すべてが私の時間

さて、いよいよ書くことが思いつきません。

本日も積み重なるタスクを見上げながら「終わるのだろうか…」と不安になるも、定時後にサクサクタイムに突入。サクサクタイムの語源通り、サクサクと仕事が進んだ。90分程度の残業で社用パソコンの電源を切れた。

朝10時から本部長との面談があった。今後について、ということでお時間をいただいた。「あぁ、ダメだしされるんだろうな」「自分のことを全く理解していない励ましをいただいたりするんだろうか」と始まるまでモヤモヤ。とはいえ、お客様から問い合わせ対応などやることはモリモリだったので、そんなモヤモヤしている間もねぇ、と面談の時間になった。

結論、ダメ出しや否定はほとんどいただきませんでした。できうる限り共感するよう、寄り添っていただけるような対応をいただきました。「ここ1~2カ月ぐらい、会社に行きたくないとか、時には死んでしまいたいと思うんです」とのたまう爆弾には刺激を与えられないでしょう。「あぁ。卑怯ですわ、わたくし」とか思いながら、お話させていただいた。

有難かったことは、社内の方々から一定量の評価はされていると聞けたこと。そして、私さえよければ他の働き方を、より適した環境を用意する、と提案をいただけたことだった。大変有難かった。自身の選択が誤っているのではないか、と揺らいだ。ただ、やはり私の心は、提示いただいた最良の条件でも、やっていける未来が描けなかった。まだ両方とも体験したことのない未来だけど、無所属になって静かに家で一心集中しているほうが健やかな未来を描けた。

お腹の中にいる2歳児の自分に語り掛ける。あっ、これは『「繊細さん」の本』に書かれていた本音を知る方法の一つです。

「今日の本部長のご提案、受けるべきだったかな?」
   『わかんない』
「やってみたい?」
   『ちょっとだけ』
「ちゃんとできそう?」
   『わかんない』

わかんないよねー。私もどうなるか、わかんないもの。
うわっ。最初につけたタイトル見返したら、書いている内容とつながりがあまりないですやん。なんで「すべてが私の時間」なんて書いたんだろう。
   『わかんない』

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