エクスポネンシャル思考は、私たちが固定観念を「ひっくり返す」ところから生まれる(中略)思考を反転させるためには、スタート地点からではなくゴール地点から状況を俯瞰する

もともと私たちの眼の光学的構造から、外界の事物は上下左右とも逆転して網膜に像を結んでいます。そこでプリズムやレンズから成る「さかさめがね」をかけることによって網膜像を再度逆転してやる(つまり正位させる)と、当然世界は逆転して見えます(中略)例外なくひどい酔いと吐き気をもよおします。ところが数週間かけ続けると、順応によって、行動が適応的になるばかりか、知覚までが変化する。最終的には、世界が「正立し」「安定して」見えだすのです。これがさかさめがね研究の基本的な報告です(中略)先ほども述べたように、網膜像は生まれたときから倒立しているので、いってみれば私たちは全員、生まれたときからさかさめがねをかけているようなものです。それなのに世界がさかさまに見えないのは、生まれてこのかたずっと、この「さかさめがね」= 眼球に順応し続けたからです。そこで、あらたに人工的なさかさめがねを着用することは、かけ続けていためがねを生まれてはじめて外すようなもの、ともいえます(中略)上下逆転なら一週間、左右逆転でも四、五週間で、世界はふたたび正立して見えだすのです(中略)ここでは視覚を中心とする感覚系の順応を取り上げましたが、これは感覚系だけの話にとどまらないのかもしれません(中略)つまり「慣れる」あるいは「馴れる」ということは、環境のクリティカルな部分に自分の敏感性を合わせること(順応)にほかならないのです。

馬鹿の語源と言われる逸話(中略)これを理解することを「悟り」というのです(中略)悟り(※開眼)を現実世界で使いこなすには、やはり理解だけでは足りません。実感が必要になってきます。この実感を得るには瞑想がとても効果的なのですが、その理由は、そもそも釈迦自身がそうだったからです(中略)釈迦は悟ったあとには瞑想らしい瞑想はしていない(中略)悟った人にとっては、瞑想は大して必要ありません。というのも、悟った人には瞑想する以上に、重要なことがあるからです。それは自らの悟りを伝えることによって人々の苦しみを救うというものです(中略)解脱とは、輪廻転生の輪から外れること(中略)試して欲しいのがマトリックス瞑想(中略)映画『マトリックス』を観ればいいだけです。※引用者加筆.

誘導する少数がいるんです。それがわかると、全部わかるんです(中略)大体こういう話をすると、人間関係は壊れます(中略)企業が政府を管理するのはファシズム(中略)この人たちの帝王学の中に入っているのは、頭のいい人は暗殺するということです。というのはこのからくりがわかる人たちがいるとこまるから(中略)「ある年齢を過ぎて現実世界を知れば発狂する」というモーフィアスの言葉どおりなんですよ

自分たちが「神の子」としたイエス・キリストとマグダラのマリアの間には、サラという娘がいた。これが小説・映画の『ダ・ヴィンチ・コード』(ダン・ブラウン著、2003年)の主張だ。1945年のエジプトで見つかったナグ・ハマディ写本に「フィリポによる福音書」がある。 その中に、マグダラのマリアによる「イエスの死体が消えた」の証言のあと、しばらくしてイエスは生き返った、とある。これが復活(resurrrection レザーレクション)(中略)イエスは復活して、主要な弟子(使徒 アポステルという)たちのところに、次々にボーっと姿を現したのである。だからこれを復活(レザーレクション)というのだ。イエスは生き返って、40日間ぐらいあちこちに現れてうろうろしたりした。人々が驚いてそのように噂を立てた。そして、その噂がさらにあたり一面に広まった。これを復活というのだ。そしてイエスはこのあと、天へ昇った。これが昇天(Ascention)である。イエスが復活したあと天に昇ったことを「昇天(アセンション)」と言うのだ。

日本人は今も、(正確に計算され直した現在の暦では紀元前6年生まれである)イエス・キリストの「復活」と「昇天」と「降臨」の違いを、その区別をつけて、しっかりと把握していない(中略)キリストは、紀元後30年に、36歳でエルサレムで処刑されて死んだ。その遺体が消えてなくなる事件が起きた。イエスの弟子であり、かつ奥さまであるマグダラのマリアだけがこのことに気づいた。 このマグダラのマリアと母のマリア、妹のマリアの3人のマリアが、イエスを磔の死体を、処刑人たち(ローマ兵たち)に近づいて、お金を払って十字架から降ろしてもらった(これがピエタ・ピエテート、敬心)。男たちは怖くて近寄れない。女なら捕まっても殺されないだろうから、と(中略)そして三人でその近くに(棺に入れて)埋葬した。ところが、マグダラのマリアが処刑3日後に、一人でその場に行ったら、遺体がもう消えてなかった。マリアはそのように周りの人たちに話した。このことの目撃証人(eye witness)であるマグダレーナ・マリアは、世界中で密かに敬愛され崇拝されている。しかし、ローマ・カトリックだけは、このマグダラのマリアをひどく激しく嫌う。マリア・マッダレーナを異教徒で売春婦(悪い女)だと教義(ドクトリン)にまでしている。神であるイエスに奥さまがいたら困ると決めたのだ。ここにもローマ・カトリック教会の悪がある(※イエスの遺体を受け取りに行ったのは、三人のマリアで、イエスの死体の受け取りを男の弟子がやると殺される恐れがあった。だから女たちが行った(中略)ピエタ(Pieta, Pietete)とは、自分の命を懸けて、死をも恐れず遺体を受け取りにゆく献身、のことを意味する。今もヴァチカンのサン・ピエトロ大聖堂の中の、入ってすぐ右に飾られていて、私たち世界中からの観光客が見ることができる。このミケランジェロの初期のピエタ像が、おそらくこの地上で一番美しい最高級の芸術作品だ。ミケランジェロ26歳の作品───副島隆彦氏)※引用者加筆.

ミケランジェロは年齢感から力を得ていた。彼は晩年に「私はまだ学んでいる(A ncora imparo ラテン語)」と発言したことで知られている。72歳の時、同じ場面を彫ったが、型破りな方法を用いた。フィレンツェのピエタは、3人の結びついた人物が描写されている。すなわち、下の3分の2がイエス、聖母マリア、マグダラのマリアであり、上の3分の1に一人の老齢の男性が描かれている。後に立って他の3人を支えている老人は、自画像だった。この芸術家はこの彫刻を自身の墓に飾ろうとした。

「ある年齢を過ぎて現実世界を知ると、気が狂う」。基本的に、恋仲か夫婦、ビジネスパートナーでもない限り、現実世界を知らない相手に現実世界の話をすることはまずない。時間は貴重であり、5分で解決できる話ではないからだ。聞く機会があるとすれば、内部告発者(カサンドラ)か告発者(サイコパス)からだけだろう。私自身、個別にお返事する時間がないのですが、「マインドウィスパリング スペース 調べたいワード」でnote内検索していただければ、詳しく検証した記事が見つかると思います。

関連リンク↓

https://note.com/wandering_1234/n/n5957bcf628c7



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