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ゴダール前夜その①。メルヴィル×ベルモンドの「モラン神父」

ジャン・ポール・ベルモンド(Jean-Pierre Belmondo、1933年4月9日 - 2021年9月6日)。
ヌーヴェルヴァーグ(New Wave)運動の代表的な俳優の一人として知られ、その魅力的な演技と個性的なスタイルで数々の名作に出演した名優。
ジャン=リュック・ゴダール監督の『勝手にしやがれ』のミシェル役は、誰でも知っていることだろう。

そんなベルモンドだが、実はヌーヴェルヴァーグの役者以外にもさまざまな顔を持つ。アクションや格闘シーンを自ら演じるアクション映画のスターとしても成功したし、ヌーヴェルヴァーグ一世代前の監督たちの作品にも数多く出演しているのだ。
犯罪ドラマ、コメディなど多岐にわたるジャンルの作品に出演し、個性的で魅力的なキャラクターを演じることでファンの心をつかんだ、彼の出演作をここに紹介する。


「モラン神父」は、ベルギー人女流作家Béatrix Beckの自伝的小説「Léon Morin, prêtre」を原作に、1961年にジャン=ピエール・メルヴィル監督が映画化を行ったものだ。
ナチス占領下のフランスの一田舎町を舞台に、若い未亡人のバルバラと、彼女が出会ったカトリックの司祭であるレオン・モランの関係が描かれている。バルバラはレジスタンス活動家であり、モラン神父は彼女に宗教的な指導や支援を提供する。他方で、彼らの関係は、次第に、信仰、疑念、愛情、人間関係の複雑な側面を浮き彫りにしていく。

本作のズバリ見どころは、国語教科書に載っていて誰でも知っている井上ひさしの「握手」のルロイ修道士のような、厳粛な雰囲気を漂わせる一方で、いつも安らかな微笑みを浮かべている、ベルモンド演じるモラン神父の造形にあるだろう。
初めてモラン神父がバルバラを自宅に招く:その礼服が、真っ直ぐかっちり縦軸の通ったボタンで留められているさりげないカットに目を見張るほど、ベルモンドの振る舞いは堂に入っている。

ものがたりは、様々な要素を交錯させて、静かなタッチで進行する。
たとえば、無神論者バルバラと有神論者モラン神父の静かな会話の応酬。対話が進むうちに、夫の殺害をきっかけにカトリックから共産主義者に転向したバルバラは神の存在を求めていることが明かされ、モラン神父はそもそも神は存在していないと主張する、捻転が生じるのが、興味深い。

その一方で、まずはナチスが、次いで連合軍が進駐し、両者に抑圧される、いや、自らを抑圧しようとする静かな村の生々しい様子も描写される。
物語前半では、田舎町を行進し闊歩するナチの軍隊を歓迎して翻る旗。当たり前のようにフランスに家を買い所帯を持っているドイツ将校が存在し、住民同士が「ユダヤ人はどうだっていい」「彼らもキリスト教とでしょ?」と論争を続ける。
物語後半に入って、ドイツ軍は撤退。対独協力者は丸刈りにされ見世物にされる。誰がドイツ人なのか、私刑を執行しようと皆しずかに血なまこになり、それを本来抑止する役割を果たすべき連合軍の兵士は、バルバラに手を出そうとしようとすらする。
この不幸せな時代を、意見の異なるふたりの交感を、思い切った切り返し、二人の人物のクローズアップなど、ものすごくヌーヴェルヴァーグ的なアンリ・ドカエのカメラワークが冴えて演出する。

ものがたりは、村に対するカトリックの遠隔教育が終了し立ち去ることになったモラン神父が「また、別の人生で会いましょう」と、いつもどおり安らかな笑顔を浮かべながらバルバラに告げるところで閉じられる。
第二次世界大戦中のフランスを舞台に、信仰、宗教、愛に関するテーマを探求した、複層的で奥深い作品。後年のメルヴィルを思わせる意匠は少ないながらも、鑑賞して損はない作品だ。

画像はCriterion公式サイトから引用

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