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憎んで、捨てた、愛した、祖国。鎮魂の木星、それがイギリス映画「アナザー・カントリー」。

「80年代のイギリス映画」と聞いてまず連想するのが「炎のランナー」だろう。

全編を通じてクラッシック (古典的)でトラディッショナル (伝統的)なブリティッシュ (英国調)ファッションをまとった男性ばかりが次々と、そして一同に群れをなして登場する画面の格調高さ。
走ることによって栄光を勝ち取り真のイギリス人になろうとするユダヤ人と、神のために走るスコットランド人の、競走を通して違いに高め合う高揚感。
長短のショットやスローモーションをうまく組み合わせて切り取られた、走る身体の躍動感。
そして、ヴァンゲリスが作曲した崇高で感動的なメイン・テーマ。
映画の冒頭、このテーマが流れる、イギリスのオリンピック選手団の青年たちが海岸を走るシーンの、なんと印象的なことか。
節々まで美意識が行き届いた、人間の美徳を高らかに歌う、叙事詩だ。

※こちらでもレビューしました


本作も同じ、80年代のイギリス映画。
「炎のランナー」から十数年後の時代、30年代のイングランド、全寮制のパブリックスクール内の学生たち、男ばかりの群像劇。
百数年の雨露を凌いだ風格ある校舎のなかで展開される、トラディッショナルな制服に身を包んだ学生たちの人間模様を、美しくみずみずしく切り取るカメラ。
そして劇中何度も繰り返される崇高で感動的な旋律(後述する)。
見た目は、「炎のランナー」同等の美徳に満ちている。

しかし、中身は対照的だ。
「炎のランナー」を正統神話とすれば、こちらは、邪宗門だ。
「炎のランナー」では感動的な物語の裏にひっそり描かれていた、トラディッショナルな英国に(今も昔も)流れる権威主義・排他的思想が、くっきりと描かれている。

1930年代イギリスのパブリックスクールを舞台に、同性愛や共産主義に傾倒していくエリート学生たちの姿を描いた名作青春ドラマ。主演はルパート・エベレット、コリン・ファース。1932年、上流階級の選ばれた者しか入学できない全寮制の学校で、容姿端麗、明朗快活なガイ・ベネットは明るい将来が約束されていた。一方、レーニンに傾倒する共産主義のジャドは、ガイのブルジョワ的思考を軽蔑しながらも、ガイの魅力にひかれていた。しかし、ある日、ガイが別の寮に暮らす美少年ハーコートにひと目惚れしてしまい……。2012年、デジタルリマスター版でリバイバル。
【スタッフ】
監督 マレク・カニエフスカ ほか
【キャスト】
ルパート・エベレット、コリン・ファース、ケアリー・エルウィス、マイケル・ジェン、ロバート・アディ ほか

映画.com 作品情報より

秘密を破られ、裏切られ・・・。だから彼は国を捨てる。


パブリック・スクール。そこは大人社会の一歩手前に建つ壁に取り付けられた入口だ。しかし彼らは壁越しにこっそり、オトナの世界を垣間見てしまっている。スクールカーストがある。差別がある。虐めがある。権力闘争がある。

下級生は教師の規律・戒律のムチに怯え、その腹いせに自分より下の階級出身への攻撃へと向かう。上級生はいかにして最終学年に「ゴッド」=首席の座を獲得するか。互いに腹を探り合う。水面下で足の引っ張り合い、その果てに卒業間際で退学する者が次々と現れる。澄み切った映像とは真逆の、濁った群像だ。


最終学年を翌年に控えた主人公のガイ(演:ルパート・エベレット)は、そんな愚劣を好まず、分け隔てなく周囲と接する(逆に言えば、特定の人物をヨイショしたりとり入ったりする気は無い)一匹狼だ。だから、下級生には慕われ、(猜疑心の強い一部を除く)同級生からも信頼は厚い。
彼は、誇り高く、常識に従うのを良しとしない。軍事教練の日、将軍たちがやってくる。大半のものが正規の軍装をする中、彼一人が教練に反抗し「黒の革靴を履き」「学生ズボンのベルトを締めて」意思表示をする。「お前たちのいう通りにはならないぞ」と。

そんな「はぐれ者」ガイは、同じく「はぐれ者」たる美しい青年:ジェームズ(演:ケイリー・エルウィス)と、違いに忍んで愛し合う。

ガイも名誉欲とは無縁ではない:最終学年で「ゴッド」を手にする、期待混じりの密かな野望があった。なのに何も裏工作を行わないのは、絶大なる自身への自信があるからだ。学年一、二を競う成績優秀さに、人望の厚さ。これさえあれば、小細工など弄する必要があろうか?


それが、虎視眈々と「ゴッド」を狙うハイエナの密告で暗転する。ガイとジェームズの仲が、白日の下に晒されたのだ。ガイは、公衆の目の前で、最高学年による鞭打ちの裁きを受けることとなる。
彼の身体に、ムチの痣が刻まれる。同級生と下級生は反論するものもなく、ただ目をそらすのみ。
裁きの後、ガイは『お前に「ゴッド」となる資格はない」と宣告される。
以後、ガイは下級生からも同級生からも、よそよそしくされ、かつて自分が上り詰めていたピラミッドから排除される。

男が男を愛する。
たったそれだけのことで、なんで、虐げられなくちゃいけないんだ!
疑念が、彼の価値観を変えてしまう:パブリックスクール、ひいてはイギリスそのものを不平等で不条理なもの、打破すべき対象と見なすようになってしまう。

ささくれたった彼の心を癒すのが、親友のトミー(演:コリン・ファース)。
彼の手で、ガイは、異端の思想「共産主義」に導かれることとなる。
それが、彼のその後の生き方全てを、決めてしまう。


最後の「木星」は、誰のため?


劇中なんども繰り返されるのが、組曲・惑星、「木星」の第4主題の合唱。
それは、聴くもの全ての心を震わせる、壮大な宇宙を感じさせる曲。
イギリスでは、母国を讃える歌「我は汝に誓う、我が祖国よ」(I vow to thee, my country)として広く歌われている。

本作の冒頭は、全校生が講堂に集まり「木星」を合唱する中、始まる。
カメラは廊下に隠れて「木星」を口ずさまない者たちを映し出す:
互いに愛し合う下級生ふたりだ。
彼らは最中を教師に発見されて、補導されることとなる。

そして、美しい歌を唄う者の魂まで清らかであるとは限らないことを、我々はこの映画で知る。美しい歌の裏には、醜い心が隠れていることを、知る。

醜い心を持つヤツらの同類=大英帝国臣民にはなりたくない。
自分らしくありたい。そう願う青年たちは、国の外へ脱出するほかない。
だから、トミーは(イギリスが知らん振りを決め込んだ)スペイン内戦の共和国派の志願兵となって戦死し、ガイは(イギリスの敵対国たる)ソ連のスパイとなって、国を裏切る。
彼らにとって、イギリスは捨てた祖国:Another Country となる。

最後、エンドロールに静かに流れる「木星」の合唱。
自国に何の疑念も持たず、心ゆくまま歌えるものの方が、多数だろう。
その一方で、同じ国に生まれたに関わらず、心の底から歌えない、いや「歌うことを許されない」者たちがいる。それが、トミーであり、ガイであり、冒頭補導された2人であり、その他、イギリスの規範の埒外に出てしまった異邦人たちだ。

エンドロールに流れる「木星」は、哀悼を捧げるかの様に静か。
それは国を捨て異邦に亡くなった多くの魂たちを赦すための唄。
鎮魂歌は、滔々と流れ続ける。


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