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映画「荒野にて」…美しい馬のために、どうか、逃げ出す力を。

なんというか、いま
ここから逃げ出したい という気分がある。

それを、「青春の煽動者」寺山修司は

あゝ、荒野。

の感嘆符込めた一言で、的確に捉えた。

荒野は不毛な土地のこと。
身も心も枯らしたこれ以上渇くことない大人には住める土地でも、
みずみずしい情感を持った少年には、とうてい住むに耐えきれない土地だ。
だから少年は荒野を出て他所を目指そうとする、

しかし

いくらはなれてもはなれても「ここより他の場所」に到らない心の焦りは75セント分の切符ではどうにもならないのである。
「戦後詩 ユリシーズの不在」寺山修司 43ページより引用

荒野の外には、どれだけ歩いてもたどり着けないのである。

それでも、焦り、怒り、悲しみ、負の感情を胸に抱き、ちくちくとした痛みにうなされつつも、少年という生きものは、弱肉強食の荒野を抜け出して、共存共栄叶う見知らぬシャングリラへと、旅立つことを願ってやまない。
大人たちと同じようにならないように、
つまりは、
自分の心を汚されないように、自分より弱いものを平気で傷つけるケダモノになってしまわぬように。

本作は、自分より弱い連れ合い:美しい馬を守りながら引いて歩く、少年の旅路を、巧みに、みずみずしく、語っている。

「さざなみ」のアンドリュー・ヘイ監督が、孤独な少年と一頭の馬の歩む旅路を描いた人間ドラマ。「ゲティ家の身代金」にも出演した新星チャーリー・プラマーが主人公チャーリーを演じ、第74回ベネチア国際映画祭でマルチェロ・マストロヤンニ賞(新人俳優賞)を受賞した。幼いころに母親が家出し、愛情深いがその日暮らしの父親と2人で生活する少年チャーリーは、家計を助けるため厩舎で競走馬リーン・オン・ピートの世話をする仕事をしていた。しかし、そんなある日、父親が愛人の夫に殺されてしまう。さらに、試合に勝てなくなったピートの殺処分が決定したという知らせを受けたチャーリーは、ひとりピートを連れ、唯一の親戚である叔母を探すため荒野へと一歩を踏み出す。
【スタッフ】
監督 アンドリュー・ヘイ
【キャスト】
チャーリー・プラマー チャーリー・トンプソン
スティーブ・ブシェー ミデル・モンゴメリー
クロエ・セビニー ボニー
トラビス・フィメル レイ
スティーブ・ザーン シルバー

映画.com 作品情報から引用


明日を目指さんとする希望は美しい。

子供の頃読んだ少年少女世界の文学全集に、「子鹿物語」があった。

おぼろげに、覚えているのは、ジュディが可愛い子鹿にフラッグと名付け、彼を愛しんで、大切に育てる物語だった、ということ。

いまでも、はっきりと憶えているのは、成長したフラッグが一家の畑を食い荒らす様になり、「害獣は殺すしかない」と父ペニーは決断するほかなくなる。
その父の説得を、ジョディは呑み込むことができないというはなし。
友だちを殺すなど、わかっているが、わかりたくないことだ。
だから、ある夜、ジョディはフラッグをこっそり連れだして、森の中に逃げ込む、しかし虚しく。結局は人に撃たれて、フラッグは致命傷を負ってしまう…。

「仔鹿物語」のジョディと、「荒野にて」のチャーリーは似ている。
ふたりとも、まだ大人の階段に片一方足をおろしただけの年頃。
ふたりとも、自分より小さいものを慈しむ優しい心を持っている。
チャーリーが決してピートの背中に跨ろうとしないのが印象的だ。そうすることで、自然とピートの上位に立ってしまう、それがそのまま階級として固定されてしまう気がするからだろう。

そして、ふたりとも、「生きていくために動物を何らかの形でこき使うしかない/平気で殺せる」大人たちの事情を、分かりはするが、分かりたくはない。
だから、ジョディと同じように、チャーリーもピートを連れて、手前勝手の理屈で弱いものを踏みにじる今の住処を抜け出し、荒野の外へ抜け出そうとする。


愛するものを失う絶望も美しい。

数時間だけ他人様から拝借したトレーラーを走らせれば、そこは荒野だ。
トレーラーを捨てて、後は徒歩で、少年と馬は、並んで歩く。
濃厚で乾いた空気と、じりじり焼き付く太陽とが、ふたりの道連れの体力をじりじり奪っていく。
それでも、乾いて思うままにならない舌を操って、身の内をピートに語っているうちは、気がまぎれる。

殆ど休むことなく、水だけを口にして、彼らは荒野を渉る。「勝負」とか「生命与奪」と言う言葉が目の前に散らつくことのない、ピートとふたりで暮らしていける、シャングリラを目指して。

しかし、摂理は非情だ。
ある夜、幹線道路を絶えまなく横切るヘッドライトに興奮したピートは手綱を引きちぎって、暴走してしまう。
チャーリーがそれを制止する間もなく、ピートは通行車に撥ねられて、そのまま、それっきり。


だが、両者を分けるものはもっと美しい。

声にならない哀号。
それでも、フラッグを亡くしたジョディが、父母の元に戻らず、川を下って遠くの街の伯母さんの家を目指したように。チャーリーも、自らの足で、遥か遠くララミーの街に住む叔母さんの家を必死で目指す。
元いたところに、絶対に、引き戻されないように。

ピートの死を契機に、チャーリーの優しい心はぷっつり切れた。
「自分だけで何とかする」これが今際の父の教え。
スニーカーを履きつぶすまで歩き続け、メキシコ人に混じって塗装の仕事で日当を稼ぎ、それを巻き上げにきた輩には、優しい心を押しのけて、暴力でやり返す。

這々の体で辿り着いたララミー。叔母さんは、優しくチャーリーを受け入れる。
オレンジジュースで渇きを満たし、叔母さんお手製のパンケーキで飢えを満たす。満ちて、ようやく、自分のことだけじゃない、他人のことにも思いが及ぶ。死んだ父のこと、そして…ピートのこと。

「ピートにもういちど、会いたいな…」

さめざめとチャーリーは泣く、叔母の胸の元に。
事情を知らない叔母は、それでも、何も言わずにそれを受け止める。

「小鹿物語」のジョディは健在の父母の元に戻り、
「荒野にて」のチャーリーは父を喪い叔母の元に身を寄せる。
到着地は違っても、「荒野」を通り過ぎて得たものは同じ。生きていくために、受け入れざるを得ない悲しみがある、ということ。

チャーリーは、一回り大人になった。
小さかった(ために前の学校のフットボール部在籍時にはポジションで苦労した)背丈も一回り大きくなった。
癒えない痛みを抱えつつも、優しい心を失わずに、チャーリーがフットボール部復帰を目指してトレーニングに走るシーンで、映画は終わる。


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