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ソ連製戦争映画「誓いの休暇」_帰郷、たった3分間だった。

わたしは厳寒を冒して、二千余里を隔て二十余年も別れていた故郷に帰って来た。時はもう冬の最中で故郷に近づくに従って天気は小闇くなり、身を切るような風が船室に吹き込んでびゅうびゅうと鳴る。苫の隙間から外を見ると、蒼黄いろい空の下にしめやかな荒村があちこちに横たわっていささかの活気もない。わたしはうら悲しき心の動きが抑え切れなくなった。
おお! これこそ二十年来ときどき想い出す我が故郷ではないか。わたしの想い出す故郷はまるきり、こんなものではない。わたしの故郷はもっと佳いところが多いのだ。

「故郷」魯迅作、井上紅梅訳 冒頭 (青空文庫より引用)


「帰郷」という言葉は、しめやかに、すれ違いを予感させる。
沈潜、落魄、傷心、幻滅といった、黒い叢雲を呼び寄せる。
いつどこだれを問わず、戦争は男たち(ときに女たち)を、家から遠く離れた戦地へと追い遣る。そして、ふとした偶然が、彼らに「帰郷」をもたらす。
その「帰郷」は決して愉しいものではない。むしろ「戻らない方が良かった」「却って悲しくなった」結果に終わることが、多い。

帰郷が、3分間しか許されなかったとしたら、なおさら。
それでも、待つ人にとっては、待望の瞬間なのだ。


本作は、戦争が終わって平和が訪れた村で、初老の婦人が寂しげに村はずれの道を見やるところで始まる。それは、村から外界へと続く、麦畑を突っ切ってどこまでも続く一本道だ。
ナレーションがインサートする。彼女の息子:アリューシャが戦争から帰らなかった、ということ。最後にアリューシャと再会したとき、彼はその一本道通ってやってきた、ということ。


[あらすじ]
 果てしなくつづく麦畑とそれを貫くひとすじの道。そこに息子の帰りを待ちわびる母がたたずんでいる。
 息子のアリョーシャは戦場で2台の敵戦車を炎上させた勲功により、6日間の休暇をもらった。アリョーシャの心は故郷へとはやるが、戦火の道中は一層長い。途中、空襲にあったり、妻のもとに復員する傷病兵を助けたりしているうちに休暇はまたたく間に過ぎ去っていく。そしてやっと乗り継いだ軍用貨物列車のなかで、アリョーシャは少女シューラと出会った。列車の中の枯草の片隅で束の間、二人は心を通わせる。ちぎれる雲と白樺の林と雨の色を窓に映して、列車が進む。そして少女との別れ。アリョーシャが、戦友から頼まれた事をはたし終えて母のもとにたどりついた時、休暇はもう、帰りの時間を残すのみだった。
 母と抱きあい、わずかな言葉を交わしただけで、彼は麦畑の道を戦場へ引き返した。その後、母はいまも麦畑の傍で帰らぬ息子を持ち続けている。
[スタジオ/製作年] モスフィルム・1959年製作
[スタッフ]
脚本:ワレンチン・エジョフ
    グリゴーリー・チュフライ
監督:グリゴーリー・チュフライ
撮影:ウラジーミル・ニコラーエフ
    エラ・サヴェーリェワ
美術:ボリス・ネメチェク
音楽:ミハイル・ジーフ
[キャスト]
アリョーシャ:ウラジーミル・イワショフ
シュラ:ジャンナ・プロホレンコ
アリョーシャの母:アントニーナ・マクシーモワ
大将:ニコライ・クリュチコフ

ロシア映画社 公式サイトから引用

少年が帰る道は。


ときは独ソ戦真っ只中に戻る。ドイツ軍がソ連国内を侵犯し、最前線が、それはぎりぎりの消耗戦を強いられていたころ。敵戦車にアリューシャが追われている。 この戦場を切り取ったカメラワークも素晴らしい。

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逃げに逃げ、偶然みつかった対戦車砲。手にして、必死に放った弾丸が、偶然にも戦車に命中。かくて偶然に武勲を立てて、特別に1週間の故郷をもらった若い兵士アリューシャが、故郷においてきた母の姿を一目みんとぞただに急げる姿を、ロードムービーという形で描いたのが、本作である。

彼は庶民、使える交通手段は鉄道だ。それも予定通りには来なかったり、平気で遅れたり、砲撃で止まったりする。まして、ここは広いロシアの大地だ。
蒸気機関車の堂々たる疾駆のカット、伊福部調の勇壮な調べ、アリューシャのはやる気持ちとは正反対に、どこまでいってもどこまでいってお、故郷にはなかなか辿り着けないのが、もどかしい。

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道中出会う人たちは。


アレクセイは、優しい子だ。急ぎの帰郷だというのに、つい行く先々で、自分のことはまず置いて人助けをしてしまう。そのために貴重な時間をどんどん削ってしまう。ここにさまざまなドラマがある。

少年は、頼み事を引き受ける。最前線から後方の駅まで送ってもらうジープの途上、すれ違った恰幅の良い(そして戦場が何かを知らない)兵士から、石鹸2個と伝言を託されたのだ。「俺のワイフによろしくな!」と。
乗り換えに立ち寄った町で、少年は兵士の妻の元に贈り物を届けにいく。しかし彼女にはすでに別の男がいた。夫の帰郷を、妻は待てなかったのだ。

少年は、片足失った高倉健似の傷痍軍人と旅の連れ合いになる。この男、怪我のために故郷に(半ば強制的に)戻されることとなったのだが、「果たして妻は待ってくれているだろうか?」疑念に苛まれている。「いるはずだ」「いやいないだろう」「いる」「いない」行き交う人々尻目に、思考は行ったり来たり。いつしか朝は昼となり、昼は夜となる。少年は、この男の葛藤に、自分の事はさておいて、黙って寄り添う。
最後には「どうせ妻は待ってくれまい」と電信を送らずに(故郷には帰らずに)済ませようとする。それを聞いて、電信局受付の娘は「そんなはずはない、あなたの奥さんは待ってくれるはず」「会いに行こうとしないのは、人でなしだ」と泣き伏す。
逡巡の末、手のひらで握り締めた中で、汗に湿気りくしゃくしゃになった電信を、受付の娘に手渡す。果たして約束の駅で、妻は待ってくれた。男は帰郷に、成功した。

少年は、こっそり貨車に乗り込んだ、黒いワンピースの少女・シューラと連れ合いになる。彼女は負傷した許婚者を病院に訪ね、故郷に帰るため秘かに貨車にのったのだ。ふたりで、たった一つの肉缶を分け合ったり、いっしょになって別の列車への乗り換えを急いだり、互いの素性を本音で語らったり、それはもう甘酸っぱすぎる「二人だけの時間」を、長い列車の旅の中で過ごす。いつしか、シューラの少年に対する気持ちは、許嫁以上に強いものになっていく。

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やがて、ふたりは、大きなターミナル駅にたどり着く。少年は次の列車へ、少女はこの駅を降りて病院に向かう。まるで「たけくらべ」、少女の中で少年に対する気持ちは大きくなりすぎていた:好意を素直につたえることができない。せめて、再会だけでも願いたい。
旅立つ汽車に向かって、少女は大声で自分の住所を叫ぶ。
それは、汽笛にかき消されて、聞こえずに、終わる。


息子が母に告げた別れは。


残された日数は、もうない。
故郷の一つ前の駅にやっとたどり着き、最後の一本に少年は乗り込む。そこには「戦地から疎開する怯えやつれた様子の大家族」がいた。いままでの連れ合いのようには、会話も弾まない。
少年は語る「約束では二昼夜のはずが、列車が遅れて一夜しかいられないんです」大家族の家長が優しく答える「それなら十分だ。」
しかしその一夜すら、運命は許さないのだ。

車内、みなが寝静まったころ、窓の向こうから閃光が見える。「雷?」
それはドイツ機が落とす爆弾の雨嵐の音。橋と線路ごと、列車は焼かれる。優しい少年は、逃げ遅れた人々を救護することを忘れられない。

一夜明け。川のたもとで皆震えるなか、軍令が告げる「次の列車は2時間後です」待てるものか、だから彼は自作の筏で川を渡り、通りすがりのトラックに相乗りする。

やっと母の元に少年はたどり着く。残された時間は3分だけ。
少年は約束する。つぎ帰ってきたときに、屋根の修理をすることを。
少年は約束する。また帰ってくると。
それだけ告げて、母の気持ちが落ち着かないうちに、トラックのクラクションに急き立てられて、戻っていく。またひとまわり大人になって、戦地へと帰っていく。

彼は故郷には、二度と帰らなかった。

本記事の画像はCriterion公式サイトから引用しました

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