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米国政界の黒幕が主役「バイス」。悪い奴ほどよく生きる。

1939年、フランク・キャプラは「スミス都へ行く」で政治家の理想像を描いた。
以後、腐敗していく政治家の話が、ハリウッド映画の十八番となった。

「オール・ザ・キングスメン」「キングの報酬」「フロントランナー」…
『政治家が主役』に絞っても、数多ある。

この映画のもその典型だが、さらにタチが悪いのは
実在存命の人物を「ほぼ」ノンフィクションで描いていることだ。

「バイス」:バイス・プレジデント(副大統領)を指すだけでなく、“悪徳”や“邪悪”という意味もこめられている―ワイオミングの田舎の電気工から“事実上の大統領”に上り詰め、アメリカを自在に支配し、アメリカ史上最も権力を持ったチェイニー副大統領の姿の前代未聞の裏側を描いた社会派エンターテイメント!

監督・脚本:アダム・マッケイ『マネー・ショート 華麗なる大逆転』
出演:クリスチャン・ベール『ダークナイト』、エイミー・アダムス『アメリカン・ハッスル』、スティーヴ・カレル『バトル・オブ・ザ・セクシーズ』、サム・ロックウェル『スリー・ビルボード』

ロングライド公式サイトから引用

監督のアダム・マッケイは、「俺たちニュースキャスター」シリーズで巨大メディアを、「マネー・ショート 華麗なる大逆転」でウォール街を、現在進行形で風刺した。本作ではかつてアメリカの最高権力者だった男を風刺する。
それはあまりにもやりすぎな「愚か者たちの宴」と言う形をとって。
つまり、ディック・チェイニーが、暴走に暴走を重ね、アメリカをめちゃくちゃにした挙句、一抜けする。
これが本当の話だというなら、タチが悪い。
加えて、彼が最後発する「反省の色のない」台詞が僕らの気持ちを逆撫でする。

その他、中身のドス黒さはぜひ皆様の目で確かめて頂くこととして・・・
この映画が巧妙なのは、存命の人物を描くすべを心得ている。
真面目に描くと、却って嘘っぽくなるので
過激に戯けてみせる、ブラックコメディへと異化してみせる趣向がある。

この映画は2パートに大別される。
チェイニーが政治に汚れていく第一部と、彼がイラクを目指す第二部と。

果たして、(これだけでも十分胸糞な)第一部に区切りがついたあたりで、政治家を引退しフィッシングに勤しむ彼の背中に、『彼は某エネルギー企業のCEOに収まる、政治の世界を離れる』の字幕がインサートする、90年代ハリウッド製のヒューマンドラマ的なモノローグとともに、エンドクレジットが流れる…。


これで終わり。と思わせたところで一本の電話。それは、「バカ息子の方の」ブッシュからの電話。彼が21世紀を迎える前に引退してくれたら世界はもっと平和だったかもしれないが、そうは問屋が卸さない。

そして第二部:地獄のイラクが始まる。悪趣味な演出も加速する。
実際のバイスにとって都合の悪いシーン(つまり政財癒着)にはピー音が被さる。アメリカ世論が開戦に誘導されていく過程を念密に描く。お上の政策のために犠牲になる人たちの描写をしつこいほど挿入する。
「これくらいやらないと、政治が生活に直結してることがわからないだろ?」と暗に僕らを揶揄する激しさで。

つまり痛烈な反語なのだ。
戯けることで、却って僕らを揺さぶってくる、考えさせる。逃げられなくする。


それでも「所詮フィクションだから…」と言い逃れ?する余地はあるだろう。
その逃げ道すら塞ぐ。
メインキャストを紹介するエンドロールが始まったところで、すぐ

突如 言い争いが始まる。
「これってリベラルに偏ってない?」
「なんだと、この保守派が、トランプなんぞ選びやがって」

右と左が互いに罵った挙句、マジの取っ組み合いを始める。
それを横目にノンポリのティーンエイジャーが呟く「ワイスピ見よ」

そして何事もなくふたたびエンドロールが始まる。
もやっとした感触を残して、映画は終わる。

総じて、よく出来たブラックコメディ。
本作がゴールデングローブ賞で主演男優賞を、デトロイト映画批評家協会賞で脚本賞を受賞した理由もよくわかる。
と同時に、第91回アカデミー賞に複数ノミネートされながら、全て逃したのは、この悪趣味さが、品がないと顰蹙かったからでは? と思ったり。(同じく実在の事件用いた「ブラック・クランズマン」横目に見つつ)


ともあれ、この「アメリカを通して世界を統べようとした巨悪」。
正直、「ゴッサムシティのジョーカー」よりも、よっぽど恐ろしいと思ったり。


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