見出し画像

10ヶ月間サバティカルをやってみた時の話

2011年2月、私はサバティカル休暇を取得しました。企業によってはサバティカル休暇制度があるようですが、私は会社を辞めて仕事から完全に離れてみました。

サバティカルとは?


初めてこの言葉を耳にしたのは2007年頃。退職する海外オフィスの同僚に『辞めた後どうするの?』と聞いたら『サバティカルを取る』と返事がありました。『サバティカル』の意味が分からずすぐにググったことを覚えています。


サバティカルとは、使途に制限がない職務を離れた長期休暇

社会人になったら転職先に入社する前に少し休暇を取ることはあっても、ずっと働き続けないと思い込んでいました。けれど、仕事を離れてお休みしても良いというのはとても新しい生き方のように思えました。当時は、後に私自身もサバティカル休暇を取得するなんて思ってもみませんでしたけれどね。


サバティカルを選択した理由

海外勤務を1年で終了し、すぐに帰国し転職したのですが、正直疲れてました。あんなに大好きだった仕事にも集中できずやる気もでず、「使いものにならない私」になっていたのです。例えば、大事な打ち合わせでどうやっても眠くなってしまう、カフェインドリンクを2本飲んでも効果ゼロ、言われたことが頭に入ってこないなど、一体私はどうしちゃったんだろう?と思うほど。そんな私は、自分に戦力外通告を言い渡し人生の夏休みを取得しようと決めたのです。

仕事では考え込んでばかりいたのに、しばらく仕事から離れようと決心してからはとても早かった。自分で自分の後任を採用し、入社後わずか8ヶ月で退職しました。

サバティカル中の生活

都内の自宅を引き払い、上海に引っ越しました。上海へは一度旅行に行ったことあるだけで土地勘は全くありませんでしたが、中国語を勉強していたのでなんとかなると思っていましたし、何よりすぐに日本に帰ることができる距離だったので迷わず上海を選びました。でも今思えば、せっかく引っ越すならば別の国もあっただろうし、移住ではなく世界一周とか別のことを考えるかもしれません。

自宅から徒歩圏内だった外灘。ジョギングやお散歩のたびに出かけてました。


自宅からの景色。古い街並みと近代的な建物が対照的。
当時街を歩いていると、家の外で料理をしてる家庭がちらほらありました。
水洗トイレがない家もたくさんあったようですが、今はどうなんだろう?


上海でやっていたこと

上海ではまず語学学校に通いました。私が通っていた学校にはあまり日本人がおらず、クラスメートは、アメリカ・カナダ・イタリア・フランス・ブラジル・イギリス・コンゴ出身ととてもグローバル。コンゴ人と話したのは後にも先にもこの時だけです。

この時のクラスメートが皆とても優しくて、中級クラスに入ってしまいついていけない私に英語で色々教えてくれる人もいました。皆、よく喋る!けれど書けない。私は喋れないけど書くのは得意。黒板にスラスラ漢字を書くと皆にとても驚かれました。

当時使っていた中国語のテキスト。今見ると半分位しか理解できません。

集中的に勉強したお陰で、タクシーの運転手さんと中国語で会話ができるようになりましたし、機内の中国語のアナウンスも理解できるようになりました。


勉強の他にやっていたこと

仕事はしないとはいえ、仕事らしいこともやっていました。現地で知り合った女性(女性用の小物ブランドを立ち上げたデザイナー)のために、日本の業者さんにバッグを紹介してみたり、SNSで発信してみたり。

この女性の紹介で、当時中国のミスユニバースの総監督だった方にプレゼンをしたことで、ミスユニバースの最終候補者にイメージコンサルティング研修を提供するチャンスを獲得したことも。実際の研修は別の方が担当しました。

プレゼンの相手はこの方です。彼女の自宅兼オフィスにお邪魔しましたが、とても緊張しました。オーラというか存在感がすごくて、あれほど緊張したことはありませんでした。


上海を拠点に、知人に会いに、ある時は台湾へ、ある時はシンガポールへと気の赴くままに出かけていました。そして日本へは月1回帰国していたのですから、なんとも移動が多いサバティカル期間だったなと思います。
でもそれが好きだったんだと思います。どこへでもふらりと出かけることができる、そんな自由がたまらなく気に入っていました。

台湾でカラー摘みをしてるところ。


半年程して中国内での政治情勢の変化から、帰国しました。もうちょっと居たかったけれど、この頃には「そろそろ仕事をしようかしら」という気持ちになっていたのです。半年間、好きなように暮らしたけれど、ずっとこのままでは居られないな、とも思い始めました。

中国から帰国するちょっと前、転職活動を始めます。テレビ塔が見えるオフィスでシンガポール・香港・東京の面接官と面接したこともあります。(8名と面接した後でポジションクローズとなりました)そして帰国してすぐ、別の会社の面接を受け、めでたく内定をいただくこととなります。

サバティカルを終えて

サバティカルの間起業してそのままビジネスを継続していけたら良いなと内心思ったこともありますが、起業らしいことはせずただただやりたいことをやってみただけの人生の夏休みでした。

行き当たりばったりのサバティカルでした。もう少し計画的に進める方もいると思いますが、気の赴くままに好き勝手に行動することを30代の大人で経験できたことはとても良かったし(ポジティブ思考!)、サバティカルは使途に制限がない長期休暇なのでこれで良かったのだと思います。休暇中に、やっぱり私は移動と自由、新しいことを見たり経験したり学んだりすることが好きなんだわということも、よくよく分かりました。

職業体験みたいなことを通して、やっぱり仕事が好きなんだわと改めて思いましたし、金融機関でしか働いたことがなかった私が、SNS運用や営業のようなことまでやっていたのですから、今の仕事にもちょっと繋がっています。(ちなみに当時は、金銭的報酬はいただいていません。お金をいただく代わりに情報やノウハウをいただいてました)

今から考えたら、なんて無計画なサバティカルだろうと思います。ただやりたいことだけをやって貯金を切り崩していた、と思われても仕方ありません。サバティカルでこんなことを成し遂げました!と言えることは何もありません。けれど、休むことを知らなかった私が「休むことも大事」「ちょっとくらい休んだところで人生に悪い影響はない(むしろワクワクしかなかった)」と知ることができたことは大きな学びになりました。

人生100年時代となり、働く期間は以前より長くなるはずです。ならば、どこかで長期休暇を取りながら、休み休み仕事をするのも仕事術だなと思います。

この記事が参加している募集

振り返りnote

やってみた

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?